高木一行 編
暗黒裁判の最中に発表した草稿である(2015年11月)。
これらはあくまでも、すでに過ぎ去って・今はもうない「過去」に属すものだ。過去と向き合い、過去への囚われから解放されるための<禊>として、こんな風に現在の中に過去のリフレクション(反射、断片)を鏤める作業を続けている。関連する古い動画も、画質はやや粗いが、再録した。
大阪高等裁判所での控訴審の判決言い渡し(2015年11月22日)が間近に迫ったある日、龍宮館サンルームで妻の美佳とアフタヌーンティーを愉しみながら、
「サンルームのスライド網戸がものすごいことになってるな」
「オットちゃん(編注:龍宮館のペットオオトカゲ)が毎朝登って喜びの踊りを踊るのよ。それが好きなんだって。つかまえて降ろそうとしたら、絶対おりるもんかって感じで必死につかまりながら、喉を膨らませてすごい噴気音を出すんだから。フゴーッ!って」
「だんだん成長するにつれて、噴気音に底力というか、迫力が出てくるんだよ。猛獣、って感じで」
「そんなのを前飼ったことがあるの?」
「あるよ。中学の時、ワニの赤ちゃんを飼い始めてね。ほら、ワニの赤ちゃんって可愛いだろ? 体長20~30センチくらいの小さいのがさ、昔は広島市内の熱帯魚屋で夏になると時々売ってたんだよ。水槽に何匹も入れられて。それを父親にねだって買ってもらってだね、育て始めたわけ。最初は手に持つとクゥクゥ甲高い声で鳴いてたけど、あれは親に助けを求めてるのかねえ。メガネカイマンっていう種類だったけど」
「この間観たDVDでも、クロカイマンの仔ワニを大きな母ワニが護ってたわよねえ。仔ワニたちも母ワニのそばに寄り添ったり、母ワニの頭や体の上に平気でよじのぼったりして。あれを人間が真似したら、たちまちかみつかれるでしょ」
「ナイルワニの母親がさ、卵が孵る頃になると優しく卵を噛み割って中の仔ワニが出てくるのを助けたり、孵化したての仔ワニをそっとくわえて水の中へ連れていくじゃないか。ああいう映像を観るたびに感心するのよ、俺は」
「ナイルワニってヌーとかシマウマをつかまえて食べちゃうんでしょ」
「そうそう。あのものすごい歯で生まれたての仔ワニを傷つけないように扱うためには、相当繊細な神経が要るんじゃないかな」
「ワニといえば、あれ何ワニだっけ? ほら、発情期の雄が重低音でうなると・・・」
「その振動でまわりの水が波立つやつね。ミシシッピワニだよ。あれも凄いよなあ。波立つなんてもんじゃないよな、あれは。水面から無数の水滴が高く跳ね上がって踊るんだから」
「うなり声が何キロも先まで届くのよね」
「そうらしい。あのざわざわ騒いでる水面とヒーリング・タッチで触れ合ったらどんな感じなのか、是非試してみたいと前々から思ってるんだけどねえ。どこかによくなれたミシシッピワニの雄を飼ってる人がいないもんかね」
「ミシシッピワニってなれるの?」
「そうらしいよ。胴輪をつけて散歩したり、一緒にシャワーを浴びたり、そんなこともできるようになるらしい。個体差もあると思うけど」
「ミシシッピワニってどれくらい大きくなるの?」
「4~5メートル。飼育下ではそこまで大きくはならないだろうけど、でも大型のワニではある」
「そういえば、噴気音の話をしてたんじゃなかったっけ?」
「ああそうそう。ワニのベビーを水槽で飼い始めて、小魚とか鶏肉なんかを食べてすくすく育ってさ。夏場は外の池で亀と一緒にして、秋になると室内の水槽に戻すことをやっているうちに、いつの間にか体長1メートルくらいになったわけ」
「すごい」
「それくらいの大きさになると、池で生まれた小さい亀なんか甲羅をかみ砕いて食べちゃうんだよ。普通サイズの亀なら一緒にしても問題ないけど。それはさておき、夏がそろそろ終わるという頃、池の水を全部抜いてだね、ワニをつかまえようとしたら、大きいんだよ、これが。どこをどう持てばいいか、迷うくらいで」
「一行の言いたいことがわかった気がする。つまり、その大きくなったワニをつかまえようとしたら、噴気音を出したわけね」
「その通り! その時が初めてでさ。小さい時はクゥクゥ可憐に鳴いてたものが、両手両足を踏ん張っていきなりフゴォーッと強烈にきたもんだから、伸ばそうとしたこちらの手がハッと止まったね」
「あははは、想像すると何だかおかしい」
「でもさ、その猛獣チックなワニを練習台にしてワニ止めの術というものをその後体得したのよ、俺は」
「えっ? 何? わにどめ、って」
「テレビで観たんだけどさ、ワニの動きを止められるって触れ込みのインド人が出てきてね。伊豆の熱川にバナナワニ園っていう観光施設があって、いろんな種類のワニが温泉を利用していっぱい飼われてるから、そこで実験しようということになって」
「本当にワニを止めたの?」
「そうなんだよ。ワニがたくさん日光浴してる中にそのインド人が入っていくと、好奇心旺盛なワニたちがいっせいにそちらへ向かって動き出すんだけどさ、こう両肘を張って掌を前へ向けるとだね、皆一斉に動きが止まるわけ。そのポーズをやめると、またぞろ動き始める。ポーズ、ぴたっと止まる。何種類かのワニで試してたよ。どれも大人しい種類ばかりだと思うけど」
