Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション2 第十二回 ハラキリ

◎以前、リフレクション1で戯れにホモ・フロレシエンシス(フロレス原人)の頭骨、云々と記したら、そのレプリカが本当に来てしまった。殺風景だった私の書斎も、ティタノボア(巨大蛇)とフロレス原人とで、少しは呪術家っぽくなってきたかもしれない。あと要るのは、人の皮で装丁された魔道書くらいか・・・(冗談である。くれぐれも本気にしてそんなものを送りつけてこないように)。
 コモドドラゴンで有名なインドネシア・コモド島の隣にあるフロレス島は、コモド島への行き帰りに立ち寄ったことがあるが、その地で2003年、化石人類学上の一大発見がなされ、世界的なセンセーションが巻き起こった。
 大人でも身長1メートル。愛称「ザ・ホビット」。5〜10万年前に生きた、フロレス原人である。写真は、その化石標本の実物から直接型を取って成形着色し、研究者のため骨密度まで似せたハイレベルの学術用レプリカだ。

ホモ・フロレシエンシスの頭骨

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 ジャワ島のサンギラン(現・ユネスコの世界遺産)で発掘されたジャワ原人(かつてピテカントロプス・エレクトゥスと呼ばれていたが、現在は分類が進んでホモ・エレクトゥスとなった)や、巨人族ピテカントロプス・ギガンテウス(旧ギガントピテクス)、そして今回のフロレス原人と、インドネシアという国は古人類学の観点からみても非常に興味深いところだ。
 私は一時いっとき、「私はどこから来たのか?」という根源的問いとも関連して化石人類に(熱烈な)興味を抱いていた時期があって、サンギランを始めとして、その近郊のトリニールやンガウィ、モジョクルトなどの重要な化石産地へまで足を伸ばしたことがある。これらの場所へ実際に行ったことがある日本人は、考古学者を除き、極めて少ないかもしれない。
 話は変わるがジャワ島といえば、肥田春充の養子となって肥田家を継いだ通夫氏が第二次大戦終了時、陸軍の軍資金であった大量のダイヤモンドを上官の命令でジャワ島某所に埋め隠した逸話も思い起こされる。ヒーリング・ネットワーク1のどこかにも書いたが、その場所の地図を通夫氏から託され、大規模な植物園で世界的に有名なボゴール近郊のポンド・ゲデという山村まで現地視察に赴いた。
 おおよその場所はわかったものの、さてそれでどうするかという現実的な話になると、事は途端に複雑かつ面倒となってしまう。公にすれば、国レベルでの所有権争いにまで発展しかねないし、密かに掘り出して国外へ持ち出しても、ダイヤモンドというのは特殊な市場で扱われていて素人が簡単に売買できるようなものではないのだ。そんなこんなで、その後何らのアクションも起こさないまま、通夫氏は行方不明となってしまった。

