Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション2 第二十五回 イスラムの風

◎わが国の3.11(2011)後、日本人いや世界の人民がこうむった地球規模のPTSDをヒーリング(調律、調和)する道を祈り求めてミクロネシアのパラオ共和国へ巡礼した折り、トランジット(飛行機の乗り換え)だけで入国しないにも関わらず、アメリカ合衆国の準州であるグアムの空港イミグレーションでは、長蛇の列の1人1人に対し、犯罪者用と同じ電子式指紋リーダーまで使って、入念かつ執拗なチェックをしていた様子が、異様な光景として脳裏に焼き付いている。
 金属探知器を通る際、靴を脱いで裸足になるよう求められるのだが、南島みなみじまののどかなイメージとはそぐわぬ、ファナティック(偏執狂的)あるいはパラノイアック(被害妄想的)と呼んでいいほどの殺伐とした警戒ぶりに、旧約聖書の世界がにじみ出るように重なってきて、最初の預言者であるアブラハムの実子イサクと異母兄イシュマエルの対立がこの現実世界にまで投影されているのだろうか、とさえ思えてきた。

◎イサクはユダヤ、キリスト教世界の始祖とされており、イサク誕生後に追放されたイシュマエルはアラブ(イスラム)世界の始祖だ。
 これら3つの世界宗教は、旧約聖書を聖典として共有し、いわば兄弟関係にあるわけだが、3者の間に引き裂かれた溝は深い。中世ヨーロッパ諸国が聖地奪回の悲願を掲げ、繰り返し十字軍をコンスタンティノープルへ送り込んだ時、イスラム側は「なぜ」なのかもわからないまま闘っていたという。

◎旧約聖書の教えに厳格に従うならば、金を貸した相手から利子を受け取ってはならず、架空の存在に過ぎない「相場」をもてあそぶことも許されず、そうなれば必然的に資本主義も、現行の世界経済システムも、すべて成り立ち得なくなるわけだが、旧約聖書の教えにできるだけ忠実であろうと努めるイスラム世界に対し、ユダヤ、キリスト教世界は「神の神聖な教え」を平然と無視し、踏みにじって好き勝手放題をやらかしてきたのみならず、今や地球人口の4分の1を占めるムスリム(イスラム教徒)たちのやり方にまであれこれ口を差し挟み、ちょっかいを出そうとする、そのことが神の教えに生真面目なほど忠実な分、イスラムの人々にとっては許し難い侮辱と感じられるのだろう。
 とりわけ、アラブ系の人々は「侮辱」に対し極度に鋭敏のようだ。そのようによく言われるし、アラブ人の強烈なプライドをダイレクトに感じたことが私も何度かある。それは私にとってはむしろ小気味よい、大いに共感を覚えるようなものだったが。

◎イスラムの人々は、あらゆる宗教の中で、最も熱烈に<祈る>人々だ。その、祈りへの情熱パッションは、崇拝の対象としての偶像をあれらの人々が一切持たぬところから発しているのだろう。
 かつて、まだ現在のような旅行情報がほとんどない頃、初めてマレーシアを独り訪れた際、宿泊したすべてのホテルの部屋の天井の隅っこに、大きな矢印が必ずついている。これは一体なんじゃろうかと最初のうち思っていたのだが、テレビ番組が突然中断されて『クルアーン』の詠唱がおっぱじまるなんてことが日に何度も起こり、そういえばイスラム教徒は毎日5回、メッカのカアバ神殿へ向かって一斉に礼拝するのだった、などと考えていて、突然、矢印がどこ、あるいは何を指しているかがわかった。
 飛行機で隣の席に乗り合わせたマレーシア女性が、腕時計を指して「アラビア時間に合わせてあるのよ」とさもうれしそうに教えてくれたこともあったが、当時は時計をよその国の時間に合わせて一体何の意味があるのか、と理会に苦しんだ私も、その後イスラム諸国をあちこち旅するうちにその理由わけが肌身で感じられるようになった。

◎偶像へと向けられることを禁圧された芸術衝動は、建築やイスラム模様、カリグラフィー(アラビア書道)などとして昇華された。
 以前トルコ巡礼に赴いた際、イスタンブールのいろんな陶器を商う店の前で立ち止まったら、「ちょっと寄っていきなさい。この大皿を観てみろよ、どうだ?」「まあ悪くないかな。でも好きじゃない」「ではこれならどうだ」「うん、このあたりの線がちょっとねえ」・・・などとチャイ(トルコでは単に「茶」を意味する)を飲みながらやり取りしているうちに、店主の熱の入れようが尋常でないまでに高まってきて、「お前さん、かなりの通と観た。よおし、そこまで言うなら・・・」と店の奥からさも大切そうに取り出してきた2枚の大皿は、トルコの人間国宝(ナショナル・トレジャー)として尊敬されている2人の名人が成形、彩色したというエーゲ海・地中海芸術の流れを汲むイズニック様式の逸品で、観の目でじっと観ていると、模様がうねうね動いて複雑な空間性の中へと吸い込まれるような幻惑感が生じるほどだ。
 2舞(枚)とも即座に買い求め、割れないよう細心の注意を払いながら日本へ持ち帰り、普段は龍宮館に隣接する天行院の道場に飾っているのだが、大勢で集まって食事する時には、食器として容赦なく活用される(呵々大笑)。

