Healing Discourse

生命の旋舞 〜モルディヴ巡礼:2022〜 第二章 マンタ乱舞・序

 前回モルディヴを訪れたのは、もう30年近く前のことになる。
 島々のまわりは目が覚めるように美しいサンゴ礁の浅瀬(ハウスリーフ)に囲まれ、水上コテージのバルコニーから直接海へ入れば、沖縄では滅多にみかけない珍しい魚たちともごく普通に出逢うことができた。いろんな種類の貝もたくさんいた。ハウスリーフの外縁(リーフエッジ)から水深が一気に深くなり始めるあたりで待っておれば、ウミガメや大型の回遊魚、サメなどと出会うことも少なくなかった。夕刻ともなれば、ブラックチップシャーク(ツマグロ)の子供が何頭も渚のすぐそばまでやってきたり、沖合でイルカたちが楽しげにジャンプを繰り返すのだった。
 沖縄も素晴らしいが世界にはこんな凄い海があるのか、と瞠目どうもく(驚いたり感心して目をみはること)したことをよく覚えている。・・・のだが、そのモルディヴのサンゴ礁は現在、写真のような有り様になっている。

サンゴ礁1
サンゴ礁2
サンゴ礁3

クリックすると拡大(以下同様)。

 2004年のインド洋大津波、さらに近年の世界的なサンゴの白化による深刻なダメージを受け、回復の兆しはいまだみられないという。今回滞在した島だけでなく、モルディヴ全土がどこもかしこも似たような状況とのこと。
 荒廃とか墓場、という言葉しか浮かんでこない。サンゴ礁を主なすみかとする魚たちは、ごく少数の例外を除き、スッカリ姿を消してしまった。貝もほとんどみかけなかった。かつてモルディヴは、アジア、アフリカ、オセアニア等の広範な地域で貨幣として用いられたタカラガイの一大産地だったというのに。
 おまけに、雨期で海が荒れ透明度がかなり低くなっているところへもってきて、大量に発生したプランクトンで海の中はいつも、粉雪が舞い散りおぼろにぼうっとかすんだような状態だ。
 海中撮影には極めて不向きだが、今回の龍宮巡礼の主役は言うまでもなくマンタである。そのマンタがたくさん集まってくるのは雨期だけなのだから、雨が降ろうが・風が吹こうが・波が高くなろうが・水が濁っていようが、自然に対し文句を言う筋合いのものではあるまい。

 ところで、ハニファルベイにマンタが集結するといっても、そこへ行けばいつでも必ずマンタに出会えるかといえば、残念ながらさにあらず。まったく来ない日もあれば、たとえ来ても数頭のみのこともあり(それだけでも実は凄いことなのだが)、何日も続けて現われない日も少なくないらしい。潮流、天候、その他諸々の知られざる条件により、出現時刻や滞在時間も毎回異なる。これまでの経験上、満月と新月、及びその前後が、マンタとの邂逅率が最も高くなるというが、それですら確実ではない。ダイヴセンターのスタッフによれば、前回の満月の日には一頭も現われなかったそうだ。
 ここでは、人間の都合にマンタを従えようとするのではなく、マンタの都合に人間が合わせるのだ。リゾートのダイヴセンター・スタッフいわく、「Manta is Queen.」と。

 マンタを一目みたいと世界各国から訪れる人々が、より高確率でマンタと出会えるよう、ハニファルベイにはレンジャーが常駐し、いつもドローンで監視していて、マンタがやってくると近隣のリゾートに一報が届くシステムになっている(マンタ・オン・コール)。すると、各リゾートであらかじめスマホのアプリ(WhatsApp)に登録しておいたゲストの元へ、「マンタが多数来ています。マンタ・シュノーケリングは15分後に出発いたしますので、参加希望者はダイヴセンターへお急ぎください。なお、定員は15名です」といった知らせがスマホで来る。
 大変便利で有り難いシステムだが、それは午前9時かもしれないし、午後4時半かもしれない。あるいは、その日はマンタの休日かもしれない。マンタ・オン・コールが来ていたのにハウスリーフで泳いでいて気づかなかった、なんて寂しいことも起こり得る。レストランで食事を楽しんでいる最中にマンタが現われたなら、マンタか食べ物、どちらかを諦めねばならない。前者を選ぶのなら、直ちに席を立ち、シュノーケリング・セットを取りに部屋へ戻り、ダイヴセンターへ駆けつけるのである。
 マンタに旅の焦点を合わせるのであれば、外出せず部屋で待機し、昼食も抜くしかないが(私は実際にそうした)、リゾートでのんびり休日を楽しむというよりは、ハードな取材という感じで、それはそれで非日常的で面白かった。

