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高木一行
猫の目のようにくるくる変わる、という。
マヤの目にご注目あれ。
まさしく、千変万化。類い稀なる脈動する宝珠のごとし。
たぶん、そのうちのいくつかに、カメラを構えマヤと向き合う、あるいは画面の外で一生懸命猫じゃらしを振って仔猫の関心をひきつけようとしている、私や妻の姿が映し込まれているのだろう。
その目に注目しておいてから、「注視する」という行為の感覚、フィーリングを全身的に感じ取り(例えば、あなたは眼球にぐっと力を入れているかもしれない。手が、微妙に凝集するかもしれない。知らず知らずのうちに顎に力を入れているかもしれない。腹に力を入れるかもしれない。ゆっくり柔らかく行為することを繰り返しつつ観察すればわかってくる)、それらをごくごくわずかに・そっと強調しておいて、その強調感覚をオフにする。スイッチを切る。消滅。
そして待ち受ける。
何かが起こっても、それについて考えない。
むしろ、「それ」の方に、こちらへ来させる。ただし、能動的に強制するのでなく、受動的に待ち受ける姿勢で。
ふわりと、超微細粒子の感覚があなたの全心身を覆い尽くすだろう。あなたの内面から。
フォトのみえ方も、自ずから変わる。ものすごく立体的で奥行きがあり、マヤの毛皮のふわふわした暖かな質感までもが、視覚を通じ感じられそうなほどだ。
かしわ手!
マヤの全身より発せられる驚くべき生命力の鮮烈なる放射[プネウマ]が、あなたにもきっとおわかりだろう。
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「マヤの帰神フォトを観るのは、なかなか難しい」「あまりのかわいさに、観の目を保ち続けることができない」「思わず画面の方に手を伸ばしてしまった」・・・などなど、練達の帰神フォト・マニアたちでさえ、マヤ・シリーズには少々手こずっているようだ。
まあ、焦らず、気長に取り組んでいってくだされ。
つい先日のことだが。
執筆中の私の膝に乗ってきたマヤが、ポジションを巧みに極[き]めて柔らかく丸まりおさまりながら、そっとその腕を私の腕にまわしてきた。
そのあまりの感触に、ハートの奥底が一気にパッと開いた。
作品00〜13までが私、作品14〜21が美佳撮影。
ケージに何度もはい上がっていくのだが、いつも途中で落ちてしまっていた。それでも実に熱心に、何度でもトライし続ける。
それが、妻と一緒にちょっと近所に買い物に出かけ、戻って部屋の扉を開けてみたら、ケージの登頂にすでに成功し、その上で昼寝していたマヤが、顔をあげてニャン!と挨拶するではないか。
直ちに帰神撮影と相成[あいな]った。
<2011.11.23 小雪>