◎2023.02.03~05、第7回龍宮会を広島で執り行なった。
前回の龍宮会同様、武道をまったく(あるいはほとんど)習ったことがない参加者たちが、大東流合気柔術の応用わざを試してみる場面があった。
仰向けに寝ころんだ術者に1人がまたがって胸ぐらを掴み、両腕を2人におさえつけられた状態からわざをかける。
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「何とかできるとはとても思えない」態勢であることは、実際にやってみればすぐわかる。が、基本的なポイントを事前にちょっとレクチャーしただけで、皆あっさり「できて」しまった。
◎大東流合気柔術は、会津藩の御留技(藩外不出の秘技)として伝えられてきたためか、公式の古文書による記録類が存在せず、その発祥と歴史は謎に包まれている。
口伝によれば、大東流の開祖は新羅三郎源義光であり、彼は源家古伝の秘法に一層の工夫を加えて合気の秘奥を大成したとされている。
すなわち「後三年の役」における戦死者の死体を解剖して人体の構造を研究し、逆手技、一撃必殺の殺法を極めた後、女郎蜘蛛が獲物をとらえる様からヒントを得て、合気の真髄を体得したというのである。
新羅三郎源義光については『尊卑文脈』に記述されている程度で、謎の部分が多い。その文脈が明らかになるのは、「武田」の姓が用いられるようになってからだ。
その後、天正元年(1573)、武田信玄の血を引く甲斐武田一族・武田国継が会津の地頭職に任ぜられた際、会津の地に大東流の道統が伝えられた。やがて大東流は殿中護身武芸となり、御式内と称されるようになる。
以後幕末まで、会津藩の御留技として歴代藩主がこれを継承。家老、重臣、小姓、また一説によれば五百石以上の上士および側近、奥女中のみがこれを修得することを許されたという。
大東流の存在を世に知らしめた中興の祖・武田惣角(1859~1943)は、上記の武田国継から数えて17代目に当たる末孫である。私が学んだ大東流は、武田惣角、堀川幸道(1894~1980)、岡本正剛(1925~2015)と伝えられてきた系統だ。
◎「合気」という用語は大東流だけに存在するものではなく、他流の伝書や口伝の中にも見ることができる。しかしいずれも「相手の気に合わせること」とか、「相手が攻撃してくる勢いに合わせて受け流すこと」といった、観念的、抽象的説明に終始している。
これに対して、大東流合気柔術における「合気」とは、純然たる技法であり、大東流の中核をなすものといっても過言ではない。すなわち、敵からいかなる攻撃を受けても、接触した瞬間にその力を無力化して抵抗不能の状態にさせ、投げ技や逆技へと転じる。
実際に合気をかけられると、触れ合った瞬間、電撃が走ったように体が硬直し、まったく抵抗できない状態で、意のままに操られてしまうのだ。
私の師である岡本正剛先生(大東流合気柔術六方会宗師)の指導は、毎回、まさに合気、合気、合気の連続で、見る者がわが目を疑うような光景が、こともなげに次々と繰り広げられていった。
岡本先生の手首を掴んだ屈強な弟子が、コップを引っ繰り返すようなわずかな動きで投げ飛ばされる。
数人がかりでおさえつけ、しがみついても、次の瞬間全員が倒されて人間の山ができ、そのうちの誰一人として微動だにできなくなる。
先生の指先が掌に触れただけで合気をかけられてしまい、先生の後について道場中を爪先立ちでよちよちとついていくはめになったりする。
しかも岡本先生の技は自然体から繰り出され、その動きはほとんど目にも止まらないほど小さい。第三者はもちろん、技をかけられた当の本人でさえ、いかにして投げ、崩し、倒されたのか理解できないのだ。
◎いかなる原理によって、上述のようなことが可能となるのだろうか?
