Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション1 第三十四回 マレーシア:1980

文・写真:高木一行

◎1980年、大学に入って最初の夏休みを利用し、マレーシア、タイへ赴いた。初めての海外旅行である。
 まず、東京からタイのバンコクへ飛び、そこから夜行バスと国際列車を乗り継ぎマレー半島を南下。途中下車を繰り返し、マレーシア各地(半島部)を訪ね歩きながら、首都クアラ・ルンプールを目指した。
 仏教国であるタイから、回教国マレーシアへと近づくにつれ、車窓から観る自然の光景も、風物も、人々の様子も、料理も、グラデーションみたいに様変わりしてゆく。
 当時、タイを訪れる旅行者は少なくなかったが、マレーシアでは1人の日本人と出会うことさえなかった。マレーシアがどこにあって、どんな国なのかさえ、当時それを知る人はほとんどいなかったのではあるまいか。
 今日こんにち、我が国で定年退職後に移住したい国の筆頭に常に挙がるのがマレーシアだというから、まさに隔世の感というやつだ。

カブトガニを持つ人

人々の表情の、何と素直で柔和なことよ。マレーシアにて(以下同様)。

◎マレーシアのまともな旅行ガイドすら存在しなかった時代、誰も注意を向けない東南アジアの「辺鄙へんぴな」国へ一体何をしに行ったのかといえば、「現地に生息する爬虫類を採集して持ち帰るため」と申し上げたなら、あなたは「えっ!?」と思考停止状態に陥ってしまわれるだろうか、あるいは「ほう、そりゃ面白い」と目がきらきら輝き始めるだろうか。

アミメニシキヘビ

世界最大級の大蛇、アミメニシキヘビ。稀ではあるが、人が呑まれることもあるという。

◎本連載では、爬虫類と龍宮マインドについて頻繁に言及してきた。
 かつて多くの人から嫌悪され・怖れられた爬虫類だが、今では飼育器具や専用のフードなどが充実し、CB化(繁殖)が進み、若い女性の爬虫類ファンも増え、東京、静岡、名古屋、大阪、福岡などで定期的に爬虫類の大規模な即売会まで開催されるようになって、これまた隔世の感だ。

オサガメ

世界最大のカメ、オサガメ。甲長2メートルに達する。これは産卵のため上陸したところだが、ここランタウ・アバン(マレー半島東海岸)の砂浜はその後、気候変動の影響かどんどん縮小してゆき、海洋汚染とも相まって、世界中で数ヶ所しか確認されてないオサガメの産卵場所の一つが、今まさに失われようとしている。

◎以下にご紹介するスライドショーに登場する爬虫類のほとんどすべてを、念願通り手にして、全部日本へ持ち帰った(オサガメ、ワニ、アミメニシキヘビの成体、コブラは、もちろん除く)。
 そのうち何頭かは人に譲ったり、死んでしまったりしたけれども、心身錬磨の修業に専念するため20年ほど前にすべて手放すまで、広島の実家に建てた広さ20畳ほどの温室で飼育し続けた。

◎原色の彩り。これまで嗅いだことも味わったこともないエキゾティックな匂いと味の繚乱りょうらん。かつて支配を受けた英国の影響がところどころにコロニアル・スタイルとして残り、アラビア風、インド風、中国風の要素が混在する独特の街並み。薄明のしじまを切り裂いて突如、あたり一帯に朗々と響くクルアーン(コーラン)の詠唱。
 観るもの聴くもの、何もかもすべてが途方もなく珍しく、美しく、鮮烈だった。

マレーガビアル

マレーガビアル。ワニの中でも最も珍しい種類の一つ。

◎ミナミバタグールガメは、マレーシアのいくつかの大河に生息する水棲亀で、私が持ち帰るまで専門家を含め日本人の誰も実物を目にしたことがなかったほどの珍しい種類だ。しかも、私の帰国からわずか数ヶ月後、日本がサイテス(通称ワシントン条約)に批准し、バタグールガメはパンダなどと同じレベルで厳しく国際取引を規制されることとなったため、それ以降、手に入れることが不可能となってしまった。

ミナミバタグールガメ

ミナミバタグールガメ(Batagur affinis)。甲長50~60センチに達する。オスは繁殖期になると全身がジェットブラックに染まり、虹彩が白金色に輝く。こんな風に、季節によって体色を変化させるカメは珍しい。

