Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション2 第十七回 ネズミ物語

◎大阪拘置所の独居房。
 10数室がずらりと並んで1つのユニットをなしており、一方の端に1人用の小さな浴室が2つ、その隣に理髪室と洗濯室がある。私の「居室」は浴室側とは反対の端に近かったから、1週間に2度の入浴時には、厳重に施錠された金属製の扉がものものしく並ぶ廊下を、拘置所職員を後ろに従えつつ、「ゆったりと王様のように」歩いて往復した。ちなみに「調髪」は2ヶ月に1回(女性は1ヶ月に1回)。衣類の洗濯は、やってもらえる(上質な仕上がりを期待してはいけない)。1週間に3回、・・・くらいだったかな。1度に3点まで。
 畳3枚分くらいの長方形のスペース。木製の箱みたいな据置きの水洗トイレ。明治時代のものと言われても納得しそうな、何度も修繕しゅうぜんを重ねた跡がある継ぎはぎだらけの小さな洗面台。たたんで重ねた布団(置く位置やたたみ方、重ねる順番も決まっている)。50×25×30センチくらいの小台(食卓や文机として使われる)。畳が2つ敷いてあるが、すり切れ、波打っている。風速1~2メートルの海面くらいに。
 分厚く、幾重にも重ねて塗りこめられた白い壁。
 扉の横に小さなほうきとちり取り、それからハタキがぶら下がり、そばに小さなくず入れが置かれている。
 扉の反対側に大きな窓があって、2枚のうち1つを自由に開閉できるが、目の細かい金網を張った網戸が窓枠に固定されている。窓は幅10センチほどの分厚い鉄板の帯を連ねた格子でおおわれ、隙間にかろうじて腕を通せる程度。その外に、人1人が通れるくらいの細い通路がある。通路の外は、よろい戸状になった半透明のアクリル板で上から下までカバーされ、そこから先はほとんど見渡すことができない。その日の天気すらよくわからない。

◎美しさや楽しさという要素が極限まで排除された殺風景な狭い空間に押し込められ、およそ人間的というにはほど遠い扱いを受ける。
 これらすべてが・・・・「お前はもはや人間の名に値しない罪人だぞ」「仕方ないから生かしてやってるんだぞ」「これでもお前なんかにはまだもったいないほどだ」「ここはこの世の地獄だ。なぜ地獄に墜ちたか、よく考え、よく反省せい」「お上に逆らえば、ほれこの通り」・・・と、言葉なき言葉をもって24時間ずっと、ささやき続ける。それにより、知らず知らずのうちに魂に烙印が捺されるのだ。
 大阪拘置所で私が異様に感じたのは、ぶち込まれている「同類」らの大半が、力なく首を前に垂れ、背中を丸めていたことだ。
 私みたいに昂然こうぜんと、自信に満ちて、意気盛んな態度・姿勢の者を、ついに1度もみかけなかった。
「どうしたお前ら、もっと堂々とせんかい!」と尻を蹴飛ばして叱りつけてやりたくなったことも、1度や2度ではない。

◎元・大阪地方検察庁特捜部長、大坪弘道氏は、「郵便不正事件」の証拠改ざんが明るみに出て逮捕され、私と同じく大阪拘置所に勾留された。その経験を元に、『勾留百二十日』(文藝春秋)をあらわしたのだが・・・、その一節をいくつか引いてみよう。

