Healing Discourse

龍宮道メモ 第十七回 「足を踏むこと」と「波紋杖」

2023.11.19

 足を踏むということを、龍宮道では二様に解釈する。踏んだ反作用が体の外側へと意識され・表現される「外へと踏むこと」と、反作用をすべて身体内に受け容れ波紋化する「内へと踏むこと」だ。両者は、外面に現われる形も随分違うし、人と実際に組み合った際の作用については、まさに天地霄壌しょうじょう(天と地ほどの違いがあること)、だ。
 命がかかっている真剣さをもって、まばたきすることなく目を柔らかにぱっと観開みひらき続けながら動画と向き合えば、示演者たちの身体内で波打つ波動がハッキリ観えるようになってくるだろう。各自の波が複雑に絡み合いながら、まったき調和を織り成して、武術の様式をまとった舞が舞われてゆく様は、神聖舞踏の呼び名がふさわしい。私たちが使うヒーリングという言葉には、「神聖な(Holly)」という意味も含まれている。ヒーリングという言葉においては、その語源から言っても、「神聖さ(Holliness)」と「健康(Health)」「全体性(Wholeness)」は同義なのだ。

動画53『足を踏む1』 撮影:2023.06.10 於:天行院

フルハイビジョン画質 04分04秒

2023.11.21

 ところで動画の中では述べてないが、足を内的に踏むためには、重心が支撑底面しとうていめん(足裏が作る図形)の中央に常に落ちている状態を保ち続けることが条件となる。第10回龍宮会で、ほとんどの時間を割いて幾度も繰り返し説かれたのは、「重心を支撑底面に落とす」ということだ。

支撑底面

 それができれば、自ずからトリニティ(全身の虚実における上・中・下体の三位一体)となるし、腰腹同量の姿勢が自然に顕われもする。その時には、必然的に鎖骨密珠が上肢の球的支点となっているし、胸郭も自ずから和らいでいる。
 そうした状態を元に相手と向かい合えば、激しく襲いかかってくる者に対しても「やわらぎ」をもって融和することができる。それを実践的に示すのが龍宮道だ。
 調和は個人レベルで起こる現象として始まるが、それを煉り磨きつつさらに深く・大きく、祈りの意識を拡げていけば、国とか民族レベルでの争いや不和、対立の深層とまで共感・共振し、拮抗によって生じる不調和を「和らげ調和させる」ことさえできるはずだ。・・・これが、合気道開祖・植芝盛平翁が達したヴィジョンであり、おうが合気道を「人類のみそぎ」と呼んだのは、「人類のヒーリング」という意味だろう。私もそのヴィジョンに大いに賛同する。我々の言うヒーリングには、だから、調和や全体性、神聖さと共に、禊祓みそぎはらい・浄化の意味も含まれる。

動画54『足を踏む2』 撮影:2023.06.10 於:天行院

フルハイビジョン画質 02分25秒

2023.11.23

 じょう(長さ120センチの棒)を手にしたなら、まずその杖にヒーリング・タッチする。そして、杖(の形)を感じると同時に、杖にすべてを預け、身体と杖を一体化させ一つの波紋を舞ってゆく。
 これが龍宮道の波紋杖だ。
 杖は手に持って腕の延長として意識し・使うので、これまで『龍宮道メモ』で取り上げてきた鎖骨密珠とか「胸郭の和らぎ」に関する修法を直ちに応用できる。直接つながってなくとも、骨盤の和らぎも、もちろん大切だ。というよりは、骨盤が主導して胸郭を導くのである。
 骨盤はもとで、胸郭はすえ
 骨盤がしゅで、胸郭がじゅう
 骨盤は、身体の中心(重心)と非常に近い。というより、骨盤部(骨盤に囲まれた内臓空間)にこそ、重心というものははらみ含まれている。
 そして、あまり知られてないことだが、身体の重心は精神の中心でもあるのだ。身体の物理的重心点において精神の中心が合致する時、「意識」の秘密がヴェールを脱ぐ。

動画55『波紋杖』 撮影:2023.06.10 於:天行院

フルハイビジョン画質 06分54秒

<第十八回へ続く>