◎8月6日、原爆ドームそばで毎年行なわれる灯籠流しを帰神撮影するべくタクシーで出かけた・・のだが、コロナ禍以前と比べ人出が少なく、流される灯籠もあまりなく、夕焼け空を背景に原爆ドームの写真を1舞撮っただけで早々にその場を後にした。
◎琵琶湖名物の鮒鮨は、作り手によって随分味が違うので、気に入ったものと巡り合うまでには山あり谷あり、なかなか一筋縄ではいかない。琵琶湖産のニゴロブナを使ってないニセ鮒鮨も結構出回っているから、そんなものを間違って最初に食べ、「なんだ、鮒鮨なんて値段の割に大したことないじゃないか」と誤って思い込んでしまったなら、これは人生の損失、というか、一大悲劇といえよう。
◎東京へ出向いた際は、池袋の喫茶店「皇琲亭」に必ず立ち寄り、特製チーズケーキをアッサムのミルクティーと合わせ賞味するのが長年の習慣だが、素朴でありながら奥深いあの味わいを自宅で再現するべく相当実験を繰り返したにもかかわらず、いまだ満足のゆく出来栄えへと至ってない。
ところが先日、友人の一人が贈ってくれたチーズケーキの味が「皇琲亭」のものとそっくりなのである。聴けば、「皇琲亭」へ実際に行って味を確かめ、市販のいろんなチーズケーキを片っ端から試して、一番近いと感じたものを選んだという。
日々の生活の楽しみが、また一つ増えた。極楽である。
◎少し早いが私の誕生日祝いにと、沖縄のノコギリガザミとイシミーバイ(カンモンハタ)が届けられた。
ノコギリガザミは、本ウェブサイト中のあちこちに登場するから、皆さんもすでによくご存知と思う。
体長20センチ程度の小さなハタの仲間・イシミーバイは、沖縄の市場などでも滅多にみかけない高級魚で、私も口にするのは十数年ぶりだろうか。塩焼きにすると、皮と身の独特の香気が引き立つ。
日々是好日、極楽なり。
◎芸術から呪術へと至る3つの階梯がある、と岡本太郎は言う。
芸術はまず、洗練された趣味的な面で人々に受け容れられる。そこには愉楽があり、幸福感がある。作品は高い値段をつけられ取り引きされる。
「次の段階、これは深刻である。」(岡本太郎著『呪術誕生』より。以下同)
「それにふれると、理解をこえて、ぐんと腹に迫ってくる。その精神、内容がうってくるのだ。ほとんど息苦しい。愉楽はないが、緊張と生きがいにもえる。」
そして最後の段階。ここではすべての理解は超えられてしまっている。――何でもないもの、これこそ至高だ。
「何だかわからない、何でもないということさえもわからない。その瞬間から、それが私にとって呪術をおびはじめる。」
「共通の価値観が成り立たない、自分一人、自分自身にも価値判断がわからないものに賭け、貫いていかなければならない。まして他人の目、世間の評価などは、何の意味があるだろう。」
そうした「何でもないもの」「自分自身でもわからないもの」にこそ、社会を根底からひっくり返す力が秘められているのだ、と太郎は力強く説いた。何だか龍宮道について語っているみたいで、「それでいいのだ。もっとどんどんやりなさい」と、力強く魂を鼓舞されているように感じる。
<2022.08.11 涼風至(すずかぜいたる)>