Healing Sound

ヒーリング・エッセイ 第11回 明と暗

 昨年10月、ヒーリング・アーツを学んでいるK.Yさん(埼玉県在住)から、「母が脳充血で倒れ、左半身が麻痺している」という連絡が入りました。倒れた女性(H.Y)さんは、22年前に高血圧で倒れたことがあったといいます。今回の脳充血も、高血圧が主因だったようです。
 こういう場合、適切な処置が早ければ早いほど回復率が高くなります。私はすぐに夫の指導にしたがい、ヒーリング・アーツ流の処置法をアドバイスしました。あわせて、夫による遠隔ヒーリング(遠距離を越えてヒーリング作用を通じさせるわざ)を時々行なうことになりました。
 この知らせを受け、同じくヒーリング・アーツを学んでいる関東地区在住の人々が、すぐにHさんが入院している病院にかけつけ、お見舞いがてら、熱鍼法やヒーリング・タッチを応用してのヒーリングにあたりました。

 Kさんのメールによるご報告を、以下に抜粋して紹介します。

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 10月15日
 今日は母のために遠隔ヒーリングを行なってくださり、本当にありがとうございました。開始時間の少し前から、母と一緒に合掌して祈りの姿勢を取り、待ちました。母は体の内側からビリビリした作用を感じたそうです。ヒーリングが終了した後、麻痺のためだらんとしていた左脚に力が入るようになり、仰向けで腰を浮かせることができるようになりました。これには、母自身も驚いていました。今回のヒーリングをきっかけに、もう治らないかもしれないという不安から解放されつつあるようで、何か決定的な変化が母に起きているようです。

 10月18日
 今日、ヒーリング・アーツ仲間の皆さんが母のお見舞いに来てくださいました。さっそく、美佳先生からのアドバイスにしたがって、麻痺していた左足の先端から熱鍼刺激を与えていくと、動かなかった足が熱さに反応して少しずつ動き出し、感覚もわずかながらですが戻ってきました。これほどの即効性があるとは思いも寄らず、驚いております。

 10月19日
 昨日は冷たくなっていた母の左足に温かさが戻り、熱鍼刺激による感覚も骨盤まで響くようになってきたということです。なんと、動かなかった左の膝が曲がるようにもなりました。ヒーリング・タッチと併せて、今日から背中への熱鍼法施術も行なっています。施術を受けた本人は「軽い! 夢みたい!」と大喜びでした。

 10月20日
 母の血圧が下がってきて、容態が急激によくなったので、ナースステーションから1番遠い4人部屋に移動となりました。動かすことはまだ難しいようですが、麻痺していた脚の感覚も大分戻ってきたようです。もう少し血圧が下がればリハビリに入れるそうです。毎日励行しているヒーリング・タッチと熱鍼法が、目に見えて奏効してきました。

 10月21日
 担当医によると、現時点での母の状態では、杖をついて歩けるようになることが目標だと言われました。ですが麻痺した脚の感覚は少しずつ戻ってきているのですから、何とか全治まで諦めたくありません。

 10月22日
 今日も友人たちがお見舞いに来てくださいました。頭、背中、腰、脚(足)などを丁寧にヒーリング・タッチしていただくだけで、全身が柔らかく軽く、楽になっていくそうです。母はリハビリで疲れきっておりましたが、おかげさまですっかり疲労が取れてリラックスした様子です。熱鍼法を行なうと、目や頭の重さが取れると言っております。

 10月24日
 美佳先生からいただいたアドバイス※にしたがい、脇腹に禊(みそぎ)マッサージを行なっています。そのためか血圧が大分下がってきました。ありがとうございます。

※高血圧の人は、脇腹が硬くなっていることが多い。脇腹を禊マッサージして柔らかくほぐすと、血圧も正常になってくる。禊マッサージについては、高木一行著『奇跡の手 ヒーリング・タッチ(ビオ・マガジン社刊)』に詳細が記されている。

 10月27日
 リハビリに疲れ切った母は、家に帰りたいと、病院で泣き出してしまいました。看護士と相談して1日帰宅できるよう手続きをしました。

 10月28日
 1日帰宅した母にイルリガートルによる腸内洗浄※を行ないました。また食事もご教示のとおり玄米菜食に切り替えました。病院ではこのような処置ができないのが残念です。
 左腕の麻痺は大分回復してきております。今はほとんど腕の麻痺が残っておらず、右腕と同様に動きます。簡単な家事もできるようになりました。家での母の様子は、一見するとどこも悪いところがないくらい、元気になってきております。

※イルリガートルによる腸内洗浄:ぬるま湯による浣腸。専用の器具(ネット通販等で入手可)を使えば、自宅で簡単に実行できる。現在、強力なデトックス効果のある健康・美容法としても注目を集めている。肥田式強健術(ひだしききょうけんじゅつ)創始者・肥田春充(ひだはるみち)も、病気治療に腸内洗浄を活用して難病・重病患者を数多く救い、自身も励行していた。

