Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション1 第六回 遠隔ヒーリング・リポート(後編)

編集・文:高木一行

(前回からの続き)

遠隔ヒーリング3日目(午後1時)

 3日目の朝、痛みは少し残っていましたが、かなり動きやすくなっていました。
 そこで遠隔ヒーリングを受ける準備を整え、合掌して定刻を待ちました。 
 予告されていた通り、この日の遠隔ヒーリングは強烈なものとなりました。
 開始早々、合掌した手に激しい振動が起こり、さらにそれが全身に及んでいきました。太霊道の霊子顕動法れいしけんどうほう(注)が思い出されましたが、これほど強烈なものは初めてです。
 思わず合掌を解き、うつ伏せで両腸骨とヒーリング・タッチで触れ合いました。
 両手は激しく振動しており、動きを抑制すると振動が内向して胸郭の裡まで振動してきました。
 その振動が骨盤にも共鳴し始め、骨盤の骨それぞれが別個に激しく振動している状態になりました。
 あまりの気持ち良さと強烈な振動に、思わず声がでました。
 外に動きを表わすことを極力抑制していると、全身が振動に満たされていきました。
 なんと強烈な力であることか!!! 今まで味わったなかで最も強烈なヒーリング体験の1つとなりました。
 こうして私は、ぎっくり腰から生還したのです。

人生への洞察が深まる 

 遠隔ヒーリングを受けさせていただく者としての感謝と礼儀、身体調整などの意味から、3日間は水分とバナナを少し食べる程度の断食をして過ごしました(断食はあくまでも自発的に行なったもので、ヒーリングを受けるために必ず必要というわけではありません)。またその後も休息をしっかりとり、ゆっくり注意深く動くことを心がけ、適宜腰を調律したりしながら過ごしました。
 本文のタイトルに、ぎっくり腰からの「生還」と記したのは、決して誇張ではありません。と同時に、こうした話にありがちな、軽率な妄信や思い込みは、慎みたいと思います。
 奇跡的なほど急速にぎっくり腰が治ったのか、あるいはぎっくり腰というものは放置しておけば自然に治るものなのか、初めての体験のためよくわからないというのが事実です。
 ただ、周囲でぎっくり腰になった方の話を聴くと、普通は短時間で治るようなものではなく、暗示や思い込みで完治するなど、あり得ないと言われました。また、痛み止めの薬や注射を用いて動けるようになっても、また何度も再発することがあるといいますから、今後も油断は禁物と思っています。
 私の場合は痛み止めなど用いず、自然なプロセスを経て治癒したわけですが、そのプロセスが遠隔ヒーリングにより加速されたのではないかと考えております。
「遠隔ヒーリングは決して神秘的な作用や、特殊な能力を持つ者だけの特技ではない」と、高木先生はおっしゃっています。スイスの心理学者ユングは、互いに独立しているように見える島が海の底でつながりあっているように、人間も意識の奥底ではつながっているのだと説きましたが(原型論)、そうしたつながり(きずな)を経由して祈りの心を届けることは、実は人間にとって自然な行為なのかもしれません。 
 今回、自分の身心の在り方や普段の行動がぎっくり腰の原因になっていたという洞察が自然に起こり、日常から骨盤のバランスに気をつけるなど、ぎっくり腰になる前にはなかった自覚、意識、学びを得たことで、アンチ・ヒーリングの状況にあってヒーリングの種子を得るという、ヒーリング・アーツ、龍宮道の真骨頂とも言うべき貴重な体験をさせていただきました。

