文:高木一行
このシリーズでは、もっぱら動画を主体として、龍宮道の何たるかをお伝えしてゆきたいと思っている。
今回より3回に分けご紹介するのは、2021年3月21日(新松戸)、23日(名古屋)に引き続き、4月17日、18日に広島で執り行なわれた、ヒーリング・ネットワーク再興を祝うヒーリング・セレブレーションの一場面だ。
新松戸と名古屋のセレブレーション参加者による報告を、『ヒーリング・リフレクション』第1回でご紹介した。
セレブレーションで参加者たちは、様々な心身調律法を学び、修練しながら、その合間合間に私と組み合って、崩され、(フローリングの床に)投げられ、落とされ、時に不動金縛りにされたりもした。
だが、それによって、不思議なことに心身の流れがたちまち良くなり(文字通り、流体的に波打つようになる)、その場で元気が湧き溢れてくるのがハッキリ実感できる。・・・と皆が証言しているのだが、その実際の模様に近い臨場感をお届けすることが、ムービー機材の長足の進歩により、初めて可能となった。
観の目で(画面全体に均等に意識を拡げながら)、虚心坦懐に(あれこれ考えることをやめ心静かに)向かい合えば、<ヒーリング>をあなたもきっと、自らの内面に実感し始めることだろう。
武術の心得がない方には、時にかなり激しく荒っぽいことを、我々がやっているように見えるかもしれない。が、全身の力みを抜き去って体も心も「水」となり、常に波紋の原理で動き続ける時、<無理>というものは毫末も(ほんの少しも)生じないのだ。
すなわち、自然である。無為にして自然。
どこにも余計な力が入ってない。どこにもぶつからない、滞らない。流れる水のごとく、滑らかに、自在に流れ続け、波打ち続ける。
だから、無理が全然ない。
龍宮道のわざはすべて、決められた方式をあらかじめトレーニングした結果にあらず。
受け手たちも、何をやるのか、事前にまったく知らされてない。何の打ち合わせもしていない。
自ずから生じ自ずから変化してゆく、「自生自化」(荘子)の道を、龍宮道は指し示す。そのことを、口先だけで観念論をもてあそぶことなく、心身一如で実践的に修するために、我々は<武の舞>を舞うのだ。
ところで、動画に登場する一人だけ服装が違う人、あの人は龍宮道初体験で、78歳だそうだ。脊柱管狭窄症で治療中だったが、セレブレーション参加後、症状がまったく改善した、とのこと。
フルハイビジョン画質 05分07秒
※せっかく高画質動画の配信が可能となったのだから、是非フルスクリーンでお楽しみいただきたい(画面下の再生バー右側に表示される拡大ボタンをクリック。終了後はキーボードの左上あたりにあるescキーを押すと元に戻る)。
「考える」ことによってではなく「感じる」ことを通じてのみ伝わる超越的メッセージを人類へ届けるため、我々はヒーリング・ネットワークのウェブサイト制作に鋭意取り組んでいる。
本ウェブサイトに収められたあらゆる写真、スライドショー、動画には、伝えるべきメッセージが、意識の奥深い超時空的なレベルで、込められている。より深く・精細に感じるためには、画面いっぱいに拡大して心静かに向かい合うことが必要だ。
ヒーリング・ネットワークのウェブサイトを訪れ始めた方々がしばしば驚かれるのは、背景のデザインといい内容といい、「これまで似たものを他にみたことがない」、と。広告がどこにもないし、あまたあるリンクのほとんどが自己サイト内だけで完結していて、そうした点も珍あるいは奇とされるところかもしれない。
「なぜ」なのかといえば、今私たちが表現し、伝えようと努力しているものは、一過性の表面的好奇心の対象ではなく、何かとても大切な・・・現在を生きる人だけでなく、未来の人にとっても大切な、そして人類だけでなく地球に生きるすべての生命とも関わるとても大切なことなのだと、(自分たちの経験を通じて)強く実感し、強く信じているからにほかならない。
ヒーリング・ネットワークのウェブサイトはその性質上、(動画や写真を一時的に拡大するだけでなく)常にフルスクリーン表示にして観るのが基本だ(もちろん、強要するつもりなど一切ない)。
<2021.05.03 立夏(りっか)>