Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション2 第二十六回 エッジ・オブ・カオス

いわおを咬んで激しく流れ下る急流を、1本のか細いわらしべが押し流されてゆく。
 いくら抵抗しても、頑張っても、流れにあらがうことなど、わらしべには絶対にできない。
 ならば、一切の抵抗を手放してしまい、むしろ積極的に流れと一体化し、流れそのものとなって、自発的に流れてゆく。
 あらがいながら「流される」、のではなく、委ね任せてみずから「流れる」。
 両者は外見上、同じ状態のように見えるが、内面的な実質はまったく異なる。
 そして、結果として流れ着くところも、全然違う場所となるだろう。
 これを「流心」と、龍宮道では呼ぶ。流心は、これまでも述べてきた通り、龍宮道のわざを使う際、常に一貫して心がけるべき基本中の基本だ。

◎7月1~3日、第3回龍宮会を広島にて開催した。
 こたびの龍宮会では、参加者らの希望もあり10数年ぶりにやや深い呪術領域を拓き、シャーマニックなセッションを執り行なった。おかげで参加者たちの心身が相当開かれ、組手においてもこれまでなかった新しいわざ、動きが自顕(自ずからあらわれること)してきた。
 以下にご紹介する動画は、龍宮会の一シーンだが、基本である「胸郭のやわらぎ」から出発して背中を液状化させ、背中を波打たせ、さらに背中を渦巻かせ(いくつもの渦が同時に発生する)――この状態を中国武術では通背つうはい、または熊背ゆうはいと呼ぶ――ついにはイーグルのスピリットを宿して武の舞へと至る・・・のだが、部外者にとってはもはや「狂気」以外の何ものでもないのかもしれない。
 エッジ・オブ・カオス(渾沌の縁)にて危うくバランスを取りながら、叡知とわざを汲み上げる、それは呪術家のみならずあらゆる創造的な仕事に携わる者が行なっていることだ。
 動画の途中、私の熊背状態が皆に共鳴し、中には笑いが止まらなくなった者もいたが、本人いわく「・・・(前略)・・・この時、含胸抜背の胸から背中へ抜けていくルートがスーッと流れると同時に、胸に強烈な爽快感が広がり、歓びに溢れた状態になっていました。太極拳の武術的な内容として捉えていた含胸抜背に、様々なヒーリング的可能性が拡がっているのも実感させられました」、とのこと(チーム・コミュニケーション・ツールへの投稿より)。

動画 2022.07.03 於:天行院

フルハイビジョン画質 06分21秒

◎武術や呪術(21世紀流の霊術)の技術を、ただ個人レベルで伝授することに、現在いまの私は以前のように重きを置いてない。もう、そんな贅沢が許される時代じゃないのだ。
 心身調和のわざを、集合意識の力を使って皆で一緒に拓き、皆で祈りを合わせて地球調和ヒーリングを祈念する・・・<龍宮会りゅうぐうえ>と名づけた集いの場にて、そういうことを始めた。
 地球が調和的な場所となりますように、との祈りを共有する方であればどなたでも大歓迎だし、龍宮会に直接参加せずとも、時間と空間を超えて、「あなた」も祈りを共にすることができる。
 動画冒頭で、皆が祈りを合わせ、呼吸をはかり合い、動きを合わせ、タイミングを合わせ、一緒にかしわ手を打つ、そんな場面がしばしば登場する。
 観照(観賞)者である「あなた」も、それに合わせて一緒にかしわ手を打てば、臨場感(その場に実際にいる感覚)がぐっと一気に高まり、画面の観え方(立体感や奥行き、波紋としての質感、など)までが変わってきて、一驚されることだろう。
 これが、「祈りを合わせる」ということだ。素直な心で、祈りを共にしながら、私たちと一緒にかしわ手を打てば、「何かサムシング」が通じてくる。
 時間と空間を超えたもの。龍宮道のわざの本質。ヒーリング・タッチで感じられるもの。ヒーリング・タッチで導かれるもの・導くことができるもの。
 その「何か」とは、一体、何なのか・・・おわかりだろうか? 

