文:高木一行
◎前回予告した帰神スライドショー作品を、皆さんと分かち合いたい。
まず最初に、前座(オープニング・パフォーマンス)としてお目にかける『アタック・にゃんバーワン』は、2013年9月に不当逮捕され翌年1月末に保釈された後、数ヶ月に渡って少しずつ撮りためた作品をまとめた小品だ。裁判の守勢を転じて攻勢に移り、「(国家による違法行為の数々を)叩いて叩いて叩きまくって、崩撼突撃(山をも揺るがし、山をも突き崩す)!」との強烈なメッセージを、龍宮館のアイドルキャット、マヤ嬢(当時2歳半)と共に(楽しく)叩きつけようという趣向だ。
スライドショーとクロスオーバーしたのは、高木美佳のオリジナル曲『カニのワルツ』。2011年に執り行なったパラオ巡礼が契機となって生まれた『レインボーズ・エンド』シリーズの1つだが、かつて日本の委任統治領であり現在も深い絆で結ばれているパラオという国の、とりわけ<自然>にご関心がある向きは、ヒーリング・ネットワーク1のウェブサイト内で公開している巡礼紀行『レインボーズ・エンド』を是非、ご照覧あれ。<生命>への私たちの讃美と崇敬と祈りが、当時も、今も、常に一貫していることが直ちにおわかりになるだろう。
スライドショーをご覧になる際は、例によって部屋を真っ暗にし、PC画面の明るさを中間に設定、さらにヘッドフォンを使えば、スピーカーでは聴き取りにくい音の細やかな陰影や、複雑精妙なる独特の建築的音像構成が深く味わえる。
◎続くは、いよいよ高木マヤによる超絶の奉納帰神舞。
帰神とは元来、古神道における降神術を指す言葉だ。そこに最新の光学テクノロジーとコンピュータ・システムを導入し、いわば21世紀流の帰神法とでもいうべき新たな「超越的なるものとの交流」の形を、芸術的に表現しようとする試みに、不当逮捕の前後数年間、妻と私は没頭していた。
簡単に言えば、<カミ(Godの訳語である一神教的な神ではなく、いわゆる八百万の精霊を指す)>の御神気を写真作品の裡に写し撮ること、といえようか。
それは、新たな時代を統べる価値観・原理を、神々という形を通じて表現しようとすることであり、新しい神々の芸術的創造、という言い方もできるだろう。
が・・・・しかし・・・・猫の帰神舞とはこれいかに?!
まさか、猫が帰神状態となって神を宿し、神楽舞を奉納する・・・というわけじゃあ・・・あるまい・・・?
と、誰しもがお考えになるだろうが、どっこい、その「まさか」が現実に起こってしまうのが、龍宮の道なのだ。
対等な生命として、人間が十全なる敬意をもって接すれば、猫もそれに十全に応える。
それは時に、信じ難いほどの奇跡的な現象となって顕われることもある。
2013年冒頭のある夕べ、その夜予定していた帰神撮影の準備を整えていた時のこと。
龍宮館リビングの照明からランプシェードを外して床に置いておいたら、ふと気づくとその中にマヤが入り込んで丸まっている。
好きなようにさせておいて、帰神法に用いる石笛(自然石に自然に穴があいただけの、縄文時代から使われてきた人類最古の楽器)を試しに吹いていたら、何か異様な雰囲気がランプシェードから立ち昇り始めた。
近寄ってみると、マヤの目が完全に別猫となっているではないか。
これはいかん、と急ぎカメラを用意し、構えた途端、「それ」が始まった。
強烈な御神気が、ランプシェードの中でうずくまるマヤの裡へと注ぎ込まれ、螺旋状に渦巻く。
マヤの表情がみるみるうちに変貌を遂げてゆき、時に龍神の顔が重なって観えることも・・・。
圧倒的なエネルギーの高まりに押し返されるようにしてじりじり後退すると、ランプシェードがゆらりと動き、90度回転して・・・・・立ち上がった・・・!?
さらに斜めになって、倒れるかと思いきや、傾いたまま絶妙なバランスを取りながら、ゆらり、ゆらゆらと揺れ続ける。
どうやら「意図的」に行なっているらしい。
一言だけ申し上げておきたいのは、「そういうこと」をマヤがするのはその時が初めてであっただけでなく、普段は天井から吊り下げられているそのランプシェードの中にマヤが入るのも、初めてだったということだ。
トリックとか訓練など、一切、ない。
にも関わらず、まったく初めてそれをするとはとても思えないような、練達の風格さえにじませつつ、愛猫マヤがランプシェードをたくみに使いながら、舞う、舞う。
さっと引っ込んだかと思うと、またちょっと顔をのぞかせたり、斜めに立てたランプシェードの中に腰かけた態勢で、ゆらゆら揺り動かしたり、足だけ出してみたり、・・・・明らかに、意図的に、<舞って>いる!
