Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション1 第七回 化け猫

文:高木一行

◎省みて自らに問う。「刑務所から出た後、人間性を取り戻せたと感じているか・・・?」 
 部分的には。しかし、すべてではない。
 だから、本来の意味におけるリハビリを兼ね、こうして自由連想的に言葉を綴っている。リハビリの語源は、ラテン語の「re(再び)+habilis(適した)」で、「再びあるべき状態になること」、即ち、権利の回復とか社会への復帰などを指す。
 全人間的復権(上田さとし)。中世ヨーロッパでは、騎士の名誉回復とか、教会からの破門の取り消しが、リハビリテーションと呼ばれたそうだ。無実の罪を晴らす、という意味もある。

◎猫は3年の恩を3ヶ月で忘れるというが・・・4年以上も留守にしていた私の帰還を、我が家(龍宮館)の猫たちは、まるで何事も起こらなかったかのように、ちょっと留守にしていただけみたいに、かつてとまったく同じ親しげな態度で出迎え、甘えた。長い長い空白は、一瞬にしてうずめられた。
 猫の1年は人間にとって4年に相当するとされていることを思えば、これは一つの奇跡なのだと思う。

◎ヒーリング・ネットワーク1のウェブサイトでは、新しく迎えた仔猫マヤと、長老格の兄弟猫・マナ、スピカとが、出会い、心を通わせてゆき、穏やかな輝きを放つ素敵なキャットライフを織り成してゆく過程が、妻と私の帰神フォトによってアート作品化され、多数<奉納>されている。私たちは常に、「奉納」(神々への捧げ物)という意図をもって、「ああいうこと」をやってきた。

マナ、マヤ、スピカ

左がマナ、右の上がマヤ(尻尾が長い)、下がスピカ。 クリックすると拡大(以下同様)

 いつもマヤに親切で、マヤから母親のように慕われていたスピカ(雄猫)は、私の留守を守る妻を慰め、励ますようにずっと寄り添い続けたが、私が戻る半年ほど前、ついに力尽きて、この世での生を終えた(享年18歳)。

スピカ

在りし日のスピカ。「みにねこ」と呼ばれ、しばしば小猫と間違われたが、この写真は13歳の時のものである。

 兄弟猫が死ぬと、残された猫も大体半年以内に逝く、と言われるそうだ。が、マナは私が戻るまで頑張り続け、すでに足腰がえ、歩行にも困難を来たし始めていたが、それでも時折テーブルの上に一気に飛び乗って私たちを驚かせたり・楽しませたりしながら、時折好物のそばをたしなんだりして、悠々自適の最晩年を送っていた。
 しかし、昨年秋に私が鳩間島巡礼から戻る頃、寝たきりとなり、間もなく静かに息を引き取った(享年19歳)。
 その直前、元気だった頃のマナが楽しげに屋敷中を駆け回っていた時みたいに、歓びを周囲に振りまくような感触がどっと周囲から押し寄せてきて(この感覚は、今でもマナに思いを馳せると直ちによみがえってくる)、「開放(ほどけ)」を満身で感じた。
 以下にご紹介する帰神スライドショーは、昨年5月末に出所した直後から1ヶ月間に渡るマナの様子を収めたものだ。私のスライドショー作品はすべて、部屋を暗くし、PC画面の明るさを中間に設定した状態で観照(観賞)することを前提として制作している。

◎そして今、マヤひとりが残された。
 マヤの友として新しい猫を、という気持ちがないわけではない。が、猫の一生に責任を持つための時間(自身の余命)ということを考えた時、そして今後、真理宣明と伝授のため、龍宮館を空けがちとなって新入り猫のため充分時間を取ることができないであろうことをおもんぱかり、躊躇ためらわざるを得ない、というのが現状だ。
 どうなるかは、いずれ猫自身が決めるだろう。

◎聴いた話だが、人間が犬や猫に当たり散らして強く叩いたりすると、それが原因で早死にすることが往々にしてあるそうだ。我々が巨人に殴られればどうなるかを想像してみれば、充分あり得る話だと思う。今は、犬も猫も大切にされるようになったが、昔は平気で叩く人間をよく見かけた。
 犬猫に限らないが、「肝がつぶれる」という言葉通り、ひどくおびえると肝臓に実際に障害が残り短命となる、と民間療法の世界でされていることも、確かにそうなのかもしれないと思う。
 以前、5にんの猫と暮らしていた時、朝食を催促して朝一番に我々を起こしに来るはずの黒猫ルシファーの様子が、ある朝ひどくおかしい。ベッドの下に隠れ、まるで幽霊でも見たかのように、目を真ん丸に見開いてぶるぶる震えている。
 人間と一緒に寝ていた他の4にんは普段通りだが、早く起きて階下を見回っていたルシファーは、何か危険なものと出くわしたに違いない。
 すぐ家中を調べたら、案の定、庭側の掃き出し窓から泥棒が侵入し、わずかな現金を盗んですでに立ち去った後だった。その泥棒が、人懐こいルシファーを脅しつけたか、あるいは暴力を加えたのだろう。
 ルシファーは、その後体調がすぐれなくなって病気がちとなり、最後は大量に血を吐いて死んだ。

