Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション2 第四十回 推薦図書

◎もう随分前から、テレビや雑誌、新聞などを遠ざけた生活を送っているが、唯一といっていい例外は、爬虫両生類の専門誌『ビバリウムガイド』(エムピージェー刊)だ。内容(情報)もさることながら、文章そのものが現代日本の雑誌としては桁外れといっていいほど面白く、楽しく、しかも痛快極まりないので、爬虫類飼育から離れた今もずっと愛読している。この雑誌が存続する限り、今後も熱心に読み続けるだろう。

ビバリウムガイド

©㈱エムピージェー

 表紙をご覧になればお分かりの通り、専門誌といっても堅苦しい学術誌ではなく、爬虫類・両生類や奇蟲きちゅう(珍しい昆虫やサソリ、タランチュラなど)の飼育者、愛好家のための趣味の雑誌である。季刊(年4回発刊)で今年が25周年、99号まで出ているのだが、私自身もかつて『ムー』誌(学研)や『秘伝』誌(BABジャパン)などに寄稿、連載、単行本執筆などで深く関わったことがあるから、一つの雑誌が熱心な愛読者に支えられつつ25年も続くというのが、どれほど大変なことかよくわかる。
 この雑誌を実際に手に取った人は、毎号の企画、写真撮影、大半の記事の執筆が、編集長・冨水明とみみずあきら氏一人の手によってなされていると聴けば、一驚を喫せざるを得まい。
 上掲の99号表紙に「最大最凶? ガラパゴスジャイアント」とあるのは、体長40センチ以上に達するというガラパゴスオオムカデ(Scolopendra galapagoensis)の記事だ。この生き物の特徴や魅力、危険性(毒がある)、そして誤って逃がしてしまった場合の社会的な影響・責任に至るまで多角的に説いた上で、具体的な飼育法や注意事項が詳しく解説されている(この巨大ムカデは現在、特別な許可などを必要とせず一般市民が購入、飼育できる)。気合を入れながら記事を隅から隅まで読み込んでゆくうち、いつの間にかジャイアントなオオムカデを育ててみたくなっている自分にハッと気づくという、とんでもない魔導書のごとき影響力を秘めた、これは、雑誌なのだ。
 余談だが、「アンジュルム」とは何ぞや、とネット上の動画を私にチェックせしむるに至っては、冨水氏の筆力(言霊ことだま力)と情熱たるや恐るべし、と言わざるを得ない。「あっぱれ」であり「みごと」である。まったくもって、凄い人だ。
 冨水氏のようにユニークな人物や、破天荒なのに緻密かつ反逆精神が横溢する『ビバガ』(ビバリウムガイドの愛称)みたいな雑誌がたくさん増えれば、日本という国はもっとずっと面白くなるのだが。

◎以前記したように、本連載は断片的な文章を連ねながら螺旋状に重ねてゆくことにより、立体的な意味が多層的に浮かび上がってくるという、いわば超越的断章スタイルを採っている。・・ので、話題は突然、爬虫両生類(あるいはムカデ)からまったく別の事柄へと跳ぶ。
 前回、ヒーリング・ネットワーク1時代(2007~2013)から学んできた者と、ヒーリング・ネットワーク2(2021~)になってから新しく始めた人たちの間にある、理会りかい・修得レベルの「格差」について少し述べた。
 多少長くやっている者に一日いちじつちょうがあるのは当然としても、古武術や様々な芸道、民間療術の世界などで<秘伝>として秘密裏に少数者へと伝えられてきたようなことを、今、我々はダイレクトに取り扱っているわけだから、すでに踏み出した者にとってはさりげない「一歩」が、後に続こうとする者にとり、時に不可解であり、時には目もくらむほどの高みと感じられることもあるだろう。

