Healing Discourse

龍宮道メモ 第二十二回 自由組手

2024.01.10

「力を粒子状に入れ抜きし、粒子状に運用する」というヒーリング・アーツの原理を応用すれば、任意の指の先で柔らかくタッチするだけで、相手の身体内に波を起こし、崩し倒すこともできる。
 例えばタッチ面(相手と触れ合っているインターフェイス面)を指先から第一関節まで順に「0、1、2、3」程度のエリアに大まかに分けた状態で説明するが、支点となる0がまず相手と接触する、そこから大抵の人はいきなり3をタッチさせてしまう傾向があるようだ。すると、内的な流動感覚や波紋感覚は生じない。
「連続性」と動画の中で述べているのは、0の次にタッチさせるのはそこから最も近い1、さらには2、3・・・という風に、0(最初)と3(最後)の間のプロセスを大切にせよ、という意味だ。すると、(こういう経験をしたことがある人は今や少ないかもしれないが)「カエルがぴとっとくっついたみたいな」密着感がタッチ面に生じる。そうなって初めて、相手と自分が有機的に出会い、相互に影響を与え合う状態(いわゆる合気)が現出するのである。
 こうした働きを自分自身へと応用すれば、指1本1本から縦波の微細振動を起こして全身へと広げ、心身のチューニングを瞬時に整えることが可能となる。この時、意識も自動的に瞑想状態へとシフトするため、この修法を「一指禅」と我々は(仮に)呼んでいるのだが、中国を発祥の地とする一指禅(気功の一派と嵩山少林寺に伝わる鍛練術。両者はまったくの別物)とは直接関係ない、独自のメソッドであることは明記しておかねばなるまい。
 指1本を活かすことで瞑想状態を導くことができるという独自の発見に基づき、他派・他流に対する十全なる敬意の元、あくまでもオマージュとして一指禅なる言葉を使わせていただいているのだが、「紛らわしい名称を勝手に使うな」といったクレームがどこかの「本家」より、もし寄せられたなら、OFZ(オーエフジー、One Finger Zenの略称)と言い方を換えるなど、誠意をもって対応させていただく。

動画68 『一指禅』 撮影:2023.08.12 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分51秒

2024.01.13

 自由組手第二弾。龍宮道初心者も交じっているが、まったく構わず楽しく皆で武を舞いながら、1人1人がどんどん爽快に・元気になってゆく。これぞヒーリング・マーシャルアーツなり。
 龍宮道のわざは、術者が受け手を倒す(術者→受け手)という一方通行のものではなく、術者と受け手がインタラクティヴ(双方向的)に響き合う合気を基本としている。だから、まだ充分慣れてない初心者と組み合えばソフトでゆっくりめな動きが主として顕われ、ある程度体験が深まってきた者の場合は予測不可能な崩しが連続的に多用される。
 これらは、私があれこれ考えてそのようにしているのではない。私自身は何も考えない、・・どころじゃない、何も「しない」。私がただ心がけているのは、「在り方」だ。言葉を換えれば「姿勢」だ。さらに言うなら、「中心(重心)」ということになる。
 具体的には、重心と支撑底面(足裏が作る形)の中央を結んだ線が、床に垂直になるように。そして、「実(力を入れる)」ではなく「虚(力を抜く)」の作用を使ってわざをかける。

動画69 『自由組手2』 撮影:2023.08.12 於:天行院

フルハイビジョン画質 04分04秒

2024.01.16

 日付が変わり、メンバーも少し入れ替わって、改めて自由組手。
 まずはゆっくり柔らかく。次第次第に、より武術的に。時折、やや激しい局面なども適宜顕わしつつ。
 術者である私は、長時間動き続けてもほとんど息切れしないし、疲れもまったく覚えない。これは私の体力が優れているのではなく、龍宮道のわざが自然に則っていて無理がないからだ。
 ただし、術者にとっては上記の如く、運動したという感じをほとんど覚えないほど「楽」なのだが、受け手は結構な運動量であり、しかも全身がまんべんなく使われて体の中身も外側も徹底的に揺さぶられるから、かなりの「充実感」を、稽古中も稽古後にも覚えるそうだ(呵々大笑)。

動画70 『自由組手3』 撮影:2023.08.13 於:天行院

フルハイビジョン画質 05分34秒

<第二十三回へ続く>