鮎の姿を求め、シュノーケリング・ポイントを少し下流へ移した。
川原から観ると、こんな感じの場所だ。
礫(小石)が集まった浅瀬の中は、以下の写真や動画3のようになっている。きらきら輝く無数の水晶で創り成された、水中のクリスタル・パレスだ。動画で中層~表層を泳ぐ小さな魚はカワムツ(Nipponocypris temminckii)。
フルハイビジョン画質 00分19秒
そのさらに浅いところで、小さな鮎たちが群れていた。
後でお目にかける成魚の集団舞踏と比べ、平面的で単調な動きだ。
フルハイビジョン画質 00分27秒
直感めいたものに導かれ、岩の間の曲がりくねった浅い水路を通り抜けてゆくうち、・・・ふと横をみれば鮎、そこにも鮎、ここにも鮎、どこもかしこも鮎だらけのスペシャル・ポイントへたどり着いていた。
膝から腰くらいの深さで流れも穏やか、快適この上ない場所にて水の冷たさに悩まされることもなく、じっくり腰を据えて鮎たちを心ゆくまで観察することができた。
自然環境下で暮らす鮎(Plecoglossus altivelis)の姿を初めて観た。丸みを帯びた優しげなイメージの養殖ものとは違う、スレンダーな体型と精悍な顔つきにご注目いただきたい。かすかに甘い香りがするところから、英語でSweetfishと言う(シンプルにAyuと呼ばれることもある)。ちなみに中国語で「鮎」はナマズを指すという。
ムツゴロウさんこと、故・畑正憲氏がどこかに書いていたが、「鮎のように軽やかに踊るように泳ぐ魚を、私は他に知らない」、と。それを読んで以来、川の中で実際に観てみたいものだと、ずっと思い続けてきた。
今回の巡礼でその願いは叶ったが、鮎たちのこの「踊り」は、確かに軽やかではあるけれども、呑気なお遊び気分の踊りなどでは決してないと感じる。生存をかけ、縄張りを荒らす者に対しては体当たりも辞さぬ激しい気迫のこもった・・・、いわば戦士のダンスではあるまいか? 神功皇后が新羅侵攻の前に肥前の国で釣り占いを試みた際、鮎が釣れ、勝利を確信したという故事も思い起こされる(『日本書紀』)。
以下の動画5は、段階的に視野が広く開かれていって、より多くの鮎たちの動きを一望のもとに収めて「観る」ことができるよう構成してある。
畑正憲氏が言う「踊るがごとく」とは、一頭の鮎の動きに対して述べたものではあるまい。群れ全体の、集団としての舞踏について、ムツゴロウさんは語っていたのだ。
普通の「部分をあちこち見る」やり方をしていたのでは、あの鮎たちの動きが高度な集団舞踏にほかならないとみぬくことはできないだろう。
鮎一頭一頭の動きにとらわれず、すべての鮎を一つの視野の元で平等・均等に捉える。我々のいわゆる「観の目」だが、ムツゴロウさんが観の目で「観て」いたことは、作品の処々に反映されているから(自然界の描写など)、わかる者にはすぐわかる。
フルハイビジョン画質 01分42秒
<2023.09.14 鶺鴒鳴(せきれいなく)>