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高木一行
(まず猫、それから人の)朝食後、直ちに猫たちを入念にブラッシングすることが、わが家では長年の習慣となっている。
マヤは、まだこの時点においては、ブラッシングの醍醐味がわかっておらず、遊びと勘違いして暴れたり、体に飛び乗ったり、手にかみついたりと大騒ぎだ。
妻も私も、あちこち小さな傷だらけになった。
噛む力も結構強くなってきて、遊びに夢中になって思い切り噛みつかれたりすると、瞬間的に体が硬直しそうになる。・・・そこを、ふっと全身の力を緩めると、痛みをほとんど、あるいはまったく感じない。
妻も、独自にこのコツを体得したものとみえ、「噛まれた瞬間に全部受け容れてすっと力を抜くと痛くなくなる」と報告してきた。
さらに妻いわく、「これのもっと凄いのがムツゴロウさんなんだよね」と。
その通りである。
ムツゴロウさんこと畑正憲氏の著作を最近改めて読み返し始めたところだが、あの人ほど凄い「修業」をした日本人は、近来稀なのではないか。
地上最大の猛獣であるヒグマを(無人島で一緒に生活しながら)育てることに比べれば、子猫のひと噛みなど、やさしい春風のひと撫でに過ぎない。
私は、何年か前に初めて畑氏の著作(主にエッセイ類)を読んで衝撃を受けて以来、熱心なファンの1人だ。
この頃マヤは、2階の和室で暮らしていたが、外の様子が気になって仕方ないとみえ、私たちが出入りする際など、スキをみい出すや脱兎の勢いで廊下へ飛び出していく。
勢い余って階段をころげ落ちはしないかとヒヤヒヤさせられたが、最初は1段だけ慎重に降りてそこで止まったところをつかまえ、次に逃げ出した時は2〜3段まで行き、次は半分くらいまで、そしてついに下まで降りれるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
先住猫のマナとスピカは、普段もっぱら1階で過ごしている。その、いわば縄張りへと新参猫が入っていくのだから、これから一体どんなことが起こるかわからない。
この受け容れプロセスをうまく通過できないと、いじめなど、猫同士の不幸な関係が以後ずっと続くこともあり得る。
正念場だ。
姿勢を極め、意識を裡へ納め、呼吸をゆるやかにし、あわてず騒がず・悠然と観守っていくのみ。
<2012.01.14 水泉動>