Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第四十二回 腰腹の裡なる渦動

◎第三回相承会(2024.01.06~08)と第四回相承会(2024.01.13~16)を、クローズド(一般非公開)で執り行なった。
 その模様の一部を撮影した動画をご紹介する。

動画1 『稽古風景1』 撮影:2024.01.07 於:天行院

フルハイビジョン画質 01分16秒

動画2 『稽古風景2』 撮影:2024.01.14 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分29秒

◎動画2の撮影日は、動画1の1週間後である。にもかかわらず、私の動きやわざの質が、1週間前とは明らかに異なっていることがおわかりだろう。なぜそんなことになったかといえば、第四回相承会の最中、まったく新しい未知なる腰腹の調ととのえ方が自顕じけん(自ずから現われること)してきたからだ。
 ここ数ヶ月間、仙骨に秘められし可能性としての「尻腰しっこし」を覚醒させ・開く作業に、友人らと共に専念してきた。その必然的結果として、第四回相承会のさ中、かつて肥田春充が「腰」とか「腹(丹田)」と呼んだ「現象」と、思いがけない場所で思いがけない出会い方をすることとなり、その新しい腰腹(腰に連なる腹力)を軽く造っただけで、勝手にわざがかかるようになり始めたのである。
 この姿勢を造ると、腰の内部で未知なる働きが発生し、下腹中央のいわゆる臍下丹田部に未体験の強烈無比な緊張が映ってくる(あまりに強烈過ぎて、現在の私にはこの大緊張を1日数回造るのが精一杯だ)。「腰(と丹田)の裡が(複層的に)廻る」としか言いようがないのだが、それは1個の球が回転するような単純なものではなく、腰とか腹(肚)について40数年に渡る探求と研鑽を積んできた私にとっても、「初めて」であり「想像したことすらなかった」ようなものだ。肥田春充は「円満にして無限の力」という言葉を残しているが、なぜ力が「無限」に入るのか、理会への道がようやく拓かれたと感じている。
 時には、触れ合う以前に相手が崩れてしまう。タイミングを合わせたり外したりすることで、「触れずに崩す」ことは以前からある程度自由にできていたが、今回顕われたのはそういうものとはまったく原理が異なるわざだ。(見たり感じたりすることで)外側からわざがかかるのではなく、受け手の腰腹内面へダイレクトに、唐突に、効いてくる。
 柔らかさや和らぎの極みともいえるような、こうした新しいわざ(姿勢の造り方)が突如顕われてきたのは、より深いヒーリングのためかもしれない。第四回相承会参加者の中には、長年の体調不良緩和を主目的とする人もいたからだ(その人が言うには、来る前とは比べものにならないほどの新元気と意欲が出てきたそうだ)。

◎私が主宰する流心会(ヒーリング・アーツ研究会)のメンバーは、関東、東海、関西、九州など遠隔地在住者ばかりで、直接顔を合わせ一緒に稽古する機会が1~2ヶ月に1度(1回に2~4日程度)、時には半年以上もがあくこともある。
 私自身はその間、相対での組手はもちろん、何かの型を練ったり、体を鍛えたり、といった武術の稽古らしいことはほとんどやってない。ただ、日々、瞑想し、地球調和の祈りを祈るのみであり、そもそも私は武術家ですらない。
 にも関わらずなぜ、動画のようなことができるようになるのか? 私自身がずっと不思議に思ってきた。相手との出会い方・触れ合い方に応じ、自ずから武術的なわざが現われ・自ずから変化してゆく。荘子のいわゆる「自生自化(自ずから生じ、自ずから変化する)」の体現。
「私(自分)」は何もしてない。何かしようとしたら、途端に流れがつかえる。途中で止まって動きがとどこおる。
 何もしないだけでなく、何も考えない。前々より述べてきたことの繰り返しになるけれども、相手がこう来たからどう対応するとか、どのわざを使おうとか、一切考えてない。ちょっとでも考えると、もうダメだ。
 考えるとは、心身の中心が頭側に移ることだ。すると、通常よりもさらに多くの血液を脳が要求し、その分、身体に回される「感じる」ための血(エネルギー)が減る。
「考え」始めた途端、全身の血が、頭を中心とする上体(みぞおちより上)側へサーッと偏ってゆくのを、私は生理的にハッキリ感じる。

◎本ウェブサイトにおいてずっと一貫して述べてきたように、これらの動画の中で示しているようなわざや動きを、私は誰かに習ったわけではなく(故・岡本正剛先生の元で約7年間学んだ大東流合気柔術からは大きな影響を受けている)、厳しい修業を通じて自得したのでもない。
 その逆に、努力に努力を重ねた揚げ句、それでも尚どうしてもわからず・できず、失意と絶望の中、「努力するということ」そのものが自然に落ち始めた、その時、神秘の門がこつとして、期せずして、我が身のうちなる中心に拓かれたのである。
 ここで言う「神秘の門」とは、「落ちる(オフになる)」というキーによって開かれる、宇宙的な女性原理の門だ。
 宇宙的な女性原理とは、誤解を恐れず敢えて言うなら、<女神>である。万物の根元にして生成の源。老子いわく、「玄牝げんぴん(神秘の女性原理)の門、是れを天地の根とふ」、と。