◎こんなことを書いているのは、私を不当逮捕するため、警察官や税関職員どもが大挙して龍宮館に突如乱入し(捜査令状や逮捕状を示すことさえなく、サンルームの扉を強引に押し開け無理やり入ってきた)、チンピラのような口調で怒鳴り散らしつつ、あちこちひっくり返して家捜しする狼藉ろうぜきを働いた際、猫たちがひどくおびえ、それが後々までトラウマとなって、「怖い人たち」を警戒し、見張るそぶりがなかなか収まらなかったからだ。それが猫たちの心身の健康に影響を及ぼし、寿命にまで影を落とした可能性が、あながちないとも言い切れぬ。
 マヤなどは、近所で車のドアを強く閉める音がしただけで、すっかり寛いでいたものがビクっと全身を緊張させ、耳を寝かせてあたりの様子をうかがったり、さっとどこかへ逃げてしまったりするようなことが、今でも時折ある。
 あの、ヒーリング・ネットワーク1のウェブサイトに記録されているような、明るく無邪気な天衣無縫さは、永遠に失われた。
 人間同様、猫にもリハビリのためのヒーリングが欠かせないわけだが、奪い去られた猫たちとの濃密な時間を思う時、いつしか注意が古代エジプトの復讐の女神セクメトへと向きがちとなるのは、呪術家としてはあるいは正しい在り方なのかもしれない。
 私個人に対する弾圧・抑圧については、社会的な問題は別として、個人的に何らの恨みも怒りも、いだいてない。すべて禊祓みそぎはらい、浄化して、きれいさっぱりとしている。
 が、猫たちに対する不敬については、この限りにあらず。私が許しても、神が許さぬ。
 はっきり無罪とわかった上で、反逆者(既成の価値観や考え方に疑問を突きつける者)への見せしめ、懲らしめのごとく、事実をねじ曲げ、ありもしない罪をでっち上げた警察・検察・裁判所の不浄なる三位一体に対しては、・・・復讐の女神の神罰が下って当然ではあるまいか?

◎実は、裁判の期間中、妻を女神のしろ(巫女)として頻繁に執り行なった帰神儀礼において、一夜、セクメト女神の顕現をみたことがある。
 その御姿を、帰神フォトによって写し撮り、短いスライドショー作品としてまとめ、インターネット上で(限定的に)<奉納>ずみだ。
 こうした女神シリーズは、そこに込められたマナ(御神気)があまりにも強烈、否、激烈すぎて、しばしば外界(世界)の天変地異や諸種の災厄などとリンクすることがあるため、これまで一部の熱心な理会者、奉賛者のみに限定して公開してきた。・・・のだが、卑劣な弾圧の試練を乗り越えて今、「呪術」を新たに標榜ひょうぼう(主義主張などを掲げて公然と示すこと)しようとするのであれば、今後、時期をみながら、少しずつ「御開帳」の機会を設けてゆくべきであろう。
 そうやって、人類への呪術をより一層、加速アクセレートさせる。

◎かつては、世の中が良くなるように、より暮らしやすくなるように、と祈っていた。
 今は、人間の世界のためだけに祈るのでなく、あらゆる命の世界(地球)のため、呪力を込め祈っている。
 地球調和のために良いことが、人類にとっても良いとは、必ずしも限らない。しかし、大局から観れば最終的に、人類自身にとっても真に「善い」ことにつながると信じている。

◎母方の祖母が佐賀県出身で、佐賀にルーツの一端があるからなのか、あるいは実家にいつも猫がいたからか、「鍋島の化け猫騒動」物語に、子供の頃から異様なほど引きつけられてきた。
 私は常に、化け猫の味方である。君主の不興を買って惨殺されたあるじの無念を晴らすべく、化け猫となってたたる猫のあっぱれさ・可憐さには、今でもひどく胸を打たれる。 
 愛猫マヤ嬢は、今年の秋、十歳を迎えるから、そろそろ立派な<化け猫>の仲間入りだ。深夜の書斎にて、マヤお気に入りの大きなクッションで一緒に寝ころびながら、ごろごろにゃんにゃんと楽しくやっている時、ふと<化け猫>あるいは<呪術猫>のおもむきをマヤの表情に感じることが、ここ最近、しょっちゅう起こるようになってきた。
 マヤは、推定生後1ヶ月くらいでわが家にやってきた当初、「お座り」でも「お手」でも「輪くぐり」でも、1、2度教えただけですぐこなしてしまう芸達者ぶりで(その様子がヒーリング・ネットワーク1のウェブサイトにいくつかの動画として収められている)、妻と私の帰神儀礼の場にも毎回礼儀正しく参列し続けた結果、石笛いわぶえに感応し、帰神(神懸かり)状態となって超越の舞を舞うに至った。
 その時マヤ、若干1歳4ヶ月。
 生涯に1度だけ舞われる「秘の舞」。試練がまさに始まろうとする直前の、象徴的な出来事であった。
 幸い、その一部始終を帰神撮影し、奉納作品としてまとめることができた。この作品は、裁判中、猫からの激励としてインターネット上で公開したが、次回はそれを再録し、私たちの歩みを暖かく観守ってきてくださった皆さんと分かち合って、共に驚き・楽しみつつ、女神への奉納として地球調和の祈りを捧げたいと思う。
 古代エジプトで崇拝されたバステトは、陽気で愛情にあふれた猫女神だ。人間を病気や悪霊から守護し、多産のシンボルとして豊穣や性愛を司り、音楽や踊りを好むとされた。
 が、猫の迫害者や猫好きを弾圧する者たちに対しては、一転、凶猛で残忍な獅子女神の相を顕わす。
 エジプト神話でバステト(セクメト)は元々、最高神ラーが自らの片目をえぐり、人間に罰を与えるため解き放った、復讐と破壊と殺戮の女神だったのだ。

マヤ

マヤ(クリックすると拡大)

<2021.04.27 霜止出苗(しもやみてなえいずる)>