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高木一行
龍宮館リノベーション工事を手伝う( 解体、ゴミの搬出、袋詰め、など)ため、ここのところ友人たちが頻繁に来広している。実にありがたいことである。関西とか九州など、遠隔地の人も少なくない。広島と神戸(在住地)と、半々の暮らしを始めた者までいる(ちゃっかり広島でも事業を始め、わが家の近所に家を借りてひと月も経たぬのに、もう注文が次々入り込んでいるらしい。本人によれば、「ヒーリング・アーツ(特に帰神フォト)の絶大なる御利益」とのこと。関東、東海方面などからの手伝い参加は、あまりに遠いので気持ちだけありがたくいただいて謝絶した。
昨日も、岡山と山口から友人2人がかけつけ、 窓ガラスを細かく割って袋詰めするという、ちと厄介な作業を担当してくれた。
途中、作業の様子を観[み]に行ったら、彼らは自分でもまったく気づかぬまま、格好の帰神フォト被写体を、超次元コラージュのように共作しているではないか。
友人たちによって割られ、積もり積もったガラスの破片が厚く重なって・・・まるで海の波紋みたいでもあり、近未来的なアート造形のようでもあり・・・・。
早速、愛機NikonD3Sにて帰神撮影した。
リノベーション工事たけなわの一大喧騒の中、幸福なる創造のひと時。
朋[とも]あり、遠方より来たる。また楽しからずや。
得られた帰神フォトの幾舞かを、急いでプリントアウトして土産に持たせたところ、非常に喜ばれた。喜ばしき哉[かな]、芸術の朋。
中には、原爆で溶けたガラスそっくりの質感を備えた作品もある(作品11、12、15)。私は昔、原爆ドームの隣を流れる元安川のかわべりに何度も通い、「ああいうの」を一杯拾ってきて集めていたことがあるのだが、それらを材料に使って「こういうの」を創りたかったのだと、今になってよくわかる。当時は用途がまったくわからず、ついには周囲の者より「気味が悪い」と取り上げられ、捨てられてしまった。
それにしても、キーボードというものの、この使いにくさはどうだ?
あんまりひどい(自分の手にしっくりこない)ので、以前あれこれ探し回っていろいろ試したが、どれもいまいちだった。
ちょっとしたことを変えるだけで、随分使い勝手が良くなって効率もあがるし、それを全世界標準にすれば地球規模の効率化が図れると思うのだが。
ところが、コンピュータ・ショップの店員などに尋ねてみても、こちらの意図が全然伝わらない。
どうやら現代においては、キーボードで文字を打ち出すという行為の本質を、「手が脳を使って思考(文字化)する」のではなく、「脳が手を使って自らの思考を文字化する」ことと、大半の人が認知しているようだ。
前者のような思考のあり方が実在することを、名人、達人クラスの書道家ならば知っているはずだ。頭(通常の思考)が一切介在しない境地にて、「自分」ではない者によって自ずから線が描かれていく体験。
<2012.08.26 綿柎開(わたのはなしべひらく)>