岡本先生は、まず第一に力を抜くことを強調されていた。常識的に考えると、力を用いずにどうやって技をかけたらよいのかということになるが、力んでいては絶対に合気は使えない。
なぜならば大東流では、筋肉を「力の源」としてではなく、「力の伝達器官」として働かせねばならないからだ。つまり、体を緩めて全身に流れを起こすのである。上級者になると、その効果を身体内で処理するため、技の動きが体の外からはほとんど見えなくなるのだ。
中国武術には寸勁、分勁といって、至近距離からほとんど反動を使わずに相手を吹っ飛ばしたり、地に叩きつけたりする高級技術があるが、そうしたわざも岡本先生は普通に用いていらっしゃった。
わざをかける時は、触れ合った刹那、その部分を介して円(球)形や螺旋の動きで相手の中心を攻め狂わせる。その際、人体の生理的な反射を利用して虚の状態を瞬間的につくりだし、そこから攻め込んで相手の重心を完全に奪ってしまうのである。
具体的にいうと、相手の動きを誘ったり、球転運動を円滑にするために、倒すのとは反対の方向から攻めたりする。この時の注意点として、球の中心はあまり動かさず、しかも体から離さないということがあげられる。さもなければ全身の動きをその部分に集約することが難しくなるし、自分自身もバランスを崩しやすいからだ。
また、一見、中心点が固定されているように見えても、そこに小さな落差(上下、前後、左右)を伴うことが多い。その落差が相手に対する誘いになったり、敵の重心を移動させるための重要な働きをする。そして指一本一本の動きが、相手の足を地面に固定させるための大切なポイントとなっている。
また、こうした身法を活かすも殺すも呼吸次第ということができる。体のいかなる部分であれ、そこに呼吸の動きを作用させることができなければならない。そうして初めて、合気の威力を真に引き出すことができるのである。
さらに高度な段階になると、呼吸を使ってわざをかけることができるようになる。
岡本先生はこれを、「相手の呼吸を盗む」とか「自分の呼吸に相手の呼吸を合わせる」などと説明されていた。それによって、自分のリズムに相手を引き込んでしまうことが可能となるのだ。
「抜き合気」というわざを例にとって説明しよう。このわざは吐く息が重要な要素となっているが、これをかけられると、掴んだ部位の抵抗感がなくなって全身からフワーッと力が抜け、床に崩れ落ちてしまう。また、相手にまったく触れずに倒す場合などでも、呼吸の運用を抜きにして語ることはできない。
岡本先生の六方会では、常に相手との関係においてわざを練るような指導がなされていた。間合いや攻撃の方向、力の強弱などを読み取り、体質や体格、性格など、それぞれが異なる様々な人間を相手にして、臨機応変にわざをかけられるように訓練するのである。
いつも自然体で臨み、相手が90%くらい接近してきたら、それより速く攻め入ることによって、15~20%の攻撃で優位に立つことができる。これは、口で言うのは簡単だが、正しい指導者のもとで修練を積む以外に上達は望めない。
腕を掴まれた時に使う合気だけではなく、肩、胸、足、頭、耳などの全身至るところ、そして武器を用いての合気をも修得し、敵の立体的な攻めにも自由自在に対応できるように修練を重ねていく。
さらに、手刀や掌が相手の体に触れた時に使う合気、多数取りや対武器法、様々な姿勢で合気をかけることなどを合わせて学ぶのである。
◎第7回龍宮会で、私も久しぶりに大東流合気柔術をやってみた。その模様は以下の動画の通り。
合気はすでに私の血肉と化しているので、何をやっても合気になってしまうわけだが、大東流と龍宮道とでは合気の表現法が自ずから異なる。
フルハイビジョン画質 03分39秒
◎龍宮会の食事(デザート)1
龍髭酥。麺作りの要領で、水あめを細い糸状に延ばしに延ばした中国の菓子。口の中でふわりと儚く溶ける食感と、ほんのりやさしい甘さが楽しい。元々、中国皇帝のために考案されたものだというが、これとそっくりな菓子を以前トルコで食べたことがある。
◎龍宮会の食事(デザート)2
これまで日本では食べられなかった生の龍眼がようやく輸入解禁となった(ヴェトナム産)。東南アジアでは非常に人気のある果物だ。
◎龍宮会の食事(デザート)3
ヴェトナム最高峰のチョコレートとして世界的に注目を集めている「マルゥ」。ヴェトナム産のカカオ豆のみを使っているそうだが、産地ごとに異なる様々な味わい、香り、コク、後味などを、皆で「利きチョコ」するのも楽しい。
<2023.02.06 東風解凍(はるかぜこおりをとく)>