◎ヨーロッパがまだ暗い森に覆われ蛮族によって支配されていた頃、アラブは世界の文化の中心地として華麗に花開き、そこではとりわけ<詩>が、最も崇高な芸術としてほとんど魔術的な領域にまで高められたのだ。
 戦争の勝敗が、詩の詠唱によって決せられることさえ稀ではなかったといい、そんな世界において無学文盲の一商人に過ぎなかったムハンマド(マホメット)が詠むうた(『クルアーン』)が人々の魂を震撼しんかんさせ、戦士も、王侯貴族も、芸術家たちも、皆等しくその詩の前にひざまずいたことの意味を、皆さんもどうか推しはかってみていただきたい。

◎ある夜、洞窟内で瞑想していた40歳のムハンマドの前に、大天使ジブリール(ガブリエル)があらわれ、一冊の書物を広げて一言、「読め」と。
 私は文字が読めないのです、と尻込みするムハンマドに対し、大天使は重ねて強く命ずる。
「よめ!」・・・・「詠め!!」・・・「詠め!!!」
 その瞬間、あたかも生ける黄金が形をとったかのように、ムハンマドの腹中奥底から、文字であり言葉であり力でもあるところの、これまで誰も耳にしたことのない<詠唱>が、朗々と溢れ、洞窟内に複雑精妙にこだました。
 その神韻縹渺しんいんひょうびょうたる響きは、まさに至高のアッラー彷彿ほうふつとさせるものであった。それこそが、『クルアーン(コーラン)』だ。
『クルアーン』は各国語に訳して読むようなものじゃない。興味がある方は、各種CDが販売されているから、まずは「聴く」ことだ。

◎この大天使ジブリールなるエンティティは、幾対もの翼を持つ姿で顕われることが多いようだが、かつてシャーマン修業に専念していた頃、私もそんな姿をした精霊スピリットと何度か霊的に出合った体験がある。<ジブリール>という名がその時同時に脳裏に、というより心の内面に、パッと浮かび上がったが、それが大天使ガブリエルのイスラム教における別名であると知ったのは、随分後のことだ。
 あの時もっとお近づきになって、親しくしておけば、私も<詠む>ことができるようになったのかなあ・・・。
 イスラム世界を旅する時、『クルアーン』開端章(日々の礼拝でも使われる最重要の箇所)をアラビア語で暗唱し、「ライラハ・イッララー(There is nothing other than God)」とか「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」なんて一言つけ加えたりしようものなら、どこへ行っても、友よ、兄弟よ、わが息子よ、と大歓迎されてなかなか放してもらえなくなるから、イスラム教圏で「そういうこと」をするのは、時間のない時には極力控えるようにしている。

◎しかし、旅先の文化を深く知ろうとする態度は、世界のどこであれそこで暮らす人々から必ず歓迎されるし、ある時(日本で)タクシーに乗っていて「エジプト旅行が夢」という初老の運転手とあれやこれや話していた時、海外旅行の経験が自分にはないのだが何かコツのようなものがあるだろうか、と尋ねられ、人それぞれだし、すぐには思いつかなかったのだが、自分はいつもどんなことを心がけてきたかと思いを巡らせるうちに、一つあるぞと思い出した。すっかり習慣となって、今や無意識レベルのものとなっている旅の心がけ。
「ありがとう」や「こんにちは」「また会いましょう」など、その場所で話されている日常語を少しでもいいから積極的に覚え、積極的に使うこと・・・。
 実際に試したことがない人は、稚拙さや恥ずかしさを感じるかもしれない。が、経験上、それ――現地の人々との日常的な言葉の共有――こそ、旅を最大に楽しむ最上の<コツ>であると私は断言することをはばからないし、旅慣れた人なら誰もが私の意見に全面的な賛意を示してくださるものと信ずる。
 お互いの間に立ちはだかる見えざる障壁のごときものを、たった一言の「現地語」が瞬時に打ち壊し、ぱあっと笑顔が花開いて心が通いあうのがハッキリ体感できる瞬間は、まさに旅の醍醐味であって、幾度経験してもそのたびに新鮮な感動を覚える。

<2022.07.05 半夏生(はんげしょうず)>