[ ]内はルビ。
2013.09.27(絶食 DAY4)
愛する美佳、
今日、警察での取り調べから帰った後で、君が広島からわざわざ大阪まで来てくれたこと、そしていろいろ差し入れてくれたことを知った。接見禁止で実際に会えないのは残念だが、やむを得ない。
お金については、こうして私の言葉を書き記す筆記用具を購入するため、是非必要と思っていた矢先なので、驚くと共に、非常に感謝している。
ありがとう。
これこそ、以心伝心というものか。
さて、お涙ちょうだい的なことを書くのはやめよう。
今も、これから先も。
私がなぜ断食しているか、その理由と意味を、君はよくわかっているね?
ヒーリング・ネットワークのウェブサイトにも少し記したことだが、これは私の「命[めい]」なのだと、今、この時に至って、ますます強く、そう感じている。
命[めい]とは、天命であり、そして、使命だ。
新たな世界、私たちが夢見た世界が開かれるため、ごくごくささやかであっても、一助となれるのであれば、私はこの身を喜んで捧げる。
どうか心配しないでほしい。
必ず死ぬと決まったわけじゃない。死、そのものは、私の目的ではない。
が、死という結果に終わったとしても、決して悲しまないでほしい。
愛する君が悲嘆の涙にくれる姿が、私を最も苦しめる。
意外に思うだろうが、先般の小笠原巡礼で君と分かち合った、あの諸々のハードな体験と比べたら、今、私を取り巻くこの環境は、「天国」といっていいほどだ。
取り調べの刑事たちも、家宅捜索時に無礼極まりない態度を一喝[いっかつ]して以来、常に「~さん」づけで私を呼んでくれるし、留置場と取り調べ場所の間を行き来する際の護送官なんか、それこそ腫れ物にでも触るかのような丁寧な扱い方だ。
龍宮道でやっつけてやろうと楽しみにしていた、横暴な「牢名主[ろうなぬし]」なんてどこにもいやしない。
龍宮館(編注:自宅)ゲストルームぐらいの広さに、2名が収監されている。
私の同室者は、大人しそうな、丁寧な態度の中年前くらいの人で、話をしたりすることはほとんどないが、お互いに不愉快な思いをすることなく、日々を過ごしているよ。
これを君が読む日がいつ来るかわからないが、とにかく君に楽しんでもらえるよう、常に努める所存だ。
外の世界でのことに関して、私があれこれ口出しすることは、一切しない。
指示したりも、しない。
君は成熟した1人の大人なのだから、何事も自分自身で判断し、責任をもって行動してほしい。
君と過ごした素晴しい日々のことを・・・・どうか許してほしい・・・・できるだけ考えないように、思い起こさないように、瞬間瞬間、努めているところだ。
なぜなら、それらの甘美な記憶は、私に無上の歓びと共に、大いなる苦しみをも、もたらすからだ。
記憶による喜びが大きければ大きいほど、それを再び得られないという事実は、圧倒的な絶望と苦しみをもたらす。
「記憶」こそ、苦しみの原材料だ。
私には、未来はない。今回のことと関わりなく、とうの昔に捨ててしまった。
未来がなければ必然的に、過去も、ない。
あるのは、ただ、今、だけ。
そうすれば、苦しみは、非常に少ない。
あるいは、まったく、ない。
ただ事実として告げるが、少くとも現時点まで、断食していても全然、またはほとんど、苦しく「ない」。
やせ我慢にあらず。
君へのなぐさめにあらず。
もちろん、長丁場なのだから、この先のことはわからないが、とにかく、元来1番苦しいはずの今の時期が、これまでの断食体験とまったく違って、ちっとも・・・・苦しくないのだ。
飢餓感も、ほとんど感じない。
どういうわけか知らぬが、まあ有り難いことではある。
周りの人たちも、最初は断食と聞いてせせら笑ったり、馬鹿にしたりしていたが、少しずつ私を見る目が変わってき始めているよ。
とにかく、常に毅然[きぜん]とした態度・姿勢を心がけている。
私の衷[うち]よりあふれ出る君への愛を、言葉として留めるべく、これからも書いてゆこうと思う。
断片的、かつ不ぞろい。文章としての完成度の低さについては、どうか許してほしい。
愛を込めて。
一行
2013.09.28(絶食 DAY5)
愛する美佳、
今朝、読書が許される時間になってすぐ、昨日差し入れてくれた本全部に、パラパラッと目を通した。
啓発的かつ暗示的内容に満ちた、素晴しい書物だ。
が、<死>の上に据[す]わる者にとり、そこから汲み取るべき、何物もなし。
別に退屈などしてない。
いろいろ不便、不自由な点もあるが、たちまち適応してしまった。ヒーリング・アーツ(龍宮道)には適応力を高める作用があるとこれまで力説してきたが、その効果には本当に驚かされる。
この状況を、いいかね美佳、私は「楽しんで」いる。
留置生活の中で、龍宮道のさらなる深奥[しんおう]を探究することが果たして可能か・・・・?
