Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第三回 古代の神々の封印

◎10年ぶりの大寒波襲来とのことだが、天行院前を守る1対のシーサーが雪の帽子でお洒落した姿をみるのも久しぶりだ。

シーサー シーサー

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 ちょうど二十四節気の大寒だいかんの時節でもあり、こんな時は寒さを徹底的に味わうべく、氷を浮かべた水風呂に入るのが楽しい。首まで冷水に浸かりじっとしていると、たちまち体の芯まで冷えきって動きがぎこちなくなるが、その反動で骨の髄から命のぬくもりがふつふつと沸き起こってくる。
 それは「生きている!」という実感にほかならない。

◎ここ最近、タンドゥーリー・チキンの研究に専念していたのだが、あれこれ工夫を凝らしてもインド料理店で出される品にどうしても及ばないのは、レシピの問題ではなく、専用のタンドゥール窯がないからであるとわかった。タンドゥーリー・チキンと合わせて食べるナンも、タンドゥール窯でなければうまく焼けない。
 タンドゥール窯の導入を真剣に検討したが、「インド人も絶賛するインド料理店が近所にあるのだから、そこで食べるのが一番」との結論に達した。またしても「青い鳥現象」(最良のものは身近にある)である。

タンドゥーリー・チキン

現在の私のベスト。タンドゥーリー・チキン(もどき)とシークカバブ(もどき)&ナン(もどき)。つけ合わせのマンゴー・チャツネに独自の工夫あり。

◎タイ人はゴキブリを食べる! と大げさに騒ぎ立てる者が以前いて、調べてみたら水棲昆虫のタガメをゴキブリと勘違いしていただけのことだったが、そのタガメ(塩漬け)をいただいたので、これを使った料理に挑戦しようと思っている。試しにちょっとかじってみたら、パクチー(コリアンダー、香菜シャンツァイ)みたいなかぐわしい香りがした。聴くところによると、カメムシもパクチー風味らしいが、考えてみればタガメはカメムシ目(半翅目)の昆虫だった。タガメをタイ語でメンダーと言うが、メンダー・タレーはカブトガニを指す。東南アジアではカブトガニも食用にされ(身はほとんどなく卵のみを食べる)、一緒に料理されるハーブ類とも相まってとても変わった味なのだが、時折それを食べるためだけにプーケット島などへ行きたくなる魅力を秘めている。

タガメ(塩漬け)

◎新春の楽しみの一つ、フキノトウ味噌。フキノトウをみじん切りにし、味噌と味醂、好みで砂糖少々を加え、電子レンジに1分もかければ出来上がりである。フキノトウにこもる強い春の苦味が、味噌と味醂によってマイルドに整えられ、ご飯が進む、進む。

フキノトウ味噌

◎気候変動の影響なのか、最近、近所のスーパーで見慣れぬ南方の魚が売られているのを目にすることが多くなった。安価だが、意外といける。
 一抱えもあるほど大きな天然物なのに、「こんな値段じゃ、漁師も魚屋もかわいそうだ」と気の毒になるような安値で寂しそうに売られている魚もある。
 そういうちょっと変わった魚は定期的に入荷するものではないので、どうしても欲しい場合は買い物へ出かける前に魚屋に電話して確認するのだが、「今日はカッパは入ってますか?」などと生真面目な態度で尋ねるたびに、いまだに思わず吹き出しそうになってしまう。
「かっぱ」というのはニザダイ(Prionurus scalprum)を愛媛方面で呼ぶ名らしいが、タイの仲間ではなくニザダイ科という独立したグループに属する魚だ。沖縄や奄美の市場ではよくみかけるが、広島で売られているのを数年前に初めてみた。
 白身系のあっさりした味わいの中に程よいコクとうま味が隠されていて、薄造りにしてポン酢で食べるとなかなかの美味である。レモン醤油にコーレーグース(泡盛に島トウガラシを漬けた沖縄の調味料)を加え、ワサビを薬味に使う沖縄式の食べ方もいい。
 通好みといおうか、同じ白身魚でも、フグ、カワハギやタイ、カレイ、ヒラメ、オコゼ、ハタ類とも違う、独特の香りと舌触りと味わいがある。

