10月3日、仔猫のマヤがわが家にやってきた。
こんなに小さな仔猫を飼うのは、初めてだ。
掌に乗ってしまうくらいの、小さな命が、日々、少しずつ、「ふくらんで」いく姿をみるのは、まるで奇跡をみているようで、本当に面白いし、生命の神秘をかいまみるようで、神々しさすら感じる。
夫が『ヒーリング随感3』第11回で書いたように、マヤを私の胸の上に乗せて乳首をみせると、夢中で口にくわえてチュッチュッと吸い始めた。夫が体を引っ張っても、ギュッとくわえて離れようとしない。
時々、左右の前足を交互に踏むように動かして、フミフミと「乳のみ動作」をする。
目を閉じ、胸の上にペタリとお腹をくっつけて、必至に乳首を吸っている姿の何と可愛いことだろう!
長い時では、30分以上、ひたすら吸い続けていた。強く吸われて乳首が結構痛くなったが、それでもマヤの幸福そうな顔をみていると、とても引き離すことができない。マヤとこうしてひとつにつながっていることが、私にとっても無上のエクスタシー体験だった。楽園にいるような、最高に満ち足りた気分なのだ。この時が、永遠に続いてほしいと本気で思った。
後でみてみると、乳首にはあちこち小さな傷ができて、カサブタになっていた。それでも、マヤに乳首を吸わせたいという、強い欲求が湧いてくる。もしかしてこれが、母性本能というものだろうか?
我が子にお乳を飲ませる時の感覚は、このようなものではないだろうかと想像する。
女として生まれてきたからには、この幸福感を知らないで一生を終えるのは損であると思えるほどだ。私たち夫婦は子供を持たない人生を意識的に選択し、そのことに一切後悔を感じたことはないが、マヤによって本当に素晴らしい体験をさせてもらったと感謝している。
ちなみに、この乳吸い行為は3日で終わった。今では乳首をみても、遊びの一環で噛んだりするだけで(かなり痛い)、吸うことはなくなった。短い一時だけの、本当に奇跡のような出来事だった。
「母親は、自分を犠牲にしても子供を優先する」という話を、以前実際に子育てしている女性から聞いたことがあるが、全然ピンと来なかった。「そんなことが、本当にあり得るのか!?」と思っていた。
ところが、マヤを育ててみると、まさにその気持ちがよくわかるようになってきた。マヤの生長から目が離せない。可能な限りそばにいて、一瞬一瞬を見守っていたい。自分のことより、マヤのことが気になってしょうがない。
母猫(『ヒーリング随感3 第11回』に出てくる、マナとスピカの母猫)が、毎年子育てが終わる頃、毛繕いが行き届かずボロボロになっていたものだが、なるほど、自分自身の身繕いが疎かになってしまいかねないほど、子(仔猫)育ては面白い。今も夢中になっている。
最初は全然、自分の名前がわからなかった。呼んでも、キョトンとしてソッポを向いていた。
どこをみているのかわからないような、焦点の定まらない目だったのが、今は、こちらをはっきりみかえしてくる。ある日のある瞬間から、こちらの存在を認識するようになったのだ。夫のいう通り、それを目撃するのは奇跡の瞬間に立ち合うことだ。
最近ようやく、「マヤ!」と呼ぶと、「ニャン!」と一声鳴いて返事するようになってきた。そんな小さなことが、すごく嬉しい。
追記
6月に特大サイズの帰神フォトをお送りした神戸のIさんからのその後のご報告によると、帰神フォトの御利益があり過ぎたか、尋常でない仕事量に毎日テンテコマイだそうだ。事業大発展は結構なことだが、満足な睡眠もとれないほどの忙しさというのはいかがなものかとも思う。
写真は私が庭仕事の際に使う帽子に入るマヤ(2011.10.25 撮影)。
帽子の中に、いつの間にかマヤが入って遊んでいた。
帽子ごと窓際まで運んで、ムービーを撮影した。後でそれを観た夫が、「ラフレシアみたいだな」と言った。
写っている手は、私の手である。
※世界最大の花・ラフレシアについては、『ボルネオ巡礼2009:第4回いやしの華やぎ』もご参照のこと。
1999年に夫と訪れたトルコ巡礼が契機となって、私のファースト・アルバム『メドゥーサ』が誕生した。
夫の勧めもあり、かねてより6曲目の表題曲『メドゥーサ』のオルガン・アレンジに取り組んできた。
アレンジというのは、新しい曲を創るよりもずっと難しい。原曲をそのままオルガンに置き換えると、薄っぺらになってしまう。そうかといって、まったく違う曲にしてしまっては、アレンジの意味がない。
オルガンの響きと女神メドゥーサのモチーフをクロスオーバーさせつつ試行錯誤を繰り返し、手足がSTM的に紡ぎ出す音楽を譜面に書き取りながら創作を進めた。
創った楽曲を演奏していると、ふと新しい閃きがやってきて、つぎつぎバージョン・アップしていくので、いつまでたっても最終盤にならない。
原曲の冒頭部分 約1分
原曲では、ハープ、グロッケン・シュピール(鉄琴)、ストリングス(弦楽器群)など、いくつかの楽器が折り重なっている。
この部分のメロディー、和音進行を、そのままオルガンに置き換えることもできるが、それでは二番煎じ的になってしまう。
そこで 同じモチーフを使って、バロック建築的に装飾を施した。ちょっと聴くと、違う曲に聴こえてしまうくらい変化した。
オルガン・アレンジ 約1分
仔猫マヤの注意を引きつける絶妙なタイミング、リズム、力加減を駆使する、猫拳の名手・スピカ。
背後で鳴っているカメラのシャッター音は、夫によるもの。
使用しているカメラの性能では猫たちのスピードについていけず、自動ですばやい連写ができないため、手動で「人間連写」を行なっている。