「人間としての尊厳である自由を奪われることの苦しみ。あくまで平等に規律に従って機械的に職務を遂行する刑務官の絶対的指示によって日々の行動が律せられ、わずか三畳の独房から自らの意思によっては一センチも外に出ることができないというこの動かし難い絶望的な事実の前に、私はただただ無力である」。
「私は独房にあって自らの意思で扉から寸分先へも進めない所へ閉じこめられている現実を思った時、その場にじっとしていられない凄まじい恐怖がこみ上げてきて気が狂いそうになり、それを必死で抑えた。その時の恐怖感は、今でも心の中に引きずっている」。
「好きな時に散歩し、テレビを見てひまつぶしをし、伸びたツメを切り、ヒゲを剃り、家族と団らんする・・・・これまでのごくあたり前の日常生活の一つ一つが、それを一切奪われた今、たまらなくいとおしく思えた。私が権力を行使してここに送りこんだ多くの人々が、この現実の前に立ちつくし、苦しみ、そしてそれを受け入れることによってしか自らの心を救うことができなかったという現実に今はじめて気づき、彼らの慟哭どうこくの深さを知った」。

 こんな風に、拘置所内で経験した苦しみ、悲しみ、うらみ、つらみ(辛さ)、いきどおり・・などのあれやこれやが、氏の著作には延々書き連ねてある。読んでいると、気が滅入めいって、気分が悪くなりそうだったが、大阪拘置所以外にも私との共通点を発見したから、我慢がまんに我慢を重ねて最後まで読んだ。終わりごろは駆け足に近かったが。
 この人も尻を蹴飛ばして叱りつけてやりたい。「どうしたッ! 陰々滅々としてないでもっと明るくせんかッ!」と。

◎ちなみに上述の共通項とは、中村天風著『運命を拓く』だ。
 勾留中、パニック発作を起こしそうになった大坪氏が(大阪地検では特捜の鬼と怖れられた人物の、何という精神の脆弱さか)、いずれ読もうと思って居室内に積んであった書物の中の1冊を何気なく手に取った、それが中村天風の『運命を拓く』であったという。私が大阪拘置所内で35度、繰り返し読んだ本だ。
 氏は、天風の言葉にすがることによって、精神のバランスが崩れるのをかろうじて食い止めたという。が、残念ながら、本に書かれている内容を実践(実験)してみようとまでは思わなかったようだ。
 実践しておれば、氏の著書があれほどネガティヴなエネルギーで充満することもなく、彼のその後の運命も、まったく違ったものとなっていたかもしれない。

◎今回は趣向を替え、2014年8月18日、大阪地方裁判所での第6回公判(第一審)に引き続き開催された「国家ヒーリング・イベント」と銘打ったトーク・ショーでの、私の発言の一部をご紹介する。
 公判では、これまでにも増してあからさまに不公平な審理が繰り広げられた。弁護側が求めた調査も証拠の申請も証人尋問も、裁判長がことごとく却下。その口からは、「理由を言う必要はない」「議論する気はまったくない」という信じがたい言葉が次々と発せられた。
「まさかこれほどとは!」「あんなデタラメが平然と通るものなのか!!」「日本の裁判には正義などないのか!!!」・・・傍聴席を埋め尽くした人々は、聴きしに勝る不公正さを目の当たりにして心底驚いたようだ。

 ・・・・(前略)・・・・
高木 うちに刑事たちが突然押し入ってきて、家宅捜索を受け、逮捕された時、それを指揮した大阪水上警察薬物対策課の責任者、その人は自分で言っていたけど、私と同じ歳なんですね。
 その人の目をのぞき込むと、認知症・・・早発性の認知症を発症しつつあると、直感的に感じたんです。
 だから、広島から大阪へ連行されて取り調べを受け始めた時、担当の刑事に、「あなたのボスは危ない状態だから、気をつけた方がいいですよ」と言ったんですが、その時は全然相手にされなかった。
 で、取り調べが2ヶ月で終わり、留置場から拘置所へ移されて、少し経った頃、その取り調べ担当刑事が、拘置所に私を訪ねてきたんですよ。私が会ったことのないもう1人の刑事を連れて。
 その人は、薬物対策課のナンバー2であると、後でわかったんですが、顔見知りの刑事と私があれこれ話している間中、ずっと黙って聴いている。
 それで、取り調べも終わったはずなのに、あなた方は一体何しに来たのかと聴いたら、「高木さんの言った通り、うちのボスが、最近おかしくなった」、と。

