高木一行:編
原「一羽不能加,蠅蟲不能落。」
ウ「一羽も加うるに能わず、一蝿も落つる能わず。」
「羽」の解釈には様々な可能性があり、羽毛だったり、鳥の翼だったり、虫の羽だったり、鳥を数える場合の「一羽、二羽」の量詞の場合もあり得ます。
「不能加」つまり「加えることはできない」というわけですから、「羽一枚、つまりほんのわずかでも加えられない」という意味と思われます。
蠅蟲はハエで、「ハエも落とせない」となります。
読み下し文は「一羽(ひとはね)も加うる能わず、蝿虫(ようちゅう)落とすこと能わず。」となりました。
原「人不知我,我獨知人。」
ウ「人、我を知らず、我独り人を知る。」
これは、そのままで問題ないと思います。
原「英雄所向無敵,蓋皆由此而及也。」
ウ「 英雄の向かうところ敵無きは、けだし皆これによりて及ぶなり。」
「所向無敵」は、これも四字熟語として「向かう所敵なし」と中日辞典にありました。
「蓋」は、前の文章を受けて、「それは〇〇だから」というときに使う言葉です。
こちらも、読み下し文はそのまま使えると思います。
今回は、ここまでに致します。
羽毛の軽さですら余計に加わってはならない、ハエ1匹分の重さでさえ、その重みがもしなくなってしまったなら、わざは成立しない・・・いかにも中国的な表現だが、要するに、余計な力がごくわずかに入ってもダメだし、入るべき力がわずかに抜けても不可である、ということか。
確かに、龍宮道のわざが真に効くようになると、余分な「作為」が、それが重い方向へ作用するものであれ、軽くしようとするものであれ、すべて流れを妨害し、自他の心身を波打たなくさせることがハッキリ実感できるものだ。これは、私の元で学び実際にできるようになってきた者が、自分自身の体感として明瞭に感じていることだろう。
人、我を知らず・・・相手は、こちらがどうなっているのか、どうやっているのか、まったくわからない。
我1人、人を知る・・・自分のみは、相手のことがよくわかっており、自由自在にできる。
・・・龍宮道の組み手の実感は、「まったくその通り」だ。
『太極拳論』が現代にまで伝えられ、何だかよくわからないにも関わらず重んじられてきたのは、太極拳という「体験」を文武両面に秀でた先人が言語化している点が評価されているのだと思う。
龍宮道(やヒーリング・アーツ)に置き換えてみて、日常生活とか一般常識にないような新しい感覚、意識、現象(わざ)を体験しても、それを言葉にするというのは至難のわざであることを、諸君はよく知っているだろう。
龍宮道で新しい感覚や意識を体験し、これは凄いと思い苦労したあげく言葉にしてみると、先生が既にどこかに書かれていたり、表現されていたことに気づき、自らの置かれた状況の奇妙さに、笑うか呆然とするしかないことがよくあります。
最近、読み直したカルロス・カスタネダの著作で、未知の呪術世界について師のドン・ファンが言葉を尽くして説明していても、カスタネダには体験するまで真に理解できないというシーンが何度も出てくることを思い起こしました。
難解な『太極拳論』と時空を超えて響き合うことができるとは、龍宮道の恩寵に改めて感じ入ります。
現在、一般に行なわれている太極拳は、仙骨を緩めて下垂させる姿勢を基本としているようなので、龍宮道とは根本的に違うともいえるわけだが、それにしても共通点が多いことに驚かされる(もちろん相違点も多い)。
これは、私がかつて太極拳を学んでいたから、知らず知らずのうちにその影響が龍宮道に及んでいるのだろうか?
