◎2023年7月1日、東京・東日本橋にてヒーリング・アーツ相承会を執り行なってきた。
地球調和を祈る龍宮会のシリーズが一段落し、今後は龍宮道(ヒーリング・マーシャルアーツ)のみに専心することから脱却して、より大きな器であるヒーリング・アーツへと回帰してゆく。
武の舞ならぬヒーリングの舞を、神聖舞踏として共に舞う。喜びと笑いに彩られた、深遠ないやしと・学びと・修業の場。そのような霊的フィールドをこれから創り出してゆこうと祈念している。
本格的な対外活動は8月11日、12日の広島相承会をもって開始するが(詳細は近日中に発表)、7月1日の東京相承会はその前夜祭といった位置づけとなる。ちなみに「相承」とは、わざや法(真理)を受け伝えてゆくことを指す言葉だ(仏教では「そうじょう」と読む)。
今回の相承会では、まずはヒーリング・アーツの基本中の基本である「ヒーリング・タッチ」を取り上げた。
これがなければ何も始まらないというほど重要な「ヒーリング・タッチ」。それを様々な形で何度も味わいつつ、そこで働いているのは一体いかなる作用なのか、どんなことが受け手の身体や意識に起こるのか、参加者自身が探求していった。
ヒーリング・タッチによって導かれるオフ感覚やレット・オフについては、ウェブサイト中の各所でその素晴らしい効果を力説し、恩寵とすら呼んで讃えてきた。日々、ちょっとでも不快感とか不安感などを感じた時は、掌の中心をそれらの重さ・苦しさとシンクロさせ、次の瞬間、「切って・離す」(レット・オフ)。
掌から起こす目に見えない細やかな波紋が、人間の心身にどれほど深い影響を及ぼすものか、実際に自ら体験してみれば一驚を禁じ得ないだろう。長年の実践経験に基づき断言するが、レット・オフの一手を会得し、日常生活の中で活用するだけで、人生(生きること)が本当に・・・途方もないほど、<楽>になる。豊かになる。
私事になるが、4年余に及んだ地獄のような刑務所生活(冤罪)をも、易々として・有意義に・楽しく過ごすことができたのも、ひとえにレット・オフ(内破)の賜物にほかならない。
私と直接触れ合いながら、「波紋体験」「振動体験」として「体感」を共有してみる。それは現代世界においては、求めてもなかなか得られない、極めて希有で有意義な体験となることは間違いない。
ヒーリングの舞を共に舞い、ヒーリングの光を全地球的に拡げてゆけば・・・各自の人生のみならず、人類の、さらには地球生命全体の赴く先ですら、何らかの善き変化が肯定的にもたらされるかもしれない。
ヒーリング・タッチとは、心身の根源となる超微細粒子を活性化させる方法であると同時に、瞑想であり、瞑想を響き合わせて他者と共感・共鳴するための鍵ともなる。・・・これは、ブッダやイエス、老子、荘子など「人類の教師」たちが、それぞれ様々な言葉や手法、瞑想法などを通じ伝えようとした、生のエッセンス(精髄)にほかならない。
そういえば、イエスもブッダも、掌をあてることによって、病者をいやすことができたと言われている。究極の意識の高みに達した彼らのタッチは、普通の雑で粗い「さわること」とはまったく違う、繊細で優しくやわらかな「いやしの触れ合い」、すなわち私たちが言うところの「ヒーリング・タッチ」であったに違いない。
私は自らの著書に、『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』というタイトルを付した(2009年刊)。「奇跡の手」とは、私個人の自画自賛などでは決してなく、「人間の手には、奇跡的といっていいほどの、驚くべき神秘的な感覚・意識・能力が秘められている」、という意味だ。
◎ところで皆さんは、「尻腰」という言葉をご存知だろうか? 度胸、意気地、根気などを指す言葉で、「尻腰がない(=度胸がない、意気地がない)」という風に使うが、今回の東京相承会参加者に尋ねたところ、「そんな言葉はこれまで聞いたことがない」と全員が言っていた。
「腰が入る」「腰が抜ける」「腹が据わっている」などは、それらが具体的に(解剖学的に)いかなる状態を指すのかわからなくとも、多くの人が耳にしたことがあるだろう。ところが尻腰については、度胸・意気地・根気などは誰にとっても生きる上で大切なファクターと思うが、にもかかわらずその言葉自体がすでに忘れ去られ、使われなくなっているようだ。
肥田式強健術創始者・肥田春充は、次のように述べている。
あらゆる武術の極意も・万芸の基礎も・健康法の極致も、すべて「姿勢」の一事に集約される。そして姿勢の根本とは、「腰を反らせて尻を突き出す」ことにある・・・と。
春充によれば、「腰を反らせて尻を突き出す」姿勢を動作の根本に置くことにより、何ものをも恐れぬ真勇が腰腹の裡より滾々と湧き溢れてくるようになるというが、これこそまさに「尻腰」という言葉が指し示していたものではあるまいか?
尻腰という言葉を誰も知らないし、意味もわからない。このことが、日本人全体が慢性的に陥っている弱腰、臆病、卑怯卑劣と密接に関わっているとしたら、尻腰を復活させ取り戻すことこそ、私たちの生活や人生を根底より変革してゆくための重要な鍵となるのではあるまいか?
◎東京相承会の翌日、今後の海の巡礼で必要となる特別なフィン(ダイビング用の足ヒレ)などを買い求めるため、友人らと都内各所を回った。
その後、よく熟したヴェトナム産のドリアンを買って上野公園に持ち込み、皆で美味しくいただいた後、公園内にある東京国立博物館にて特別展「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」を堪能。
「巡礼にいらっしゃい」という霊的招待状がメキシコからも届いているので、今回買い求めたフィンを持って近いうちに訪問しようと思っている。
昼食はカンボジア料理店でとったが、アモックなど現地でよく食べていた懐かしい味を楽しんだ。
◎上野アメ横の東南アジア食材店でみつけ、土産に買って帰ったホビロン。孵化前の鶏の卵をゆでたもので(現地ではアヒルの卵が使われる)、ヴェトナムやフィリピンの人たちは喜んで食べている(フィリピンではバロットと呼ぶ)。これを平然と美味しく食べられないような人は・・・たぶん「尻腰がない」のであろう(呵々大笑)。
◎こちらも東京土産のヴェトナム産ドリアン。
◎帰りの新幹線では、何か悦ばしい・めでたいことが起きる予兆とされる瑞雲(五色の雲。彩雲ともいう)が西の空に現われているのを発見。すかさずスマホで撮影した。
<2023.07.05 半夏生(はんげしょうず)>