 いつもぶつぶつ独り言を言い、同じ指示を何度も何度も繰り返す。
 被疑者に教えてはならないような情報を言ってしまう。
 さらには、職場で突然奇声を発するようになった、と。
「一体どうしたらいいだろうか?」ということで、ナンバー2ともども、私に相談に来たというんです。
「遠隔ヒーリングで何とかしてくれ」なんて、勝手なことも言っていた(会場内どよめき)。
 本当に困り果てているようでしたが、基本的な対応法をアドバイスする以外、私にはどうしようもありませんでした。
 そのおかしくなった人は心の中にある良心を強く抑圧して、上からの命令通りに長年行動してきたけれども、今回も明らかに無罪とわかっているのに罪をでっち上げるようなことをやらされ、良心との間で強烈な軋轢あつれきが生じて、ついにボーダーラインを越えてしまったんだと思います。

 そういえば、拘置所に訪ねてきたその刑事ですが、何のつもりかいまだにわからないんだけど、妻が作った私の支援会に、数ヶ月前、メンバーになりたいと実名で申し込んできたそうです(会場内笑い)。
 まさか情報収集というわけでもあるまいし、もしそうであるなら、わざわざ実名など使うはずがないですよね。
 妻は顧問をお願いしている弁護人にも相談した上で、「裁判が進行している今は、あなたの入会を認めることはできません」、と丁重な謝絶の返事を出したそうです。

 その刑事は、2ヶ月に渡る取り調べが終わる頃には、目が真っ赤に充血して、ボロボロに疲れ切ったような、みるも気の毒な状態になってしまい、時折びくっとしたように顔をしかめて背中に手をやったりして、一体どうしたのか聴くと、びりっと痺れるような嫌な痛みが背中に走るんだそうです。
 それで、取り調べの合間に雑談している時なんかに、ふっと妙なことを口走る。
「高木さんのところで大麻を吸わせてもらうからいい」とか、「警察をやめた後はお宅の門番として雇ってほしい」とか・・・。うちには大麻なんか置いてないのに(会場内笑い)。
 かと思うと、パッと人が変わったようになって、「法を破れば罰せられるのは子供でも知っている」などと、顔を真っ赤にしながらまくしたてるんです。全然関係ない別の話題について話していたのに・・・。
 心の中身が2つに分裂していくみたいで、ちょっと気味悪いくらいでした。
 その人は取り調べが始まった頃、大麻だろうが薬物だろうが、薬屋で売っている薬ですら、自分は絶対に使うつもりがないし、まったく興味がない、と断言していたんですが、取り調べの終わり頃には「そんなにいいものなら使ってみたいな」なんてセリフが、何かの拍子にぽろりと出ることが多くなった(会場内笑い)。

 警察での取り調べの最終日、別れる直前に、それまでずっと尋ねたかった質問を、取り調べ担当のその刑事にぶつけたんです。
 法の元での大規模な弾圧や人権侵害・・・、例えばローマ帝国において初期のキリスト教徒が闘技場で猛獣と闘わされたり、様々な残虐な刑罰を与えられたりした。わが国でも、隠れキリシタンが厳しく弾圧されているし、ナチスドイツにおけるホロコーストや、ポルポト政権下のカンボジアで起こったキリングフィールド大虐殺もしかり。
 それらについて、あなたは、個人的にはどうお考えですか、と。
 そのように問うた時、その人はまったくためらうことなく、考えることもなく、「法が認めていたのなら、それは正しい」と即答したんです。「自分が、今と同じような職業に当時ついていたとしたら、ためらわず人々を捕らえるだろう」、と。
 それを聴いた時、人としての一番根本的な価値観を、私たちは共有していないのだと感じられて・・・・。だから、相手がいくら友情を示してくれようが、共感することがどうしてもできませんでした。