 さて、以下に掲げる帰神スライドショーは、リゾート滞在2日目(新月の前日)に帰神撮影したものだ。前章でご紹介した午前中のシュノーケリング・ツアーを終え、部屋で静かに瞑想していたら、午後2時を過ぎてから、マンタ・オン・コールが(本当に)来た! 油断なく準備し何度も内容を点検したシュノーケリング・セットを持ち、撮影機材でパンパンに膨らみズッシリ重くなったリュックを背負い、ダイヴセンターへと急ぎながら、ついつい駆け足になってしまうことを禁じ得なかったのは、今思い出しても我ながらほほ笑ましい。リゾートで駆け足とは何ともせわしないことだが、まあ、このために遥々モルディヴまで来たのだ。心がくのも当然といえよう。
 今改めてその日撮った写真を観ると、初めてあんな風にたくさんのマンタたちと超接近遭遇し、歓喜しながら夢中で撮ったものだから、マンタばかりに意識が集中してしまい、周りの水の質感などがまったくお留守になっている。とりわけ、スライドショー前半の写真はそうだ。
 が、このスライドショーはあくまでも「序」であり、今回のトラベローグでは読者諸氏に是非とも、「マンタに囲まれ、マンタにまみれ、マンタと共に生命いのちの祝祭を舞う」とは、一体いかなる体験なのか、それを実際に味わっていただきたいと熱願しているので、皆さんもそのつもりでじっくり腰を据え、最終章までお付き合いいただければ幸甚だ。 

 フォニマグッドゥー島からスピードボートで約15分、ハニファルベイに着く。ガイドの指示に従って海へ入り、ガイドに導かれるまま移動して待つことしばし・・・。視界の片隅にマンタらしき影をとらえたと思ったら、あっという間に数え切れないほどのマンタたちに囲まれていた。
 近い、近い、近過ぎるほど近い。当然ながらマンタに対してはノータッチがルール&礼儀なので、できるだけ体をコンパクトにまとめ、フィンも水面に平行に伸ばしてマンタの邪魔にならないよう注意したのだが、あまりにも近過ぎて、何度か、マンタと実際に触れ合ってしまった。
 というよりは、明らかにマンタの方から接触してきた。まるで「巡礼ご苦労様」とでも言わんばかりに、親密に触れ合って挨拶するみたいに。
 ある時は、私の真下にいる大きなマンタがどんどん浮上してきて、このままではマンタの上に乗ってしまう、と真剣に困ってしまった次の瞬間、相手はさっと鮮やかに身を翻し、泳ぎ去っていった。沖縄版の浦島太郎伝説では、海亀ではなくエイ(おそらくマンタ)が、龍宮への案内人を務めるのだそうだ。

マンタ
マンタ

 今回初めて気づいたが(皆さんも帰神スライドショーを観ながらお気づきになったと思う)、海の中で観るとマンタの口の中(口の両端にあるひらひらした頭鰭とうきの内側を含む)は薄青白く発光していて、背中の白い模様と共にかなり目立つのである。後ろ向きに宙返りしながらプランクトンを食べる際には(サイクロンフィーディング)、白い腹が上を向くと太陽光を反射して周囲が明るく照らされ、写真のホワイトバランスが崩れて背景が黒に近くなってしまうほどだ。
 マンタたちがただ集まってプランクトンを食べているだけでは、どうやら「ない」らしいことは、マンタ乱舞のさ中に実際に身を置いてみれば直ちにわかる。
 マンタは魚類の中でもずば抜けて脳が大きく、海底の地形を詳細に記憶して広大なエリアを回遊したり、腹の模様でお互いを個体識別していることなどが、最新の研究で少しずつわかってきた。鏡に映った像を自分自身と認識することすらできるそうだ。

<2022.10.20 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)>