2023.11.07
玉響については、『ヒーリング・リフレクション3』第二十回で少しく述べた。玉響とは、倭訓では「かすか」とか「しばし」といった意味だが、龍宮道そしてヒーリング・アーツで独自に使う場合、極小の粒子(タマ)の振動感覚が互いに響き合い、共振し合う不可思議な働きを指す。
こういう学びが新たに出てきたのは、龍宮道(ヒーリング・マーシャルアーツ)からヒーリング・アーツへの回帰と関係しているのだろうが、龍宮会の中で顕われてきたものなので、ここに収録する。動画50~52は、一続きのセッション(龍宮会の基本単位。内容や時間は各々異なる)の模様を、単純に3分割したものだ。
動画を観ながらあれこれ一緒にやってみて、「確かに、粒子感覚同士が響き合うのが感じられる」と確認した方は、かしわ手を打って掌の粒子感覚(振動感)を活性化させ、その両掌をPC画面へ向けながら動画を観るといい。声や床に倒れる音などが掌に響いてきて、そうこうするうち、動画に映し出される光景(龍宮会)が異様なほど立体的に観え始め、きっとびっくりするだろう。何か、視覚と触覚との知られざる響き合いにより、視覚も触覚もバージョンアップするようだ。これもまた、「玉響」の一例といえよう。
フルハイビジョン画質 04分05秒
2023.11.11
玉響のように繊細な内面的作用を探求する際には、武術的な稽古の導入による客観性の把持が大切だ。さもなければ、思い込みや先入観にからめ捕られて、術者も受け手も迷妄を抜け出すことができなくなってしまうかもしれない。
動画51では、これまで何気なく行なってきた動きや武術的攻防などにおいて、受け手の「意識」は一体どうなっているのか、それを受け手自身が意識してみるという課題が取り上げられる。
「意識」こそ、玉響という現象、否、ヒーリング・アーツの基盤だ。ヒーリング・アーツとは、意識の芸術なのである。※)
フルハイビジョン画質 03分11秒
※意識とは何か、を正確に定義することは難しい。ヒーリング・アーツにおける今後の課題の一つだが、今はあれこれ考えるよりも、「感じる」ことに焦点を当ててほしい。
2023.11.17
動画52では、ヒーリング・タッチにおける「意識(存在感)はどうなっているのか」とか、「ヒーリング・タッチで意識が変わる(シフトする)時、考える(思考する)ことはそもそも可能なのか」とか、「ここで言う(変性した)意識とは、静止しているのか動的なものなのか」など、1回ごとに注意すべき視点を換えながら、同じわざを何度も繰り返し受け手に体験させる。
このようにすると、ヒーリング・タッチが内包する大いなる可能性が、体感を通じ理会できるようになり始める。これをディープ・ティーチング(深層伝授)と言う。
フルハイビジョン画質 03分09秒
<第十七回へ続く>