 このバタグールガメなる幻のカメがマレーシアに生息していることを、私は動物学者の故・千石正一氏(1949~2012)より教わった。
 千石氏とは上京後間もなく偶然知己を得たのだが、氏が主任研究員を務めていた財団法人・日本野生生物研究センター(現・日本自然環境研究センター)が当時の私の住まいから徒歩10分程度の至近距離に位置していたこともあり、しばしば出入りして実に様々な、貴重なことを学んだ。
 世界の蛇3000種以上、トカゲ4000種以上、カメ365種、ワニ26種、ムカシトカゲ1種、そのいずれかについて千石氏に尋ねたとする。と、学名はもちろん、海外の様々な専門書に記載されている情報が、矢継ぎ早にポンポン飛び出してくる。
 本物の博識とはいかなるものか、初めての当たりにする思いがした。

◎スライドショーには登場しないが、マレースジオという蛇を千石氏のリクエストに応えてマレーシアから持ち帰り、その他の蛇と一緒にプレゼントして大変喜ばれたことも思い出深い。
 まさか本当にみつけてくるとはまったく期待してなかったようで、ただ「体の後半に黒いスジが入る蛇で、俺はあれが好きなんだよね」程度の話を聴いていただけだったが、帰国の翌日、野生生物研究センターに千石氏を訪ね、「もしかしてこれでは」と私が差し出した布袋を開けて中をのぞき込んだ千石氏の口から、「これだよ。よくみつけたな!」と喜びの声が上がり、続いて、千石氏を直接知る方ならよくご存知であろう例の「えらいッ!」が3連発で発せられた。

マルスッポン

甲長1メートル以上になるマルスッポン。

◎千石正一氏と共に、故・高田栄一氏(1925~2009)の名前を挙げねば片手落ちとなってしまう。詩人、爬虫類研究者、ヘルスカウンセラー。日本における爬虫類飼育・研究のパイオニア的な存在だ。
 私が暮らす下宿をはさんで、千石氏が務める日本野生生物研究センターとちょうど反対側、上野不忍池方面へ10分ほど歩くと、住宅街の中にひっそりと建つ「高田爬虫類研究所」なる場所に着く。研究所といっても、実質的には高田氏の「自宅」なのだが、そこは一般の人が想像し得る自宅というもののイメージからかけ離れた、爬虫類好きにとり伝説的な聖地といってよい特別な場所となっていた。 
 3階建ての鉄筋コンクリート造りの「研究所」内には、主に東南アジアから集められた様々な爬虫類たちがひしめき合っていた。多い時には数千頭~一万頭、あるいはそれ以上に達したことさえあるそうだ。
 大きなワニもいる。人間の子供くらい簡単に呑んでしまいそうなニシキヘビがいっぱい飼われている。池の中から巨大な大スッポンが物憂げに顔をのぞかせる。毒蛇専門スペースである3階には、高田氏の眼鏡にかなった者だけが踏み入ることを許された。
 高田爬虫類研究所が下宿のすぐそばにあることを偶然知ったのは、引っ越した翌々日のことだったが、その後頻繁にお邪魔するようになり、マレーシアへの採集旅行を決めたことをお伝えした時には、非常に喜んでくださった。
 千石氏には、当時手に入る限りのマレーシア産爬虫類の情報を提供していただき、高田氏からは幾度もマレーシアを訪れた経験に基づく有益なアドバイスを受けた。
 お二人への感謝と追悼の気持ちを込め、当時の古い写真をデジタル化し、スライドショーを制作した。

カラグールガメ

カラグールガメ。メスは地味な茶色だが、オスは性成熟すると写真のようなカラフルな体色に変化する。

◎生きたカメなどを手に入れたなら、適度に食べ物を与え、世話をしなければならない。動物サーカスの巡業よろしく、と言えばちと大げさだが、たくさんの爬虫類たちを連れ、あちこち旅して回った。
 ある時、夜行列車でぐっすり眠っていると、他の乗客にそっと遠慮がちに起こされた。
「あれはあなたのカメでは?」と、その人が指さす先をみると、何と、布袋に入れて段ボール箱に納め、頭上の棚に置いたはずの(一抱えほどもある)大きなカメが、いつどうやって脱走したものか、通路をノッシノッシと我が物顔に歩いているではないか。真夜中であるにも関わらず、目を覚ました乗客たちの好奇の視線が、カメと私の間を交互に行ったり来たり・・・。
 こんなことは何でもない、よくあることだ、とできるだけさりげない風を装ってカメを素早くひっとらえ、手早く袋に放り込んで今度は絶対に逃げ出せぬよう、紐でしっかり口を縛り、箱に入れ、その箱を足下において両足を載せるまでに、慣れた作業ゆえほとんど時間はかからなかった。

<2021.12.27 麋角解(さわしかつのおつる)>