夢中になって撮りながら、全身が総毛立つような悦ばしき戦慄が幾度も走り抜けるのを感じた。
この奇跡の場面を首尾よく写真作品に収め得たのは、単なる偶然や幸運によるものでは決してない。超越的な意思が、そうすることを「ゆるした」のだ。
大の、がつくほど猫好きという方であればすでにご存じと思うが、猫の中には特別な資質を生来持つものが確かにいる。魔法猫とか神猫と呼ばれたり、年取ってから化け猫と恐れられるような猫がそれだが、そうした猫は石笛の音にも鋭敏に反応し、たちまち普段とは違う行動を取り始めるものだ。
よくあるのは、石笛奏者とか周りにあるものにやたらに噛みつく、という行為だが、本気で攻撃しているのでもない、甘えてやさしく噛んでいるのでもない、奇妙な噛みつき方に特徴がある。
まるで、「ほらほら、<来て>ますよ。わかってる?」と熱心に伝えようとしているかのように。
噛み=カミ=神・・・・・!??!
決して冗談ではなく、それは神々と猫による宇宙的ジョークを併せ含むメッセージなのだと、私はずっと感じてきた。
が、通常「そういうこと」が起こり始めるのは、豊かな才能を持つ猫が、シャーマンや魔女の助手を務めつつ、特殊な訓練を受けながら、少なくとも10年以上生きた後のことであって、本スライドショーに収めた現象が起こった時、マヤはわずかに生後1年4ヶ月・・・!
生後約1ヶ月でまだ完全に乳離れもしてないうちに親兄弟から引き離され、ペットショップの里親募集コーナーで私たちと出会ったマヤは、自らのレゾン・デートル(存在意義)を必死に示そうとするかのように、「できる」ところを存分にみせつけ、その様子をありのままに写したムービーをヒーリング・ネットワーク1のウェブサイト内でもご紹介した。
ちょっとした息抜き、または軽いジョークとして、それらの動画を楽しみながら観ているうちに、「これはひょっとして、とんでもないことなのでは・・・」と気づいた人たちも少数ながらいて、そういう鋭い感性を備えた人が実際にマヤと向かい合うと、普通の人間にはわからない「何か」が観えたり、感じられたりするらしい。
本作のタイトルを何にしようかという段になって、マヤの帰神舞に対する審神の役割を、充分果たしてなかったことに気づいた。
この舞は何を表わしているのか・・・。ヤドカリ、と当初は何となく思っていたのだが、改めて1舞(枚)1舞のフォトをよく観ると、どうもヤドカリ以外の「何か」を感じる・・・・、と苦労していた時、PC画面に向かって作業中の私の膝の上にマヤがひょいと飛び乗ってきた(私はすかさず椅子の上であぐらの態勢に入り、マヤを受け止める)。
マヤのごろごろサウンドを浴びているうち、覚えず知れず、「まいまい」という言葉を、私はつぶやいていた。
と同時に、『梁塵秘抄』に収められた「舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり)、舞はぬものならば・・・」の歌謡が電撃のように脳裏を一閃し、「マイマイ(カタツムリ)」の語源は「舞い舞い」からきており、そのマイマイは螺旋状に渦巻く貝殻を生み出しながらその中で暮らす螺旋状の生き物であって、マヤの帰神舞にこれほどふさわしい題名はないじゃないかと気づき、「なるほど『まいまい』かあ、『まいまい』だね!」と膝の上のマヤに声をかけたら、「ようやくわかってもらえましたか」と言わんばかりに、機嫌よくごろりとひっくり返って腹をみせ、より一層盛大なごろごろ音が鳴り響いた。『まいまい』は『舞い舞い』であり、『My 舞』なり。
ちなみに皆さんはご存知だったろうか。あのごろごろサウンドを猫が一体どうやって発しているのか、現代の最先端の科学をもってしても、いまだに解明されてないということを。
ごろごろ音にはストレスや痛みを軽減し、怪我や骨折の治癒を早める効果があることが、科学的に証明されている。どこかに痛みや不快感を感じている時、鋭敏に察知した猫がそっと寄り添ってきて、ごろごろ音でヒーリングしてくれた(それは実際によく効く)という体験を持つ猫好きの皆さんは、少なくあるまい。
舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり)、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてむ、踏み割らせてむ。
まことにうつくしく舞うたならば、華の園まであそばせむ(『梁塵秘抄』)。
それでは前置きはこれくらいにして、スライドショーをどうぞ。
この作品だけは、もし暗い部屋で観照(鑑賞)できないのであれば、どうか「観ないで」いただきたい。暗い場所での観照を前提として、私たちのあらゆるスライドショー作品は明暗等を細かく調整してある。部屋を暗くして心静かに向かい合うことは、我々の作品を観照する上での基本的なルールであり礼儀といえるわけだが、もちろんそれを強要するつもりなどさらさらなく、観照者の自発性にすべて委ねている。明るいところで見るのも悪くはないけれど、暗いところで観た方が、ずっと面白いし、もっと楽しめますよ、と。
しかしながら、本作のような強い御神気をはらむ作品に対し、「面倒くさい」といった身勝手な理由でルールを破りながら適当に向かい合おうとすることは、「神聖なるもの」に対する無礼であり不躾であり不敬でもあって、当人の魂のために決してよろしくない結果を招くことは間違いない。
なに、簡単なことだ。気に入らない人は見なければいい。
スライドショーとクロスオーバーされているのは、高木美佳の『龍宮』。1999年、沖縄最高の聖地として今も崇められる久高島へ巡礼したことを契機として生まれ出た曲だ。この時の巡礼が、現在の龍宮道へと至る霊的探究の旅路の原点となっている。
<2021.04.29 牡丹華(ぼたんはなさく)>