◎相手に勝つための技術や鍛練、という意味での狭義の武術と一緒くたにされるのがイヤで、できるだけ武術らしく見えないようこれ努めている上、「これは武術にあらずして、(岡本太郎が芸術の本質として述べたような)呪術なのである!」などと私が面白がって公言するものだから、人々はますますけむに巻かれるという次第。
 とはいえ、面白がってばかりもいられないから、ここいらでちょっと立ち止まり(世間では逆に、私のような立場にある者はこの時期、「走る」ものと相場が決まっているようだが)、「龍宮道とは何か」について、始めたばかりの初学者と一緒に身体を通じ問い直してゆくことが、そろそろ必要なのかもしれない・・・と、先般のモルディヴ巡礼から戻って以来ずっと、感じている。
 ディスコース・シリーズの新企画。名づけて、『龍宮道入門』。
 まずは基本中の基本である「オフ感覚」をテーマに掲げ、小グループが自主的に試行を始めた。今回の参加者は全員、私と実際に触れ合って龍宮道を実体験したことが、最低1度はある人たちだ。
 インターネットを通じて「オフ感覚」を体験し、修得することは可能なのか? 力が抜ける、意識が内向する、内面に沈み込んでゆくような感じがする・・・これらがオフ感覚だが、基本といえど奥義にも通じる奥深いテーマだから、果たしてどんな流れになることやら、さっぱり見当がつかないけれども(私は監修のみ担当)、少し様子を観ていて面白くなるようだったら、ディスコースの新シリーズとして発表してゆく。

◎「想を練る」ことも、本連載を綴る目的の中には含まれているので、ここで改めて、龍宮道とは何かを自らに問いかけてみる。
 龍宮道が変わっていて、一般の人になかなか理解してもらえないところといえば、まず、力を入れるのではなく、逆に力を抜く(オフにする)ことによって威力と速さを生む、という点かもしれない。
 初めて聴く人にとっては逆説的に聞こえるだろうが、百見、千見もただ一触にかず(及ばない)。龍宮道における力抜きを体得している者に、その実際を示してもらえば、誰でも直ちに納得する。
 例えば、思い切り突いてきてもらい、その突き腕をこちらはスッカリ脱力した腕で、一切力を込めることなく叩き落とす。
 これはかなり痛いので(大の大人が床に叩き伏せられることもある)、そこまで荒っぽいやり方をせずとも、精一杯力を込めたてのひらを差し出し、「力を抜くことで打つ」やり方でビシッと鋭く打ち抜いてもらえば、拳を固め力を込めて打たれるのとはまったく異質の、これまで経験したことがないような鋭い衝撃が、手を「貫く」のがハッキリ感じられる。誰もが皆、目を丸くして驚くが、そんな時人の目というものは、文字通り、真ん丸に大きく見開かれるから面白い。
 この、単なるリラクゼーションを越えたディープな力抜き(脱力)は、日本の古流武術において、基本であると同時に極意ともされてきた。
 龍宮道では、もっとソフィスティケートされた・無理のないやり方で、入門者一人一人に力抜きの大切さと意味を伝えようとする。力を抜くことによる威力や速さを武威として示すのではなく、穏やかに、ゆっくり(慣れてきたら、受け手の体力に応じて次第に速さも織り交ぜつつ)、<ヒーリング>を旨として行なうのだ。
 意図というのは本当に大切で、元来は暴力的であるはずの「打ち」「叩く」という行為が、ヒーリング(調和・調律・統合)を祈り願ってなされる時、「いつか・そのうち」ではなく、「その場で・直ちに」、清々しい健康感や弾けるような活力を産み出すのだ!
 本ウェブサイトの「ヒーリング・ムービー」第2回でも、そうした力抜きの一端について説いている場面が動画で紹介されているが、あそこに登場する普段着の人は、初めて龍宮道を体験する初心者で、撮影当時78歳。脊柱管狭窄症の治療中だったというが(私自身は後になって初めてそのことを聴いた)、皆と一緒に楽しく数時間稽古した後、症状がスッカリ改善したそうだ。
 龍宮道には、病や故障をやわらげ、いやす作用が、確かにある。数日前までぎっくり腰の痛みに呻吟しんぎんしていたような人が、龍宮道を少し稽古したら、終わり頃には元気溌剌、腰にしつこく居座っていた痛みのことなど完全に忘れ去ってしまって、その後もずっと再発せず、・・といった実例はいくつもある。