「それを自分のワニで真似してみたわけね」
「そうそう。そしたらさ、ちゃんとできたんだよ。何度やっても、ぴたりと見事に止められるではないか。手や腕の形だけじゃなくて、全身の姿勢というか、気迫のようなものが大事でさ。目もポイントだね」
「ワニってゴツゴツした鎧みたいな体をしてるけど、意外と繊細な生き物なのかも」
「爬虫類の心臓は二心房一心室なんだけど、ワニだけは例外で二心房二心室の鳥類や哺乳類に近い構造でさ、爬虫類の中で一番進化してるっていわれてるよ。進化してるのは心臓だけじゃないのかもね。ところで、オットちゃんは今どこにいるんだい? さっきから姿がみえないけど」
「遊び疲れて寝てるよ。ブルーレイ・レコーダーのところに入り込んで」
「温度は大丈夫かね」
「さっきサーモガンで体温を測ったら27度だった」
「ちゃんと一番いい場所がわかってるんだねえ。オオトカゲから蛇が進化したっていうけど、オオトカゲっていうのも賢い生き物だよなあ。そういえば、ここ最近オットちゃんに噛みつかれたことある?」
「全然ないわね。この間、かなり小さいコオロギを手で食べさせたのね。ちょっと危ないかもって思ったんだけど、ソフトにコオロギだけをくわえて、ちっとも危なげがないの。でもピンクマウスをあげる時だけはピンセットか菜箸を使うけど。ピンクマウスが大好物なのよ。すごい勢いで飛びついて、ぱくっとひとのみ」
「ピンクマウスは1週間に1回?」
「そう」
「全体的にいい感じで順調に育ってるよ。体の両脇のしわが伸びて消えっぱなしになるようだと太り過ぎのサインだからね。飼われてるオオトカゲの死亡原因は、たいていが太り過ぎによる内臓圧迫だっていうから、いくら可愛いからって、食べさせ過ぎると後々ろくなことにならない」
「あんなによく動き回って運動量が多い生き物なんだから、それを狭いところにずっと閉じこめて飼うのも問題よね」
「確かにそうなんだけど、オットちゃんみたいによくなれてて手ごろなサイズならいいけど、敵意むき出しで人間に襲いかかってくるようなのも少なくないっていうからなあ」
「襲いかかるって、噛みつくってこと?」
「それもあるけど、ナイルオオトカゲとかミズオオトカゲなんかはさ、尻尾でばしっと鞭みたいに叩くんだよ。大きいのにやられるとジーパンの上からでもみみず腫れになるってさ。高田栄一さん(編注:爬虫類研究家。1925~2009)が言ってたよ。オットちゃんみたいな半樹上性のオオトカゲはそういうことをしないけど」
「そういえば、オットちゃんってさ、猫用のトイレを使うのよ、最近」
「えっ?」
「よく教えたらトイレの躾もできたりして」
「そんな話は聴いたことないけど、でもドゥエンデ(編注:トッケイヤモリ)はちゃんと水を入れたタッパーのトイレを使うようになったよな。別に躾けたわけじゃないけど。毎日の掃除が楽で有り難いよ」
「ドゥエさんって、全然鳴く気配がないよね」
「深夜の龍宮館にトッケイヤモリの鳴き声が突然響き渡る、という趣向だったんだけどねえ。ゲストがびっくりして飛び起きたら面白い、って」
「大きいケージにすれば鳴き出すっていうけど、うちではダメねえ」
「いっとき会話できそうになったけど、あれ、なかなか難しいんだよ。人間がトッケイ! って正しく発音するのは」
「ちゃんとできると、耳を音のする方に向けて聴くもんね、ドゥエンデが。隠れてるところから出てきたりするでしょ、何ですか? って感じで」
「そうそう。でも、どこかがちょっとでも違うと、完全に無視じゃないか。無反応というか。鳴き声と認識してないんだろうね、あれは」
「ドゥエンデって最近かなり太り気味でしょ。爬虫類の太り過ぎは良くないって言うし、この際、嫁を迎えたらどうかしら。張り切って鳴き出すかもしれないわよ」
「2~3日おきにイエコオロギを2~3匹だけなのに、なんであんなにぶくぶくになるのかねえ。嫁か、それもいいかもな。あんな大きなケージにひとりきりじゃ何だか寂しい感じだし。でもさ、ドゥエンデってフィリピン産だよな。タイとかインドネシア産のトッケイは爬虫類ショップでよくみかけるけど、フィリピン産は珍しいんじゃないかな。どうせ嫁を迎えるなら、同じフィリピン産がいいよねえ。だけど苦労して探した末に迎えたはいいけど、相性が悪かった、なんてことになったらどうしよう。直ちに別居、なんてさ」
「その時はその時、ということで。それぞれに別のパートナーを探したら、これまた相性が悪くってさ、トッケイのケージが4つ並んだらどうする?」
「考えたくないな、そういうのは。でも、蛇に巻きつかれて身動きできなくなった仲間を助けるトッケイって動画があったじゃないか。複数飼いしても結構仲良くしてるらしいよ、トッケイというのは」(中編へ続く)
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<2022.12.20 鱖魚群(さけのうおむらがる)>