◎これまで私たちがメインテーマに掲げて探求・実践してきたのは、「身体内で水が波打つように波打つ動き(人体の70%を占める水に波紋を起こす)」や「すべてを腰腹間の球状緊張(腰腹同量の力)へと帰一きいつさせること」などだ。具体的な「在り方(意識、存在感)」としては、

  • 腰と腹の間に結ばれる力学的な球状緊張へと、常に意識を回帰させる(外へ外へと向かう通常の意識の方向性を逆転)。
  • 全身における虚と実の配分(トリニティ)。
  • 腰腹間の球が回れば、自ずからわざとなる。
  • 同じ動き(型)を二度と繰り返さず、1つ1つの動き(わざ)が常に新しいように。
  • 部分を注視するけんの目から、視界全体に等しく意識を拡げるかんの目へ。
  • 一所に決して留まらない心(流心)と、留まらない身体内流動感覚(流身)。
  • 自分(自我エゴ)という存在感そのものをオフにし、大いなる宇宙的な流れにすべてを委ね、任せ続ける。
  • 自分では何もしない。
  • 何かをしよう、とすら思わない。
  • ただ、中心に委ねる。
  • 武術的な相対状態では特に、力をぶつけ合わない。
  • ひたすら柔らかく。虚空があらゆるものを吸い込み、呑み込む如くに(ただし、そのように柔らかくするのは上体と上脚のみ)。

 ・・・などを、いつも心がけている。
 これらのすべては、<姿勢>の一事へと集約される。ここで言う姿勢とは、肥田式強健術創始者・肥田春充(1883~1956)が人類に残した遺産レガシーというべきもので、その要訣は、以下のようになる。

  • 腰と腹に等分の力が入る姿勢。
  • 腹の力(丹田力)は腰から来る。
  • 腰を反らせて尻を突き出し、背骨は(主観的に)真っすぐ。
  • 腰腹は実にして実、上体は虚にして虚、下体(脚部)は虚にして実(膝から上は虚で膝から下が実)。
  • 人体重心部と支撑底面しとうていめん(支持基底面)の中心を結んだ線が床に対し垂直となる。

 ・・・これらが同時に備わる姿勢をった時、あるいはその姿勢へと近づきつつある時、人の身体と精神は、最大効率と最大効果を発揮し始める・・・そのように春充は力強く説き、人間に可能な究極の姿とすら思えるほどの輝くような健康美と共に、数々の超人的エピソードに彩られた不可思議な能力を発揮した(HN1の『聖なる中心の道』参照)。この肥田春充という、神話か伝説に登場するような人物は、昭和の中ごろまで現実に生きていた人だ。

◎相承会の朝食(一例)。

朝食

クリックすると拡大。以下同様。

 2つに切ってあるのが、琉球王朝時代から伝わる宮廷菓子「こんぺん(くんぺん)」。真中に入っているのは、香ばしい煎り胡麻とピーナッツバターで作られたコクのある餡。
 少し小さめのは、黒糖、小麦粉、卵で作るシンプルな焼き菓子タンナファクルー。

◎相承会の食事1(一例)

鶏飯

 奄美大島名物の鶏飯けいはんは、相承会の食事メニューとしてすっかり定着した観がある。午前中からあたりが暗くなるまで、伝授や練修でたっぷり汗を流した後だから、鶏飯のシンプルで奥深い味わいが満身に染みこんできて、ヒーリングの充実感と幸福をしみじみ感じる。鶏飯については、『ヒーリング・リフレクション2』第四十回もご参照あれ。

◎相承会の食事2

イノシシ肉

 郡上八幡のイノシシ肉が届き、皆でイノシシ鍋を囲んだ(レシピは『ヒーリング・リフレクション3』第四十一回)。
 最上級の特上背ロース肉1.2kgが、あっという間に皆の胃の腑へと消えていった。ともあり遠方より来たる、また楽しからずや。

イノシシ鍋

◎「The Tea Centre of Stockholm」のフレーバーティー(セーデル・ブレンド)。スリランカティーに薔薇、オレンジピール、矢車菊、マリーゴールドなどをブレンドした優雅な甘い香りがハートを開く。スウェーデン王室ご用達であり、ヨーロッパの各王室でも愛飲されている。ノーベル賞授賞式の晩餐会で供されるのも、この紅茶だ。

セーデル・ブレンド

<2024.01.18 雉始雊(きじはじめてなく)>