◎余計な力みを捨てリラックスすることの大切さは、古流武術に限らず、スポーツでも諸芸道でも同じように力説されている。が、「力を抜く」ということを、龍宮道ではもっともっと、徹底的に、突き詰めてゆく。「力を入れる(より強い力を出せるようにする)」ためではなく、「どんどん力を抜いてゆく」ために、龍宮道修行者は創意工夫し、努力を傾注するのだ。
 旧著にも記したが、かつて90日間の連続断食を行なった際、力を入れようとしてもできないほど力みが抜けて、抜けて、抜け切った状態を実際に体験し、「力抜き」という言葉に秘められた深奥を垣間みた。
 ご存知の通り、人体の4分の3は水だ(地球表面積で海が占める割合と同じなのは、海洋修験しゅげんたる龍宮道を提唱する者としては興味深い)。にもかかわらず、私たちの多くは人間の体というものを、(硬い柔らかいの違いはあっても)柔軟性のある「固体」として「認知」している(無意識のうちにそうだと思い込んでいる)のではあるまいか?
 科学的事実として、我々の身体は(少なくとも7割くらいは)「液体」なのだ。しかも、物質の中でも例外的な性質をたくさん備えた、宇宙的に観ると実は不可思議な、<水>でできている。水の例外的性質とは例えば、常温で固体(氷)・液体(水)・気体(水蒸気)の3つの相を同時にとることができる、といったことだが(知られている限り、同様の性質を持つ化合物は他に存在しない)、実際、余計な力みを抜けば抜くほどに、人の身体というものは「水」として感じられるようになる。主観的に水と感じるだけでなく客観的にも、水のように波打ち始める。そして、最も興味深いことには、その波は軽く触れ合っている他者の身体とも、共振・共鳴するのである。
 すると相手も、水となって波打ち出す。本ウェブサイトのあちこちにちりばめてある動画に映し出されているような現象が、自然に起こってくる。
 あんなにゆっくりした柔らかい動きで、なぜあんな風に人が崩し倒されたり、投げ飛ばされたりするのか? 門外の方々からしばしば尋ねられる。あらかじめよく稽古したパフォーマンスの一種と、短絡的に誤解する人も少なくないようだ。が、逆に、どのわざでもいいから術者と受け手が協力しながら再現しようとしてみれば、容易なことでは「できない」とすぐわかるだろう。相当高度な身体能力が必要だ。
 しかし、術者たる私も受け手たちも皆、そういう高い身体能力を備えた者など誰一人として、いはしないのだ。それに、動画を撮る際はいつも、事前の練修も、打ち合わせさえ、一切しない。
 秘密は、大きくて騒々しい外側(筋肉の量とか運動神経の質など)ではなく、静かで繊細な内面性にある。均衡バランス制御コントロールを、極めて精妙な内的意識のレベルでずっと保ち続けることができれば、「あのようなこと」が現実に可能となる。

◎水としての身体に波を起こすこと。それが龍宮道の原理だ。
 伝授会などで、龍宮道を実際に体験した人は皆よく知っていることだが、ここで言う「水」とか「波」は、「そういう気分」や「イメージ」とは違い、多くの人がしばしば(驚きと喜びの)声をあげるほど、「水」であり「波」なのだ。
 この最初の出発点で、実体験者とそうでない人との間に、すでに深いギャップが生じるのかもしれない。
 全身リラックスしてあちこちぶらぶら振ったり揺さぶったり、手足で円を描いたり・・・。誤解されやすいのでここのところは特に注意していただきたいのだが、「そういうもの」とは「根本的に」「違う」のだ。
 全身の皮膚で囲まれた内面(身体内の空間)で、水が入った革袋みたいに、たぷんたぷんと中身の液体が波打つのがハッキリ実感できる。自分も、人(他者)も。・・・これは、いやったらしいくらい何度もこれまで繰り返し述べてきたけれども、詩的形容とか誇張などでは、ない。