 10月31日
 今日も遠隔ヒーリングを執り行なっていただきありがとうございました。終了後、母は見違えるほど若返っていました。病気の人間とは思えないような活力が感じられます。脚の方も、動かせる範囲が大分広がってきました。

 11月3日
 今日も友人たちがお見舞いにきてくださり、全員で一緒に遠隔ヒーリングに参加させていただきました。ヒーリングが始まると、母は自分でゴロゴロと床を転がり、膝を床にこすりつけたりし始めました。母自身が動かそうと思っていないのに、自然に内側から動きが起こってきたそうです。母の生命力が活性化されたのでしょうか。とても半身が麻痺している人間とは思えないほどの軽さ、滑らかさで、見ていた私たちの方がびっくりしてしまいました。母自身も、日々自分の身体がよくなってきているのを実感しているようです。

 11月5日
 今日からリハビリ専門の病院に移動となりました。熱鍼法の施術を全身的に行なうことやヒーリング・タッチは毎日続け、腹八分目の食事と間食をしないことを守っています。

 11月7日
 ギプスをはめ、杖をつきながらですが、母は一人で歩いて買い物までできるようになりました。母の喜びようは口では言い表せないほどです。

 11月9日
 今日はしゃがむことができるようになり、母は大感激しております(昨日までできませんでした)。腸内洗浄を行なうと、お腹がすっきりするだけでなく、脚も軽くなると言っています。私の方が驚いてしまったのですが、杖なしでも歩けるようになってきています。
 今日で発病から31日経ちますが、ここまで回復が早いのは先生方のご教示、遠隔ヒーリングを執り行なっていただいたこと、熱鍼法やヒーリング・タッチ、関東地区の皆さんのヒーリングのおかげです。奇跡が起こったように感じています。ありがとうございます。

 11月15日
 いよいよ20日には退院できそうです。担当医からは、母には障害者手帳は必要ないと言われました。退院後は、週に1〜2回、リハビリのため通院する予定です。

 12月9日
 母にはもうリハビリも必要ないということで、通院しなくてもよいことになりました。脳内出血で倒れた場合、運良く回復したとしても普通3ヶ月くらい経たないと家事などはできないそうです。母は発病後40日くらいで家事をこなすようになりました。本当に奇跡的な早さの回復です。
 現在、母はほぼ完治したといって良いと思います。最初に入院した時には、「脳出血のように脳内で起こった病気は回復が難しく、健康体に戻ることがほとんどないので、完治ではなく、杖をついて生活できる状態を最高目標点に設定する」と医師に言われていました。それが今では、日常的なことは杖なしでも問題なく母1人で行なえるようになりました。当面は自転車や自動車の運転はしないと言っておりますが(笑)、そのようなことも可能と思えるくらい、以前にも増して元気になっております。
 途中、看護による疲労のため、私自身の方が参ってしまうのではないかと思ったこともあったのですが、ヒーリング・アーツ仲間のご協力によって乗り越えることができました。家族だけではこのような結果にはならなかっただろうと思います。高木先生、美佳先生、友人たちのお陰です。心より感謝いたします。母も礼を申しております。本当にありがとうございました。

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 奇跡的な回復を遂げたHさんのご家族は本当に喜ばれ、ヒーリング・アーツに感謝していらっしゃいました。遠隔ヒーリングに加え、ヒーリング・タッチ、熱鍼法、イルリガートルによる腸内洗浄、玄米菜食中心の食事など、自宅で実行できるシンプルな方法で、回復が難しいとされる症状も、難なく完治してしまったのです。
 一方、昨年11月、東京在住の私の叔父も脳溢血による半身麻痺で倒れてしまいました。私はさっそく、熱鍼法その他の簡易ヒーリング法を両親に教え、すぐ実行するよう勧めました。
 ところが、叔父が入院している病院の担当医が、「そんな怪しげな民間療法などもってのほかだ。だいたい半身麻痺になったら治る見こみはないのだから、おとなしく入院して私の指示にしたがっていればいい」と冷たくあしらわれたそうです。せっかくの熱鍼法も、腸内洗浄も、何の効果もないと決めつけられてしまったのです。
 約半年が過ぎた現在、叔父は病院でリハビリを受けているものの効果がまったくなく、左半身が麻痺したまま寝たきりで、ひとりでは何もできない状態です。そして、すっかり生きる気力をなくし、治りたいという希望すら失っているといいます。
 もちろん個人差もあるでしょうが、Hさんとは対照的な例です。私自身の身内だけに、非常に歯がゆい思いをしています。

<2009.04.22>

 付記 
 2010年3月20日、叔父はまったく体調が改善しないまま、誤嚥性肺炎で亡くなった。