文:高木一行
◎龍宮道を呪術と私が言うのは、何度でも繰り返すが、それが意識の操作術だからだ。武術方面でも、力ではなく意識を使ってわざをかける。
そういうコンセプトに前例がないわけではなく、中国の太極拳には「意を用いて力を用いず」という要訣(大切な秘訣)が伝えられている。
人同士の在り方を、意識のわざは、確かに変える。龍宮道は、その事実を武術というわかりやすいシチュエーションで実証する。人同士の在り方とは、武術的なもの以外の様々な人間関係を含み、それをさらに敷延すれば「社会」へと至る。
社会に効かせられないような浅薄なわざ、社会へ挑もうとする反逆精神に裏打ちされてない道、そんなものに私はまったく興味がない。
◎もしあなたに手も足も腕も脚もなかったら、と想像力を最大限まで働かせてみていただきたい。
それでも大地を自在に滑るように移動し、穴を掘り、巧みに泳ぎ、潜水し、高い木に登り、枝を伝い、時には空中を飛ぶ(滑空する)ことまで鮮やかにやってのける。
・・・いやいや、あなたのことじゃない。私は蛇について話している。
蛇。
この不可思議なる生き物。
四大文明以前に栄えた古の世界において、女神のシンボルとして人々から崇敬されていた蛇たちは、「女神的なるもの」の凋落と共に、邪悪の象徴へと神話を書き換えられ、恐れられ、忌み嫌われるようになってしまった。
もしかしてあなたも、そうした文明レベルの洗脳に、いまだに囚われていてなかなか抜け出すことができないのかもしれない。
◎蛇は気味悪い、気持ち悪い。そんな風に感じて、その感じ方をどうしても払拭できないとしたら、あなたの洗脳度は遺憾ながらかなり高いと言わざるを得ない。
人が蛇を恐れるのは、大昔、人類の祖先が洞穴で暮らしていた頃、大型の蛇が危険な天敵であったから、あるいは毒蛇に噛まれれば即、命を落としたから、・・などとまことしやかに述べる説がある。
それは本能なのだ。遺伝子に刻まれた太古の恐怖に基づくものであって、意識的に換えられるようなものじゃない、と。
だが、本当にそうなのだろうか?
蛇に対する恐怖心や嫌悪感を、もしあなたが抱いているのであれば、それが一体どこから来たのか、その由来を探ってみることを是非お勧めする。
間近でじっくり観察し、触れ合ってみれば、蛇というのは実に興味深い生き物だとすぐわかる。
そして美しい。いかなる宝石も及ばぬ独自の美しさがある。
無念無想でその目をのぞき込めば、古い古い生命の叡知を、蛇というものが生まれながらに備えていることが伝わってくるだろう。
完成された姿で生まれ、教えられずとも直ちに獲物を狩り、自らの身を守ることが、蛇にはできる。
◎上に掲げたヒーリング・フォトは龍宮館のペット蛇、ライノラットスネークのキュリオス。
ご覧の通り、えっと驚くような奇抜な姿をしている。幼少時は地味な灰色の全身が、成長につれ鮮やかな緑色へと変わってゆく。樹上性だが、水に入るのも大好き。水中で生きた魚をたくみにとらえることもできる。
元々の産地はベトナムで、かつて幻の蛇と呼ばれたほどの希少種だったが、今では国内外におけるCB化(繁殖)が徐々に進みつつある。
鼻先のあのとがったツノのようなものは、触れ合ってみるとぷにぷにして柔らかく、これが一体何のためにあるのか、どういう役割を果たすのか、いまだに不明なのだそうだ。
妻は、「ツル植物の葉っぱの芽にそっくり」と言う。
キュリオスは人の手の上で食事もできるが、あまりにも食べ物に夢中になり過ぎるあまり、時折指にまで噛みつこうとすることがあるから要注意だ。
奥歯に弱いとはいえ毒を持つらしいが、実際に噛まれた妻によれば、「何ともない」とのこと。
毒があることよりも、毒などものともしない態度の方がすごいと思う。
◎コタ・キナバル(マレーシア領ボルネオ島)の行きつけのシーフード・レストランで、よそのテーブルの人たちがしょっちゅう注文しているピンク色のドリンクが、いつも気になっていた。ある時、ついに我慢できなくなってウェイターにそっと尋ねたら、ウォーターメロン、つまりスイカのジュースとわかった。
早速オーダーし、なるほど暑い気候にぴったりだと感心して以来、夏になるとスイカジュースをよく創る。種も一緒にミキサーにかければ、あっという間にフレッシュなスイカジュースの出来上がり。そのまま食べたのではちょっと味が薄いスイカでも、ジュースにすれば美味しくなるから不思議だ。
<2021.06.14 梅子黄(うめのみきばむ)>