確かに、いくばくかの影響はあるだろう。が、太極拳を離れて独自に探求を進めていった結果、自然に顕われ出てきたものが龍宮道なのだ。
これは大東流合気柔術についても同じことがいえる。大東流は7年間学び、岡本正剛先生から公私に渡って親しく教えを受けたから(先生にわざわざ拙宅までお越しいただき、学んだこともある)、その分、影響も大きいはずだ。が、外見だけからでもわかると思うが、龍宮道と大東流は随分違う。わざを成立させるコンセプトそのものが異なっているのだ。
ところで、太極拳が「気(体内の流動・循環感覚)」を重んずることはよく知られているが、その「気」なるものは気体的なものなのだろうか、あるいは液体的なものなのか。
断定は避けたいが私の感じでは、太極拳(や気功)における「気」は、どうも気体的なイメージと共に常に語られているようだ。これに対し、龍宮道では「気」という言葉は使わないが、明らかな液体感覚に基づきすべてのわざを運用する。
原「斯技旁門甚多。」
ウ「この技の旁門は、はなはだ多し。」
「斯」は、「これ」「この」という意味です。「斯技」で、「この技」となります。
「旁門」は正門の横にある潜り戸とか勝手口のことを言います。
「甚多」で、「はなはだ多い」となります。
「この技には、正道とは言えない間違った道がとても多い。」という意味でしょう。
読み下しはウイキペディア版のままでいいと思います。
原「雖勢有區別」
ウ「 勢は区別ありといえども」
「勢」はこの場合は「姿勢」「状態」を指し、それに「区別があるといえども」としています。
これも、読み下し文はそのままで使えると思います。
原「概不外壯欺弱,慢讓快耳。」
ウ「おおむね壮は弱を欺き、慢は快に譲るに外ならず。」
概は、「おおむね」とか「大体」といった意味です。
不外は「他でもない」「他ならない」です。
「壯」「弱」は「壮んな者」「弱き者」で、「欺」は「あざむく」という意味も日本語同様にありますが、中国語では「侮る」「馬鹿にする」「虐げる」などの意味もあるので、そちらの方が適切でしょう。
「慢」は「遅い」、「快」は「速い」です。
「譲」は「ゆずる」「脇へよける」。
「耳」は、文末にある場合は語気助詞で「・・・するのみ」。
「概して壮は弱を欺(あなど)り、慢は快に譲るのみに外ならず。」
「大体は他でもない、強者が弱者を見下して、遅い者が素早い者に負かされているだけだ。」といったほどの意味でしょう。
原「有力打無力,手慢讓手快,是皆先天自然之能,非關學力而有為也。」
ウ「力有る者が力無き者を打ち、手の慢き者が手の快き者に譲る。これ皆、先天自然の能。 力を学ぶことに関するに非ずして為すところ有るなり。」
「有力打無力」は字を見れば何となく察しがつくと思いますが、「力ある者が無力な者を打ち」です。
「手慢」は仕事や動作がのろいことです。「手快」はその反対です。「手慢讓手快」で「のろい者が素早い者に先を越される」ということになります。
「是」は「・・・は」の意味で、前の文を受けて、後ろの句につなぎます。
「先天自然之能」は、これも字の如しで「生まれつきによってできることである」という意味です。
「学力」は、中国語でも日本語と同様に使います。
「有為」は「前途有為」とか「国家有為の人材」などというように、素質がある、といった意味です。
「有力が無力を打ち、手慢が手快に譲る、これ皆先天自然の能うる、学力に関わらずして有為なり。」
「力のある者が力無き者を打ち、遅い者が素早い者に先を越される。すべて先天的に与えられた素質によるもので、学力に関わらず、できることだ。」と言いたいのでしょうか。
原「察『四兩撥千斤』之句,顯非力勝,觀耄耋能禦眾之形,快何能為。」
ウ「察せよ、四両も千斤を撥くの句を、力に非ずして勝つこと顕らかなり。 観よ、耄耋(老人)の衆(人々)を御するのさまを。 快なるも何ぞ能く為さん。」
「察」は「調べる」「明らかにする」「見てみる」といった意味です。