いやしの道の探究と分かち合い

 このように身体のみでなく、感情や思考(考え方)、在り方(存在)の変化といった人間まるごとに起こるいやしの体験を「ヒーリング」として、私達は高木一行先生のご指導の元で探求してまいりました。そして自他のヒーリングへの洞察や、その分かち合いを通じ、調和に満ちた世界への祈りとして、目立つことはなくとも一隅を照らさんとの意気をもって、少人数(十名余)での活動を続けてきたのです。
 仲間内だけで盛り上がって、それで完結することをよしとせず、かといって自分たちの価値観を決して他者に押しつけようとはせず、ただ部外者の方々と何らかの出会い、ご縁があった際には、持てるすべてを惜しみなく分かち合うことを常々心がけてまいりました。
 しかるに現在の私達は、裁判所の保釈条件中に高木一行先生と直接お会いしてはいけない、直接連絡を取り合ってはいけないとの理不尽なる一文があるために、直接伝授を通じて、身心の調律や人間としての成長を探求する機会を奪われております。
 このような条件は、証拠隠滅などの怖れがある場合には妥当であっても、一般的に今回のような事例で適用されることは異例である旨、弁護士や社会学者の先生方から伺っております。検察側からすれば「反抗的」であろう高木先生に対する、単なる「嫌がらせ」ではあるまいか、と。高木先生の保釈金についても、「ヤクザの親分以外、聴いたことがないような高額!」と驚かれました。
 インターネットを通じて、この裁判のほとんどの情報をオープンにしている現状においては、上記のような保釈条件はまったく意味のないものであり、日本国憲法に定めた国民の権利を侵害するものではないのか、とすら私には思えるのです。裁判所の方々が、この拙文を目にされる機会がありましたら、是非ともご一考いただきたいと願う次第です。
 私達は、社会に害悪をなそうと図ったり、社会に背を向けて独自の価値観の中で自己完結することを願ったりしたことなどは、これまで1度としてありません。それどころか、何らかの形で社会に貢献したいものと願い、そのために努力し、精進してまいりました。
 そのように断言できることは、私の誇りであり、そうした誇りを共有できる友人たちに恵まれたことは、かけがえのない人生の宝です。
 ヒーリング・ネットワークの活動内容は、インターネット上に記録されていますから、その一端なりともご照覧いただければ、私の言葉に偽りがないことを直ちにおわかりいただけると思います。

 最後に、このような機会を与えてくださった高木一行先生、高木美佳先生、ならびに共に祈ってくださった友人たちに、満腔の感謝を捧げます。

(終わり)

(注)太霊道に関しては、ヒーリング・ディスコース「ヒーリング・アーティスト列伝 第2章 超越へのジャンプ ~田中守平(太霊道)~」で詳しく紹介されています。高木先生の遠隔ヒーリングは、太霊道のメソッドに起源を持つものです。 

筆者プロフィール:東前公幸ひがしまえきみゆき

 1974年生まれ。病弱な幼少時を過ごしたことから、健康法や武術などに関心を抱くようになり、独学で研究を始めた。青年期に、高木一行師の雑誌記事と出会い、感銘を受けたことをきっかけとして、当時師が主宰していた講習会に参加、次々に示される驚くべきわざの数々を実際に体験して衝撃を受ける。その後、高木師が提唱する心身修養の道にますます魅了されると共に、その人柄や生き方にも深い共感を覚え、直接指導を受けるようになった。現在、「龍宮道・京都修練会」の準備中。


◎これまで見かけたことがないような海の食材が、時々近所のスーパーでも売られるようになった。カメノテ(亀の手)もそのひとつ。ヨーロッパでは高級食材という。
 龍宮館(自宅兼アトリエ)では、カメノテみそ汁が時折、朝食に出る。

カメノテみそ汁

クリックすると拡大(以下同様)。

◎小いわし(カタクチイワシ)漁が解禁となり、魚屋の店頭に山盛りの小いわしが並び始めた。
 新鮮な小いわしの身を1匹1匹丹念に手際よくぎ取り、氷水で丁寧に洗って引き締め、刺し身として供するわざは、瀬戸内男子ならば誰もが身につけておくべきたしなみの1つとされ、実際、このわざを持っていると他都道府県の女子おなごにもモテモテである。
 醤油、酢、味醂みりんを1:1:0.5の比率で混ぜ合わせたものに、すり下ろしたショウガを入れる。カボスなどをしぼるとさらに風味が増す。これに2~3切れの身をさっとつけ、すばやく口へ運ぶ。
 サヨリの刺し身にも相通じるところがあるが、独自の、馥郁ふくいくたる香りと味わいがある。
 小いわしは刺し身の他にも、唐揚げ、てんぷら、つみれ汁など、いろんな料理法があってどれも皆うまいが、これら広島県の郷土料理も龍宮館レシピに当然含まれている。
 そういえば以前、阪神淡路大震災で被災し、神戸から広島に移住してきた人たちが、「広島に越してきて何が良かったかといえば、あの小いわし! あれがおいしくてねえ」、などと話していた。

小いわし
小いわしの刺し身

 魚偏さかなへんに弱いと書いていわしと読む。
 海洋民族でなければできない発想といえるが、そのか弱い鰯が自らを犠牲に捧げて他の魚たちの食べ物となることで、海の生態系が成り立っているのだ。
 そうした献身と犠牲の精神スピリットを、私は鰯を調理し、賞味するという行為を通じて学び取っている。

<2021.04.24 霜止出苗(しもやみてなえいずる)>