 今、友情、といいましたけど、確かにある種の友情というか好意のようなものが、相手にはあったんだと思います。
 というのは、取り調べの警察官は、被疑者と肉体的に一切接触してはならない決まりになっていて、もっぱら警察の側からの暴力を防ぐという意味なんでしょうが、とにかく取り調べ期間中、相手とわずかでも身体が触れ合ったことは1度もなかった。
 ところが、拘置所に訪ねてきた時、私が取調室に入るや、くだんの刑事が座っていた椅子からパッと立ち上がり、にこやかな顔で私に握手を求めてきたんです。
 その少し後に私の保釈が認められたんですが、おそらく検察官から聴いてそのことを知っており、直接言うことはできないけれども、態度で伝えようとしてくれたんだと思います。

 当時、保釈は当分難しいだろうと言われていたんですが、刑事の件以外にも前兆がいろいろあって、私自身は保釈が実現するだろうと感じていました。
 前兆の1つというのは、大阪拘置所で・・・・、(司会の方を観て)いや、あんまり私ばかりがお話しするのも・・・。

司会 いやいや、いいですよ。好きなだけ話してください。

高木 ありがとうございます。
 私を裁こうとする自然科学分野の論拠は、ネズミを実験材料にしたもので、しかも人間に換算すれば通常の500倍もの量を与えて、「有害」であると断じている。そもそもネズミのデータを元にして人を裁くのか、と市民感覚では思うけれども、いわゆるエリートと呼ばれて社会を牛耳っている人たちの心の奥底に、一般大衆をネズミと同程度とまでは言わないけれど、見下げ、軽んじる尊大さやおごりがあることは、否定できないと思います。

 それで、拘置所に話を戻しますが、私が体験した大阪拘置所というのはどういう場所かというと、鉄筋コンクリートの箱みたいな中学校や高校の校舎、あれをもっと巨大にして、薄暗くじめじめした雰囲気をすみずみまで浸透させ、さらに多数の看守をあちこちに配置すれば、大まかなイメージをつかんでいただけると思います。一言で言えば、美しさとか楽しさ、希望、喜びなどの要素を徹底して排除した、非人間的で無機質な空間、それが拘置所というところです。
 そこの独居房は約3畳ほどの広さがあって、4階の1室に放り込まれ、1日の大半をその中で送り迎えしていたわけですが、ある日、壁に向かって座っていたら、中庭に面した窓の外にある狭い通路を、何か小さなものが素早く移動していったんです。
 それ以降注意していたところ、間もなく正体が判明しました。
 小さな茶色のネズミ・・・掌の上に3頭くらい乗りそうなほどの。
 ふと、思ったんです。餌付けできないものか、と。
 窓枠には、目の細かい金網を張った網戸が固定されているんですが、ドーナツを自費で購入し、裏ごしの要領でそれを金網にこすりつけてみたら、うまくいって、窓枠のところに粉状になったドーナツの小さな山ができた(会場内クスクス笑い)。
 通路からちょっと距離があったので、ネズミにわかるかなと思っていたら、数時間も経たないうちにちゃんと見つけて、粉状ドーナツをもぐもぐと召し上がっているじゃありませんか(女性たちからうれしそうな声)。
 そっと近づいていって、すぐそばで観察したんですが、ネズミって結構かわいいんですよ。つぶらな黒い瞳とか、きゃしゃだけど器用に動く小さな手とか・・・。

 それで、そのネズミは、まだ食べ物が半分くらい残っているのに、すっとどこかへ消えてしまった。
 食事中、近くからじっと観られて気分を害したのかと思いきや、間もなくまた現われて、今度は何と、仲間を連れている。
 新しいネズミは、最初のものよりやや小ぶりで、2頭の関係は夫婦か、友だちか、あるいは単なるご近所同士か、まったくわかりませんが、まるで「おいしいね」と言い合っているみたいに、時折視線を交わしながら、仲良く並んで一緒に食べている様は、ほほ笑ましい限りでした。

