Healing Discourse

ヒーリング・ムービー 其之二 力抜き 〜ヒーリング・セレブレーション in 広島 中編〜

文:高木一行

 私が導く<学びと祈りの場>は常に、動の局面と静の局面とが螺旋状に絡まり合うようにして、自生自化で織り成されてゆく。
 今回ご紹介するのは、「力抜き」をテーマとする一場面だ。

 前回、「(龍宮道には)無理がない」ことについて少し述べた。
 歳を取ったら無理してはいけない、とはよく耳にする言葉だが、確かに一理あるとはいえ、それは同時に、「石橋を叩いて渡らず」式の過剰な保身主義や臆病さをもたらし、かえって体力・気力・精神力の低下を招く傾向が、往々にしてあるようだ。
 龍宮道では、「歳を取ったら無理するな」ということを、消極的にではなく、もっと積極的に解釈する。
「歳を取ったら、もう<理>から外れるような(=無理な)体と心の使い方をしてはいけない。<理>にいつも注意し、常に<理>に基づき行動することは、高齢者の(楽しく爽快な)義務である」、・・・と。
 ことわりとは、龍宮道で言えば、水に基づく身体の認知と使い方、ということだ。「自然である」と感じられるような在り方。
  
 合気道開祖・植芝盛平おうならい、私は自らの武術的成長のピークを、「死ぬ時」に設定して修業を積んできた。それは今も変わらない。
 死ぬ時が一番強い・・・!・・・せっかく武術をやるんだったら、そのようでありたいではないか。
 そしてもちろん、武術は私の本務・本業ではない。龍宮道は、あくまでも呪術である。武術は、その呪術の一側面に過ぎない。

 龍宮道では、力を抜くこと(オフ)が身体運動の根本原理となっている。力を抜けば抜くほど、わざが熟達する。歳を取って力が入らなくなることは、だから龍宮道では「不利」ではなくて、その反対にとても「有利」な優位性アドバンテージとみなされる。
「力が入らない」ことを憂い悲しむことなく、前よりも「力が抜ける」ようになることを、龍宮道修業者はよろこび祝う。
 力抜き(オフ)を重んじ、それを根本に据えれば、歳を取るほどにわざが深まり、死ぬ時が一番強い、ということだって現実に起こり得る。

 真に力が抜けてくると、軽く持ち上げた腕を脱力してどさっと落とす、ただそれだけのことに、驚くほどの重さと威力が備わるようになる。より速く、手足が動くようにもなる。
 つまり一般常識とは裏腹に、力を抜いた方が、威力も速さも増す、ということだ。多くの古武術流派において、入門者に力抜きの大切さが強調されるのは、力を入れた方が強いという既成概念・発想に、根本的な転換を迫るためなのだ。

 腕の力を真に抜き切るだけでも、相当に難しい。手首を適当な支えに乗せておいて腕全体を脱力し、その重みを支えにかける。支えがいきなり突発的に外されたなら、腕が引力にしたがってストンと素直に落ちる(タイミングを合わせ作為的に自分で落とす、にあらず)。
 そういう基本状態を造ることでさえ、初心の頃はなかなかの難事だ。2人で組んで相対練修すると、初心者は得てして、力を抜いた「つもり」になって、ふわっと表情を緩め、煙にでもなったような気分で全身をリラックスさせようとする。そこでパートナーが支えている腕を予備動作なしでサッと外す、・・・と、術者の腕はそのままそこにとどまって浮いているだろう。・・・ということは、そこが無重力空間でない限り、力が全然抜けてないことを示す。抜けたのは「力」ではなくて「気」(気力)だ。気が抜けて腑抜けになるというのは、武術に限らず人生万事においてよろしくなかろう。

 こんな風に、私たちは力を抜くということ一つをとっても、あまりにも不慣れであり、無知だ。力を入れること(オン)については詳しいが、力を抜くこと(オフ)の大切さをほとんどの人が見失ってしまっている。
 力を抜くとは、真にリラックスして寛ぐということだ。余計な力みを捨て去って最高の効率を求めるための基盤だ。武術に必要というだけじゃない。充実して活き活きと生きる、そのための基本だ。

 その大切な力抜きということについて、龍宮道はこれまで存在したことがなかったような方法論、稽古法をもって、人々に(身体を通じ)語りかけ、その本質を指し示そうとする。

 動画の中で説明されているのは、単なる普通の力抜きをさらに超えた、龍宮道独自の力抜きとその一応用について、だ。
 ムービー中盤で出てくる「くさりぼね」とは、言うまでもなく「鎖骨さこつ」のことだが、ところでなぜ「鎖」なのか、これまで皆さんはお考えになったことがあるだろうか?
 龍宮道の基礎修法をイニシエーター(始動者=指導者)から伝授されると、鎖骨を含めた腕全体が鎖のように柔らかく揺れ、胸郭がぐにゃぐにゃ自在に波打つようになり始める。そうした動きの中で、なるほどこれは確かに鎖だ、と誰もが自然に身体で納得する。

ムービー 於:天行院(広島) 2021.04.18

4K画質 09分46秒

<2021.05.07 蛙始鳴(かわずはじめてなく)>

付記:ところで、龍宮道の力抜きで実際に打たれるとどんな感じなのか、誰にも聴いてなかったことに気づき、本稿執筆後にプライベートBBSでセレブレーション参加者に尋ねてみたら、以下のような感想が寄せられた。参考までにご紹介する。
 背骨(脊椎神経)を一気に活性化させる手法は、療術や健康法の観点からすると、極めて珍しいものかもしれない。

感想1:力抜きに関しまして、印象的でしたのは、拳を固めて打たれると、打たれた面には固さと強さを感じますが、自分の体はしっかりしていて崩れません。しかし力抜きで打たれますと、接触面はむしろ弱く、柔らかい感覚しかないのですが、身体全体が揺さぶられて崩れてしまうという不思議な感覚でした。
 特に先生が体の前に出ていた意識を背中側に持っていかれ、背中に波を起こすように打たれると、背骨に電気が走ったような衝撃が起こり、ビックリはするのですが、受け入れていくと壮快な波紋が全身を駆け巡り、強烈なヒーリング作用を感じました。

感想2:普通に固くして打たれる時は、打たれている手だけに衝撃を感じ、手首からこちら側にはほとんど影響がないのですが、力抜きで打たれると、打たれた手から全身にいきなり衝撃がきてしまいます。
 あるいは、自分の腰や膝や足裏など予想外のところを支えている力がいきなり抜けて、外側は崩れつつ、自分の肉体の内部がクリアな空間になって波紋が反響しているような透明な感覚がありました。
 波、波紋というと打たれたところから順番に伝わるようなイメージがありますが、打たれる方の感覚としては、予想外のところに突然波紋が発生して、まったく想像もしていなかった揺さぶられ方として感じていました。
 説明で「電撃」という言葉を使われているような打ちでは、こちらが体を支えて姿勢を保持している力が全部抜けるのと、背骨の上下を瞬間的に往復する波紋が同時に発生して、雷に打たれるような速さと衝撃の感覚がありました。

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