文:高木一行
◎龍宮道は宗教なのか?
古い宗教における信仰のようなものと、龍宮道は無縁であり、入信すれば何か御利益があるとか、死後の極楽往生が保証されるとか、そういった約束など一切しないし、元来、約束できるような事柄でもあるまい。
有名な臨死体験はあくまでも「死を目前にする」体験であって、本当に死んで戻ってきた者は誰1人としておらず、前世の記憶なるものもいまだ科学的に正式に認められた事例は1つも存在しないのだ。
だから、死後のことをあれこれ約束して現世のあれやこれやと交換しようとするなど、これ以上悪質な詐欺はないわけだが、誰もそのことに気づかないし、文句を言う者もいない。
刑務所の中で、何かいい儲け話はないかと常習詐欺犯に尋ねられたことが何度かある。「ありもしない死後の世界を騙り、人間の心の弱みに巧みにつけ込む組織宗教こそ、究極・最大の詐欺行為だ。完全に合法で、おまけに政府が免税までして助けてくれるというんだから、これ以上うまい儲け話はない。それをやったらいいじゃないか」、と教えてやったら、誰もが皆、絶句していた。
龍宮道は、宗教という言葉で一般の人が連想するあらゆるものごとから完全に自由だが、宗教という言葉そのものが本来意味していた「宗の教え」(生きることの本質、人生で最も大切なこと)からすれば、極めて「宗教的」といえるのかもしれない。
その独自の宗教性を、私は<呪術>と言い表わしている。
◎<死>は平等であり、公平だ。いかなる者も、必ず死と出合うことになっている。誰も、それを避けることができない。
あなたは、自分自身の死と真っ正面から向き合い、愛を込めて死を抱擁する準備がすでにできているだろうか?
死を真にトータルに受け容れると、勇気を死から汲み上げることができるようになる。
死へと通じる扉は、我々の下腹部に秘め隠されている。いわゆる臍下丹田だ。
◎指導者に質問し、「自分自身で考え、自分自身で気づきなさい」という答えが返ってくることはあり得る。が、毎度毎度その調子で曖昧にするとしたら、その指導者は、実は自分でもよくわからないので、謎めかしてごまかしているだけなのかもしれない。
そんな類いの「指導者」を、これまでいっぱい見てきた。
◎囚人は皆、スイーツ男子である。
これまで甘いものが苦手だった者も、刑務所でしばらく過ごしているうちにスイーツ好きになる。甘いものを口にする機会が極めて少ないことと、甘さには人に幸福感を感じさせる作用があるからだ。
今回は、刑務所名物・プリンパンの作り方を伝授しよう。材料はコッペパンと市販のカップ入りプリン。ごくたまに食べられる「これ」が、最高の御馳走と言う囚人はかなり多かった。
※このプリンパンの作り方は、全国の刑務所に共通しているようだ。まさに、刑務所名物と言えるだろう。
◎オットちゃん ザ・ムービー
◎裁判期間中の過去資料を整理していて、面白いものが出てきた。
2015年5月24日午後、妻が運転する車で西広島バイパスを走っていた時、この瑞雲(瑞祥雲)を発見した。急いでバイパスを降りて適当な撮影場所を探し、妻のスマホを借りて帰神撮影したのだが、この時点ですでに色の鮮やかさがかなり薄れてきていた。
それでも、今改めて観ると、五色の龍が絡まり合うかのごときであり、何だかめでたい気分になってきたので、皆さんと分かち合いたい。
「龍擧而慶雲属」、龍が天へ昇る時、慶雲(瑞雲)がまとわりつく(『淮南子』)。
◎友人がキノット(イタリア・サヴォーナ名物の柑橘飲料)を送ってくれたので、海老とタコぶつ切りのアヒージョと合わせた(アヒージョの後ろの瓶がキノット)。
<2021.06.05 蟷螂生(かまきりしょうず)>