 驚いたのは、翌日、ほぼ同じ時間に、窓の方を何気なく観ると、1頭のネズミが窓枠のところに座って待っている。その窓枠というのは、床から約30センチくらいの高さがあるんですが、ネズミというのは立体活動も得意なんですね。
 ちょっとしたざらつきさえあれば、垂直の壁を昇り降りすることもできるし、少しくらいの高さならぴょんと飛び乗ってしまう。
 感心したのは、同じ構造の部屋が十数室並んでいて、部屋番号がついてなければ人間でも見分けがつかないと思いますが、その中の特定の部屋のところへ、特定の時間に行けば、再び食べ物が手に入るかもしれないことを、ネズミがちゃんとわかっているらしい、ということなんです。
 その日は、夕食の麦飯を裏ごしして与え、それ以来、私は拘置所でネズミをペットとして飼っていたわけですが、1週間後には3頭になって・・・(会場内笑い)。
 それで、拘置所にいる間、ずっと気がかりだったのは、私が保釈されてしまったら、ネズミたちの食事はどうなるのか・・・と。
 でも、ある日、スナック菓子を大事そうにくわえて運んでゆくネズミの姿を目撃し、他にも誰かネズミに食べ物を与えている者がおり、しかもその人はどうやら金網に穴をあけて、裏ごしの手間を省いているらしいとわかったので、これでいつ保釈されてもいい、と(会場内大笑い)。

 さて、ここからが「前兆」の話なんですが、保釈が決まる2~3日前のことです。
 食べ物・・・麦飯をベースに、いろんなものを混ぜ合わせた特別配合食・・・を3頭のネズミが食べ終わり、いつもであればすぐ姿を消してしまうのに、その時はまったく様子が違っていたんです。
 窓の外にはまっている格子は、人間で言うと高層ビルの建設現場に取り付けられている足場みたいなものだと思うんですが、そこに尻尾を巻き付けながら上手に昇ったり降りたり、金網に飛び移って腹をみせながらちょろちょろ動き回ったり・・・金網ごしにネズミの指と握手することさえできました。
 まるで舞い踊るかのごとく、3頭のネズミが息の合ったアクロバット・ショーを演じているみたいで、そんな行動をとったことはこれまで1度もなかったので、あっけにとられて観ているうちに、「これまでありがとう」と、ネズミたちが感謝の気持ちを伝えているような感じがしてきた。
 先ほどお話しした、刑事が拘置所に私を訪ねてきたのは、この数日前のことですが、その一件と合わせ、保釈が近づいていることを示す象徴のように、私には感じられたわけです。
 不思議なことに、毎日通って来ていたネズミたちが、その翌日からぱたりと姿を見せなくなったんですが、それから間もなく私は保釈されました。

 ええと・・・、かなり妙なお話をしてしまいましたが、私が申し上げたかったのは、低級な生き物とみなされがちなネズミでさえ、驚くほど賢いし、親切心も持っており、異種である人間と共感する能力さえ、どうやら備えているらしい、ということです。
 つまり、意識と感情を持つ、生命いのちある存在であり、生命の価値に高いとか低い、良い・悪い、といった相対性があるべきではないと、私は強く感じるんです。
 ・・・・(後略)・・・・

◎ちなみに、トークショーでは上記のような脱線話ばかりしていたわけではなく(呵々大笑)、我が国の司法制度の歪みや、それを正すための提言などについて、他の出演者たちと真剣かつリラックスした話し合いを楽しんだ。
 この時の裁判傍聴&イベントには、盆明けの平日であったにも関わらず、関西圏だけでなく東海や関東、あるいはもっと遠方からも、多くの参加者があり、ほとんどの人が私とは一面識もない方々であった。
 希望が・・・、この国には、この世界には、まだ残っている。

<2022.06.22 乃東枯(なつかれくさかるる)>