かっぱ

◎ムール貝が手に入ると、トルコで覚えたエーゲ海スタイルで調理することが多い。
 ボイルした身に軽く塩コショウを振り、薄力粉をまぶしてさっと揚げる。これを、プレーンヨーグルトをベースとして、タマネギみじん切りとニンニクすり下ろしを少々加え、塩であっさり味を調えたソースにつけていただく。ソースにイタリアンパセリかセルフィーユ、あるいはパセリのみじん切りを加えると、貝の風味がより一層際立つ。
 一口、二口と食べるうちに、エーゲ海の爽やかな風が体の中を吹き抜けてゆくような感覚が生じ始める。

ムール貝

◎旅の楽しさを初めて知ったのは1979年(18歳)だが、巡礼として旅するようになったのは1999年のトルコ巡礼を嚆矢こうし(物事の始め、最初)とする。初の龍宮巡礼(久高島)も1999年だ。
 リフレクション・シリーズの世界観をさらに拡げるため、過去の巡礼の断片リフレクションを「現在」の中にちりばめてゆくこととした。帰神フォト開眼以前に撮られた写真も使用するが、未熟なものであることはあらかじめご了承いただきたい。

◎トルコ、イスタンブール。
 紀元4世紀にローマ帝国のコンスタンティヌス帝がビザンティウムに遷都し、街の名をコンスタンティノープルと改めて以来、この地はヨーロッパと東方世界を結ぶかけ橋として繁栄してきた。
 その後ビザンティン帝国時代を経て、14世紀初頭におこったオスマン・トルコによって制圧され、街の名もイスタンブールと改まった。
 イスタンブール市街に、イエレバタン・サライと呼ばれるビザンティン時代の貯水池がある。イエレはトルコ語で「地下」、バタンは「沈む」を意味するが、その名の通り幅140メートル、横70メートル、高さ8メートルの空間がすっぽり地面の下に埋め込まれた構造となっており、近年フランス人考古学者によって発見されるまで、誰もその存在を知らなかったという。
 民家の扉をくぐり、湿って滑りやすい階段を下りてゆくと、温度がぐっと下がり、真夏でも長袖でちょうどよいくらいだ。
 ひんやりと湿った空気が満ちた暗く神秘的な空間の、下から1メートルくらいまで水が溜まっていて、天井のあちこちから滴り落ちてくる水滴の響きが全身を包み込む。
 騒々しい観光客たちも、この場所へ一歩踏み込んだ途端、そこに充満する荘厳冒し難い雰囲気に圧倒されて、皆寡黙となる。
 これが単なる貯水池などであり得ないことは、コリント式柱頭をいただいて整然と立ち並ぶ大理石の円柱を観れば明らかだ。
 木製の歩道に沿って奥へと進むと、衝撃的な光景が待っている。
 ひときわ大きな2本の円柱を支える、巨大な蛇女神メドゥーサの頭像。1つは横向き、もう1つは逆さまになっている。

メドゥーサの頭像 メドゥーサの頭像

 1984年、イエレバタン・サライの底にたまった泥をさらったところ、これらの頭像が発見されて、ちょっとした考古学的センセーションを巻き起こした。
 わざわざ逆さまと横向きにし、ひつぎを模した聖櫃せいひつと柱で踏み抑え、人目に触れないところに沈められていたのは、ローマ帝国が国教のキリスト教を広めてゆく過程で、メドゥーサを始めとする土着の女神信仰を封印しようとした呪術的行為にほかなるまい。
 すなわちイエレバタン・サライとは、蛇女神メドゥーサが封印された地下神殿なのだ。
 メドゥーサを始めとして、世界のいろんな場所に封印されている古代の神々を解放すること。
 私が、過去20数年間、エソテリック・ワーク(秘教的作業)として集中して取り組んできたのは、まさにそれに尽きる。
 ・・・何? それは弾圧されても当然、だって?
 まあ、それについては異論はないよ(呵々大笑)。

メドゥーサの頭像

◎第6回龍宮会の切り落とし動画。

『波紋杖』 2013.01.08 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分21秒

<2023.02.01 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)>