◎断片的な文章や写真、ムービーなどをコラージュのように連ねてゆく、いわば超越的断章スタイルは、螺旋状に想を展開させてゆくのに便利で、ヒーリング・ネットワーク1以来、愛用している。『ヒーリング・リフレクション』シリーズには、人生(過去)の精算、という裏テーマもある。それが洞察できるほど深く読み込んでくださっている愛読者は、まだ僅少のようだが。
◎熊本へプチ巡礼に行ってきた。そのついでといっては何だが、宮本武蔵ゆかりの地をいくつか訪ねてみた。
まずは、新幹線・熊本駅からほど近い島田美術館へ。
ここに収められた武蔵筆『枯木鳴鵙図』は、素晴らしかった。静かに向かい合っていると、比類なき境地に達した武人の孤高が、魂を超微細に振るわせる。これを観るだけでも、熊本へ足を運んだ甲斐があったというものだ。
◎肥田春充(肥田式強健術創始者)にある人が尋ねたという。「先生以前に正中心を体得した人はいますか?」
春充、言下に応えていわく、「武蔵、独り、ある」と。
その話を聴いて以来、宮本武蔵に関心を寄せて来た。『五輪書』も、これまで何度読んだろう。今回、広島と熊本を往復する新幹線の車中でも、2冊の『五輪書』解説に目を通した。
武蔵は62歳で没しているが、私も今年8月に62歳となる。死も亦楽しの心境に、私も最近なってきた。・・のだが、武蔵が達した武の境地にはほど遠く、覚えず長歎・長大息す熊本の地、と言いたいところだが、そもそも私は武術家ではないと前々からずっと述べているのだから(武術家を名乗ったことなどこれまで一度もない)、人様と比べて上だの下だの、そんなつまらんことを語ろうとすること自体、傲岸にして不遜の誹りを免れまい。
◎次に訪れたのは、武蔵が座禅したという座禅石。
谷尾崎梅林公園の片隅にある大きな石が「それ」らしいのだが、江戸時代初期を生きた剣術家のヴァイブレーションがいまだに残っていると期待する方が間違っているのであって、ヒーリング・タッチでディープに探査しまくってみたが、特に何も感じるものはなかった。
写真は、物見遊山の観光客よろしく座禅石で座禅するの図(撮影:道上健太郎)。何事もやるからには徹底してやる質なので、結跏趺坐して姿勢をきっちり極めた、と同時に自ずから瞳光不睨(観の目)となったその瞬間、意識が梅園全体を包み込むように拡がり、かなり面白かった。
もしかしたら本当に、かつて宮本武蔵がこの石の上で座禅を組んだことがあったのかもしれない。
いずれにせよ、<苦>へのその志向は、言葉を換えればマゾヒスティックであり、<楽>を志向する私とは相いれないということが、岩の上で座禅を組みながら、文字通り(脚の)骨身に沁みて、よくわかった(呵々大笑)。
◎・・・と、ここまで書いてきて、うちにも座禅石があったぞ、と唐突に思い出した。
肥田春充が実際にその上で座禅していた、こちらは正真正銘、本物の座禅石だ。
この座禅石は、伊豆八幡野の旧・肥田邸跡から、奇しき縁にて天行院裏へ移されたもので、肥田春充が据えた当時の角度が今も正確に保たれている。
天行院裏は、私がしばらく留守にしたこともあり、現在、荒れ放題の八重葎となっている。座禅石も目視不可能の、うら寂しい状態だ(呵々大笑)。これは早急に何とかせねばなるまい。
それにしても、だ。今回、武蔵の足跡を巡りながらずっと気になっていたのだが、肥田春充は宮本武蔵を意識して、石の上で座禅を組んだりしたのだろうか?
◎雲厳禅寺裏の霊厳洞は、武蔵が最後の力を振り絞って『五輪書』を執筆したとされる場所であり、少しは期待していたのだが・・・、周辺はきれいに整備されていて、洞窟内にはご丁寧に板まで敷いてあり、大勢の人間が好き勝手に踏み荒らした犯罪現場みたいに、ここでも「武蔵」を感じることはできなかった。
写真も一応撮ってきたが、皆さんにわざわざ観ていただくようなものではないと判断し、省略(呵々大笑)。
<2022.03.15 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)>