◎原人の化石とは、身も蓋もない言い方をするならば要するに古代の死者の亡骸なきがらにほかならないわけだが、死という人気のない、というよりは嫌われるテーマを、敢えて繰り返し取り上げるのは、前回も述べたが、龍宮道がオフに基づいているからだ。数千年来の文明が著しく「オン」に、「火」に、偏りすぎて地球レベルの不調和を引き起こすまでとなったため、そのアンバランスを是正するものとして、「オフ」と「水」に重きを置く龍宮道のような<道>が、自ずから顕われてきているのだろう。
 肥田春充は第二次大戦中、郷党の衆望を一身に集めていた長男・修一郎が戦死したこともあり、また日本の敗戦の命運歴々たることを憂えて、深遠なヒーリング作用を有する強健術鍛練を自発的に放棄した。その結果、頑健だった心身はたちまち衰え、起き上がることすらできないほど衰弱してしまった。
 迷走・暴走を繰り返す東条英機らに猛省を促すため、最後の力を振り絞って割腹自殺しようとした、その瞬間、天来の声あり(恩師・押川方義まさよしの声であったという)。「待て! 正中心の境地より観たる宗教真理について書き残すことが、君の使命であるぞ!!」と。
 その、劇的な心機転換以降の話は、ヒーリング・ネットワーク1のディスコース『聖なる中心の道』に概略を記しておいたので、興味のある方は参照していただきたいが、私がここで述べたいのは自殺の一法としての切腹についてだ。
 春充は、「正中心を刀で正確に突き刺せば、瞬間的に絶命する」、と述べているが、正中心を完全につかんでない者には無理な話だろう。
 とすると、下腹(臍から下)を一文字にかっさばくためにはどういう角度でやいばをどこに当て、どこへ向けて斬ってゆけばいいのか、実際に斬るつもりで腹に手を当てながらいろいろやってみると面白い。私がこんなことを細々こまごま書いているのは、本当にやってみた者は下腹の角度そのものが仮想となっている事実を身体そのもので悟るであろうからだ。
 刀身を水平に下腹へあてる(正座の態勢)、そういうやり方ではまともに斬れない。下腹の切り裂き方を研究すれば、下腹の角度・向きが自ずから感じられるようになってくる。武道だけでなくあらゆる芸道や禅などでも重視される丹田は、その(斜めの)角度・向きの上に存在するのである。丹田を感じ・覚醒させるためには、下腹の現実的な角度を、まず知らなければならない。
 かつて武家に生まれた男児は、元服の後、まず最初に切腹の方法と作法を学んだという。

◎腹を斬り裂いても、ただそれだけでは人というのはなかなか死ぬものではないらしく、そこで誰かに首を斬り落としてもらう介錯かいしゃくが必要となってくる。
 仮に自殺するとなったら、具体的方法として切腹を私は選ばない。興味はあるのだが、そのためだけにわざわざ高価な日本刀を購入するのも馬鹿らしいし、腹を斬るところまではいいとして、介錯を立派にやってのけられるだけの確かな腕と度胸を持つ剣術家が知り合いにいないからだ。
 三島由紀夫は見事に割腹を遂げたまではよかったが、介錯を務めた同志の剣道高段者はうわずってしまって普段の手腕が発揮できなかったのか、あるいは竹刀で叩き合うことには巧みであっても真剣で人の首を落とすということについてまったく無知だったのか、2度も失敗し(顎のところで刃が止まったりなど、散々だった)、三島を猛悪に苦しめた揚げ句、3度目でようやく成功したというから、悽愴とか凄絶を通り越して、むしろ滑稽ですらある。
 思うに、人の首が胴体に水平についているという仮想に、その介錯者も深くとらわれていて、水平に刀をなぎ払ってしまったのではあるまいか? そんなことをすれば途中で止まってしまう。首は斜めについているのだから(両手の指を首のつけ根にぐるりと回し、鏡で確認せよ)、その角度に沿って斜めに斬り落とすのが当然なのに。

◎そういえば、以前東洋医学研究家の久米建寿くめたけひさ氏よりお聴きしたことだが、熱鍼法ねっしんほう創始者で我々も多大な恩恵をこうむっている平田内蔵吉くらきちも、沖縄戦で米軍に追いつめられ、最期は自刃して果てたとのことだ。
 平田内蔵吉と熱鍼法については、ヒーリング・ネットワーク1『質疑応答』第4回を参照いただきたい。

◎ハラキリするつもりなどない人にとっても、上述の下腹の角度は重要だ。
 龍宮道では、はかまの紐を最後に丹田のところ(臍と恥骨の中央)で結ぶ際、その結び目を小球とみたて、その球の向きが(前方ではなく)斜め下であることを改めて意識する。
 ただそれだけで全身姿勢のバランス関係が大きく変容するのだが、この小さな要訣の中に秘め隠された真義を悟って歓喜する者は、読者諸氏の中にどれくらいいらっしゃるのだろう。

<2022.05.29 紅花栄(べにばなさかう)>