◎最近研究しているヒーリング・ストレッチについて、前回、概要をかいつまんで述べた。肝心のポイント(ストレッチ状態そのものに呼吸を応用して精細な微振動を起こし、張り延ばした箇所を内面から柔らかく・穏やかにほどいてゆく要訣)はわざとぼかしたのだが、従来であれば秘伝でも奥義でも惜しみなくどしどし公開していたのに、今回はなぜそんなけちくさいことをするかといえば、基本となるヒーリング・タッチ(触覚を通じて知る道)やオフ感覚(力が身体内へと抜けてゆく感覚/意識)をまったく知らない・できない人が完全な説明を読んで試してみても、十全なる効果を挙げられない可能性があるからだ。「何だ、書いてあるようなことなど感じないじゃないか」、と先走って思い込んでしまい、興味を失うとしたら、準備段階を端折はしょって迂闊うかつ術式フォーミュラを公開した私にこそ、その責任があろうというものだ。

◎話題はまたしても跳ぶ。
 最近は食べ物ブログのごとき奇観を呈し始めた本連載だが、「小人、閑居すれば・・・」というやつで、どうか寛恕かんじょのほど願い上げたい。食べ物であれ龍宮道であれ、私自身は極めて大真面目に取り組んでいる。
 第38回で述べた「カルペ・ディエム」の第2弾として、今はタコスにチャレンジ中である。皮(トルティーヤ)のみ市販品を流用し、サルサ(基本となるスパイシーなトマトソース)とワカモレ(アボカドソース)は自作した。

タコス

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 本場メキシコへ行ったことがまだないので、「井の中のかわず」や「自画自賛」を地で行く傲慢かつ軽率な言辞は慎みたいと思うが、日本の様々なメキシコ料理店でこれまで味わったいかなるタコスをも凌駕する品が、試作第1回目で出来上がった。試食後しばらく多幸感ユーフォリアが続いたところをみると、実験成功のようだ。
 ちなみに、カルペ・ディエムというのはラテン語のことわざ(古代ローマの詩人ホラティウスが起源)で、「今日(という花)をめ(今、この瞬間を最大限に活かし、楽しみ尽くせ)」という意味だが、「摘む」は「つまむ」とも読めることから、以前ご紹介したペキンダックや今回のタコスのように、手でつまんで食べる料理をも暗に指し示している(本ウェブサイト内だけで通用する言葉遣いである)。

◎奄美大島の郷土料理、鶏飯けいはん

鶏飯

 温かいご飯に、丸鶏を長時間煮込んだ熱い濃厚スープをたっぷり注ぎ、細かく割いた鶏肉、錦糸卵、パパイヤのみそ漬け、干し椎茸などの具材を乗せ、最後に青ネギみじん切りや海苔、細かく刻んだみかんの皮をぱらぱらっと振りかければ出来上がり。
 かつて奄美大島が薩摩藩によって支配されていた頃、来島した藩の役人をもてなすための(当時の島人しまびとにとっては)贅沢な料理だったという。

◎先週のイノシシ鍋研究の副産物、イノシシ皮のポン酢風味。
 薄くスライスしたイノシシの皮を熱湯でさっと茹で(茹で過ぎると硬くなるので注意)、白髪ネギ(ペキンダック研究で修得した最も食べやすいカット法)をたっぷり乗せ、気に入りのポン酢をかけて、最後に一味唐辛子を振る。
 こりこりした食感と独特の味わいが、白髪ネギを仲立ちとしてポン酢と絶妙のハーモニーを奏でる。

イノシシ皮のポン酢風味

<2022.12.10 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)>