「兩」は重さの単位で、清朝時代の1兩は31.25gです。1斤は16兩になるので、31.25×16=500gとなります。
「撥」は「はじく」。「四兩撥千斤」で、「125gの力で500㎏を弾く」ということになります。「ごく小さな力で、非常に重いものを弾く」という喩えでしょう。
「顯」は「明らかにする」です。125gの力で500㎏を弾くのですから「顯非力勝」で「非力が勝つことを明らかにしている。」となります。
「耄耋」は老人を指します。
「禦」は「制御する」とか「防ぐ」の意味です。
「禦眾」で「大勢を御する」となります。
「何能」は、「どうすればできるのか」という意味です。
「快何能為」で、「どうすれば素早くできるのか」となります。つまり、「素早く動けるわけがない」と反語になるわけです。
「察するに『四両が千斤を撥く』の句は、非力にして勝つことを顕(あら)わす。耄耋(もうてつ)の能く眾を禦する之形を観るに、快、何ぞ能く為する。」
「『四兩撥千斤』は、非力でも勝てることを示している。老人が大勢を御しているのを見るに、いかにして素早く動けるのだろうか。」となるのではないでしょうか。
今回は、ここまでにしたいと思います。
今回の分はそのまま素直に読めそうなものが多いが、最後の「快、何ぞ能く為する」はどうだろう。というのも、「快(速さ)」は拙なるものとして、少し前の文章で否定的に扱われているからだ。
龍宮道では、速い・遅いという二元対立を越えた境地を目指すのであり、「いかにすれば速く動けるか」ということにこだわらない。実際、私が多数の相手を制御する際には、速さにまったく頼ってないし、実際の動きは速いこともあれば、極めて遅いこともある。
「快、何ぞ能く為する」を、「(単なる表面的な)速さをもってしては、(勁を悟った者に対し)いかんともしがたい(何も為すあたわず)」とでも読めれば意味が通じるのだが。
私が述べていることは、もちろん「正解」というわけではなく、現時点での感想に過ぎない。
私が生まれる数年前に亡くなった肥田春充(肥田式強健術創始者)の言葉でさえ、長年(40年以上)取り組んできて今もなお、新たな解釈がどんどん出てくるというのに、清朝・乾隆年間(18世紀末)を生きた外国人が記した外国語によるテキストが、すんなり理会できるはずがない。
現代中国語と当時の中国語では、言葉(文字)は同じでも意味が異なることもあり得るだろう。日本語でも、同じ言葉が今と昔で正反対の意味になるケースは少なくない(「素晴らしい」は、昔は悪い意味だった。「貴様」は、逆によい意味だった、など)。
今はどうか知らないが、かつて私が関わっていた頃の日本の武術界には、「武という字は戈(古代中国の武器)を止めると書く。すなわち、武術の本質は元来、暴力を止めることにあったのだ」といった主張がまかり通っていて、甚だしきは中国人の武術家までが同じようなことを述べるのを聴いたことがある。
が、故・白川静氏(1910~2006。漢文学者、東洋学者。立命館大学名誉教授)が言うように、「武の文字は元々、軍隊が戈を掲げて行軍する様を表わす」とするのが妥当だろう。「止」は、「歩」に使われていることからもわかるように、元々「進む」という意味だったのだ。
先生のご指摘を受け、「快何能為」の私の解釈に矛盾を感じました。確かに、「速さが何になるというのか」とした方が自然に読めます。
改めて、未熟さを感じております。
数年前より何故か太極拳に惹かれるものがあり、呉式太極拳の教室に入門する事を考えたこともありましたが、自宅から教室までの距離がありすぎるためそれは諦めました。
その後、縁がありまして台湾生まれ、日本在住の先生(高齢の女性の方です)に鄭子太極拳を月2回のペースで個人教授していただいております。
私個人の感想ですが、龍宮道と太極拳は確かに相違点はあるものの、様々な要訣に共通点もあり、相性が良いように感じております。
<2022.04.06 玄鳥至(つばめきたる)>