◎たぶん、ヒーリング・タッチを学び、長年修してきた人々でさえ、即答できないのかもしれない。
 マナ、気、プラーナ、生命力、活力・・・いろんな呼び名があるけれども、却って本質を見失っているのではあるまいか?
 私なら、こう言う。
 <いのち>・・・と。
 ・・・えっ、「あれ(これ)」って、<いのち>だったのか? 言葉ではよく使うけれども、心身一如で感じられる<いのち>とは、ヒーリング・アーツや龍宮道のわざでお馴染の、あの感覚/意識にほかならない・・・?・・・・などと、ずっと前に習ってすでにかなりできるようになっているにも関わらず、今頃になって自分が「何を」できるようになっていたのか気づいて感動するような鈍い奴のことを朴念仁と呼ぶわけだが、少し前に何を隠そう私自身がその朴念仁の一人、というよりは筆頭、であることを潔く告白した次第にて、朴念仁を一方的に非難・批判するが如き非道を私はせぬ。朴念仁であることを自己超克しようと努力する朴念仁が、私は好きだ。

◎これまでもずっと述べてきたことだが、改めて明記しておく。
 ヒーリング・アーツとは、龍宮道とは、<いのち>のテクノロジーなのだ。
<いのち>を、それは、リアルに扱う。<いのち>とダイレクトに触れ合ってゆく。
 他者の<いのち>をも、自在に操作する。
 呪術、と私がそれを呼ぶゆえんだが、「呪術家」という肩書きにも飽きてきた・・・というか、中身がない人間ほど肩書きを並べたがるというし、呪術家を名乗るのもそろそろ卒業かなと思っている。私には肩書きなど一切無用だ。 

◎さて、技術に重きを置かない、といっても、それでは具体的にどうすればいいのか、何をすればいいのか、皆目見当がつかないというのでは、致し方なかろう。
 技術の伝授・指導というものを、私は否定したり拒否しているわけでは、決してない。
 ヒーリング・ネットワーク2が始まってからわずか1年半足らずの間に、新しく授かったわざだけでもすでに相当数にのぼる。それらのすべてを一つ一つ文章で解説してゆくことは、時間的にも労力の面でも、とても無理だ。
 が、龍宮会のたびごとに、何かテーマをあらかじめ決めておき、参加者への伝授も兼ねながら参加者自身が動画撮影する、という方法であれば、ある程度体系的に、龍宮道修得のプロセスを門外の方々とも分かち合えるのではないか、と感じている。
 我々は、良い方法を独占するつもりはない。地球規模の危機が「公知の事実」(検察官らがよく使う言い回し。誰でも良く知っている、わかりきったこと、当然のこと、の意)となった今、地球調和に役立つ「秘伝」を一部の人間だけが独占して、一体どうするというのか?

◎今回の龍宮会にて早速試してみたが、「普段通り」をただ録画しているだけなので、ぶっつけ本番で内容はまったく整理されてないし、その場の思いつきでどんどん話が飛ぶし、揚げ句の果てに何かのはずみで参加者の袴の紐がほどけかかったり、・・・と散々な出来栄えで、プライベート感満載のホーム・ムービーみたいである(呵々大笑)。
 呪術家以前に芸術家であるところの私の矜恃が、こんなものを公開するなど、本来であれば決して許さぬところなれど、龍宮道修得に真剣な関心を寄せる「同志」諸君のため・いささかでも資するところあれば、との微衷より、この形式をしばらく試してみることにした。
 外付けのガンシューティングマイクを導入したので、従来より格段に音声が聴き取りやすくなったと思う。そして、部外者の理解促進のため、拙いながらテロップもつけてみた。
 今回ご紹介するのはあくまで「試作」だが、もう少しまともな動画が作れるようになったら、『龍宮道談儀』として逐次発表してゆく予定だ。

動画 『胸郭の和らぎ』(試作) 2022.07.02 於:天行院

フルハイビジョン画質 06分32秒

◎・・・ちょっといたずら心を起こして「道歌」っぽいのを書いてみた。

・信ずべき いかなる神をも持たぬまま ひたむきに進み来し道のりそのものが 神なりと知る

・誠をば 愚直なまでに突き出して 迷わず進め 正面突破

・祈りとたい ひとつとならば もはやこれ 守護も加護も 願い求むる必要なし 

・一心に 叩くかしわ手 神は聴く

<2022.07.10 温風至(あつかぜいたる)>