午後にガイドを雇い、浦内川河口部に広がるマングローヴ地帯を案内してもらうことになっている。
午前中の空いた時間を活かし、海岸沿いに西表島を半周する県道をのんびりドライブしながら、島とじっくり心を通わせてゆくことにした。途中、何か打ってくるものを感じたなら、直ちに車を止め、帰神撮影だ。
スライドショー冒頭に登場する様々な植物たちは、いずれも道路脇で帰神撮影した。西表というところは、車両が行き交う道のすぐそばでさえあんな感じで、自然が近く、活き活きとしてダイナミックだ。
マングローヴが繁る干潟の奥を歩く。浅瀬や水たまりが太陽を乱反射し、上と下の両方から照らしあぶられて、とにかく暑い。
案内人に急かされつつ、干潟の奥へ奥へと急ぎ足で踏み込んでゆき、マングローヴの根元に深い穴を掘って潜むノコギリガザミを捕まえる様子を見学した。数頭の蟹を見事に捕らえ、全部蒸していただいた・・・のだが、これだけ新鮮ならばさぞかし、という期待に反し、何だか気抜けしたような、浅薄で残念な味だった。全身汗みどろになって蟹相手に長時間奮闘してくれたガイド氏にはまことに申し訳ないのだが、正直に・誠実に、感じたありのままを記す。
卑見ながら、苦しんで死んだ動物の肉がまずくなるのと同様、長時間蟹をつつき回して虐め抜き、疲労困憊したところを引きずり出す珍しい漁法(?)が、蟹の味を著しく損なうのではあるまいか。巡礼の帰路、那覇で買ったノコギリガザミの方が、蒸しと塩茹ででは風味も自ずから異なりはするが、しかし、味も香りもはるかに鮮烈で濃厚、かつ、多層的で奥深かった(『ヒーリング・リフレクション』第二十二回参照)。
この日は満月。夜になると、満月にしか咲かないドラゴン・フルーツの大きな花が、暗闇に白く幽玄に浮かび上がる。
こちらは、昨年の鳩間島巡礼で帰神撮影した蕾。ちなみにドラゴン・フルーツは、サボテンの実だ。
普段陸で暮らすオカガニのメスは、夏の満月の夜、浜辺へといっせいに降る。そして海中に身を浸し、波のタイミングに合わせて全身を細かく振るわせ、大切に腹に守り抱えてきた卵を一気に海へ放つ・・・と、卵はいっせいに孵化し、プランクトン幼生たちが海へと旅立つのだ。
満月の元、メスのオカガニたちが集団で山から下りてきて、浜の岩場で次々放卵してゆく様は、西表島のこの時期の風物詩であり、あたかも記紀に記された禊の神話的営みを、無数の蟹たちが神楽舞うかのごとき、不可思議で、神秘的な情景だ。
それを是非、同行者たちに観せてあげたい、と、今回の西表島巡礼は梅雨明けの満月をスケジュールに組み込んだのだが、・・・近年、道路工事などによる環境破壊で、かつてどこにでもたくさんいたオカガニの数が、気づくと随分減ってしまい、以前のように集団で放卵する姿はもう観られないそうだ!
実際、夜遅くまで浜で待ってみたが、卵を抱いて待機している蟹や、大仕事をすでにやり終え物陰で一休みしている蟹を、何頭かみかけただけで、海へ入ってゆく蟹とはついに一頭も出合わなかった。
オカガニだけでなく、ヤシガニも相当減少しており、特に大型のものはほとんど見かけなくなったとのこと。
シャコガイも、天然ものはあまり残ってない。浜から随分離れたところでシュノーケリング中、両手で抱えなければならないほどの大きなシャコガイをみつけ、友人家族に喜んでもらおうと必死になって(あまりの重さに、フィンを一蹴りするたびに体が沈んでゆくのだ)持ち帰ったことなど、今は昔、まるで夢の中の出来事のようだ。
かつてはボウル一杯分くらいの生ウニが一度に採れたとか、一人でバケツ一杯のサザエを採ったとか、漁師の友人の手伝いをしながら私自身が実際に何度も経験したことであり、当時はごく普通のことだったが、それが今ではもう、島人の間で語り伝えられる伝説みたいになってしまっている。
何か、異常なことが起こりつつある。おそらく、西表島だけでなく、全世界で。
帰神スライドショー DAY 2
高画質版 :
<2021.07.17>