文:高木一行
◎タイやマレーシアなどの東南アジア諸国を旅したことがある人なら、写真に写っているような貝をどこかで口にされたことがあるかもしれない。
私はそれが大の好物で、東南アジア旅行中は必ず毎日1度は食べないと気が済まないほどだが、裁判中(2013~2016)、海外への巡礼もままならない状況を龍宮の神々が哀れと思し召したか、あるいは、私の強烈な一念が物体引き寄せの魔術を演じたのか、理由はよくわからねども、「さるぼう貝」なるものが、突然、近所のスーパーで売られるようになったのである。長いこと広島で暮らしているが、初めてのことだ。
さるぼう貝というのは赤貝の仲間らしいが、これが東南アジアで広く食されている貝と同じものなのかどうかは知らない。
が、外見も中身も味もそっくりだ。
ぐらぐら煮立った湯に放り込むと、すぐ口を開くから、手早くざるにあければ出来上がり。ゆで過ぎては芳醇な風味が台無しとなる。
指で貝をあけ、箸で中身を取り出し、あらかじめ用意したソースにディップして、口へ運ぶ。
ソースは市販のスイート・チリソース(スーパーの中華食材コーナーにあり)でも充分だが、龍宮館ではシンガポール製のチリペーストを少々加えることで味に奥行きと幅を出し、ライムなどの柑橘を搾って味を引き締め、さらに香菜(パクチー)を散らすことで東南アジア旅情を添える。
手に取る、殻をあける、ディップ(ソースにつける)、食べる。
黙々として、ひたすらそれを繰り返す。
写真の量で、1~2人前。あっという間になくなる。
来客時には、山盛りにしたさるぼう貝を皆で囲み、ただ黙々と味わう。
これを称して「さるぼう会」と言う。
貝殻の山が目の前にどんどんできてゆくのを眺めていると、何だか自分たちが縄文人になったような気がしてくるから愉快だ。
◎縄文で思い出したが、龍宮館が建つこのあたりは、現在山の麓にあって瀬戸内海の島々を遥かに観下ろす高台となっているが、縄文時代にはすぐそばまで海岸線が迫っていたといい、貝塚などが多数発見されている。高校時代、私も1つ発見して(勝手に)発掘したことがある。
なぜだかわからないが、突然ある場所が気になって仕方なくなり、園芸用の小さなスコップで実際に掘ってみたら、相当古い時代の貝殻がいっぱい出てきた。
貝塚であると直感したのだが、後で地域の考古学に詳しい友人から聴いて、それが事実であったことを確かめた。
今考えてみると、何の変哲もない、道路脇の「そこ」を、なぜ突然掘り返したくなったのか、奇妙な話ではあると思う。
◎最近、さるぼう貝の入荷が激減しているようだ。
今は、普通の大きな赤貝を殻から出し、丸ごとさっと熱湯に通して、適当に切り分けたもので代用している。こちらもなかなか美味なのだが、さるぼう貝のような縄文フィーリングは、残念ながら味わえない。
◎第九回でご紹介した龍宮館のペット・スネーク、まろばし嬢の子供時代の写真が出てきた(2015.07.05撮影)。この頃は、まだ目が怖い。
まろばしは、北米産のブラックラットスネークという種類だが、元来、漆黒のボディが反転してこうなった。いわゆるアルビノと違って目が赤くない(白変種)。
子供の頃は、全身がエクリュベージュ(生成り色)を帯びているが、成長に伴い白磁のような美しい純白へと変化してゆく。まろばしの場合、なぜか子供の時はなかったほくろのような小黒点が全身に現われてきて、それがチャーム・ポイントになっている。
ヒーリング・タッチで触れ合うと、すべすべもちもちしていて気持ちいい。聴いた話だが、蛇たちがタッチ・セラピストとして活躍する美容サロンが、イスラエルにはあるという。フィリピンでは、横たわった上から何頭もの大蛇(ニシキヘビ)に乗ってもらうアトラクションが体験できるらしい。楽しそうである。
◎ウェブサイトで言葉のいろんな新しい使い方を試みているのは、私が発見し、伝えようとしていることは、古い言葉によっては表現できないからだ。否、むしろ、誤解へと導く可能性すらある。
例えば、ヒーリング・ネットワークの「ヒーリング」は、一般的にはリラックスとか快適な気分、といった軽い意味合いで使われることが多いようだ。そういうのも悪くはないが、ヒーリング・ネットワークにおける意味は、さらに広く、深く、高く、包括的だ。全地球的なトータルさを備えている。
ヒーリング・ネットワークの「ヒーリング」は、調和、全体性、有機的統合、心身統一状態、を意味する。
身体・精神・生き方・他者との関係性、世界の中での在り方、など、人間という存在のあらゆる面をひっくるめた、トータルで健全な状態を指す。
Healingはギリシア語のホロス(全体、総和)に起源を持ち、同根の語にはhealth(健康)、wholeness (全体性)、holly(神聖な)などがある。
それ以外に、ホロスと関係がありそうな言葉を探してみると・・・、
大量虐殺という意味で使われるホロコーストは、元々ユダヤ教の祭礼で動物を丸焼きにして神に供えることを指していた。ハイル・ヒトラーのハイル(heil)もホロスと関わりがある言祝ぎの言葉で、「万歳」程度の意味になる。英語のheilは、「歓呼」。
ホーリズムという哲学の一派もある。「全体は部分の総和を超えている、全体は部分に還元できない」(全体論)、のだそうな。
<2021.06.03 芒種(ぼうしゅ)>