Healing Discourse

其之八 螺旋身

文:高木一行

 11月13~15日、広島の天行院にて合宿稽古会を執り行なった。その模様の一部を、今回と次回の2回に分けご紹介してゆく。
 まずは、準備運動も兼ねて組み手練修だ。

動画1 2021.11.14 於:天行院

フルハイビジョン画質 04分51秒

 動画2は、螺旋状に運動エネルギーを運用する「螺旋身らせんしん」の一応用例。螺旋身とは、部分的な筋力によらずしてトータルに動き、パワーを発するための方法論だ。
 筋肉の強い収縮力を用いずに骨格が動けるはずがない、と私も頭では考えるのだが、現実はさにあらず。リラックスした体内に浮かぶ腕や脚の骨が螺旋状に・・・体感的には歯車みたいに・・・かみ合いながら、するりするすると自在に動く動く。
 まさに円転滑脱、軽妙自在。
 相手のフェイント等に一切関わりなく、正面衝突するんじゃないかと思えるほど素直に、大胆に踏み出した・・次の瞬間、相手の攻撃はそよ風を斬ったみたいな感覚であっけなくかわされ、死角に入られてしまう。

 人体を貫く螺旋構造を(触覚的に)知り、それに則って、筋肉も腱も筋膜も「螺旋状に」働かせる。力を入れる時も抜く時も、すべて螺旋を描く。
 いや、螺旋状に使って初めて、腕の筋肉でも脚の筋肉でも、トータルに伸び、縮むのだ。
 筋肉には始まりと終わり(起始部と停止部)があるが、両者間の距離よりも、筋繊維は長く伸びる。ゆえに、単に身体を屈曲するような動かし方、考え方によっては、筋肉は全面的な働きをなすことは決してできない。
 付着部を結んだ距離よりも、なぜ筋肉が長いのか?
 丸棒に糸をぐるぐる螺旋状に巻き付けた状態をイメージするとわかりやすい。その糸を伸ばせば、棒よりも長くなる。
 問題は、そうと聴いてただ何となく腕や脚をころころ回してみても、私が述べているような劇的な変化、効果がまったく現われないことだ。
 厳格な軌道というものがあって、それに忠実に「意識」を添わせる必要がある。それが「螺旋身」と私が呼ぶものだ。

 例えば、上腕骨(肘と肩の間)や大腿骨(腿の骨)を実際に手に取ってみればすぐわかることだが、驚くほどねじれて螺旋を描いている。このように螺旋身のルートを、実は身体そのものが雄弁に物語り、文字通り「身をもって」示しているのだが、解剖学や生理学に造詣が深い医師ですら、指摘され、自分自身の身体で確かめ、主観と客観が合致して初めて、「あっ!」と驚くくらいだから、誰も気づかないのは当然だ
 人体を構成する各パーツに関して、人類は非常に細かいところまで知りつくしたといえるが、それらのパーツをいかにして組み立て、いかに働かせるかについては、実はまったく無知なのかもしれない。
 
 いったんわかれば、後は随意に再現できる。螺旋身が発動すると、それは呼吸とシンクロして動く。
 自分の身体でわかれば、他者の腕や脚にヒーリング・タッチでそっと手を添え、相手の身体内に螺旋身を導くことも可能となる。
 木刀を手にした者が次々にかかって来ても、ふわりふわりとかわし、全員を倒すことができる・・・が、一体どうなっているのか、どうやっているのか、自分でもさっぱりわからない。倒された方も、全然わからない、と言う。あまりにあっさりしていて、もう皆で楽しく笑うしかない。

動画2 2021.11.14 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分09秒

<2021.11.18 金盞香(きんせんかさく)>