このテーマに、鋭意取り組んでいるところだ。
だから、私のことをあれこれ心配する必要など、なし!
断じて、なし!
・・・・とはいえ、差し入れの本を手に取った瞬間、柔らかく暖かな<愛>の奔流[ほんりゅう]が、手を通じ、私の衷[うち]へと流れこんでくるのを、ありありと感じたよ。
君の愛と思いやりに、心の底からの感謝を。
私は、君へのありったけの愛を込めて、これらの言葉を綴っている。
君には、君自身の人生を、これからは君自身によって、切り拓[ひら]いていってほしい。
君が<愛>の悦びに満たされ、歓喜に輝くことは、即[そく]、私の喜び。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いったん筆を止め、これまで書いた分を読み返してみたが、・・・・実に読みづらいよね。
すまない。
何せ、机なんてそんな便利なものは、ない。
床(柔道用のビニール畳)に座るか、寝ころぶかして、書いている。
暑くも寒くも、今のところ、ない。
今日も、肉体的苦しみや飢えを、ほとんど感じない。
しかし、ここに留置されている者たちも、裁判所で見かけた「ご同類」たちも、どいつもこいつも皆、ごくごく普通の人という感じだ。皆、大人しくて礼儀正しい。
1番の「ワル」は自分じゃなかろうかと思う。
断食したりして、猛烈に反逆しているんだからね。
檻[おり]から出る時、檻に入る前、布団をたたんで収納場所にしまった後、洗面後、・・・・など、1日に何度もボディ・チェックを受けるのだが、私が携[たずさ]えているこの<武器>を取り上げることは、誰にもできない。
この事が、私を支え、励[はげ]まし、力を与えている。
今朝はこれくらいで。
美佳、愛してる。
一行
2013.09.28(絶食 DAY5)#2
愛する美佳、
たった今、君が送ってよこした弁護士(あの人はどうも腰が抜けているみたいだね)との「接見」(面会)を終えた。
君に託[たく]したメッセージを、一言一句すべて伝えてくれるとのことで、一安心だ。
私の断食レジスタンスに対する嫌がらせか、事件とは何の関係もない君と面会することはおろか、手紙すら出すことも一切禁ずるとは、検察の非情ぶりには呆[あき]れ果てる。
・・・・と、ここまで書いたところで、不協和音がけたたましく鳴り響き始めた。
毎日、昼食後と夕食後、ラジオの音楽番組が大音量でたれ流される。どうやら、「娯楽」ということらしい。
これが現在のところ、1番「キツイ」ね。
龍宮館向かいの高校(実はわが母校)から聞こえてくる軽音楽部の騒音からやっと逃れたと思ったら、これだ。
私の「カルマ」なんだろうか。
1日2度の「ゴウモン」タイム。
これにも必ず適応してみせる。
書きたいことがいろいろあったのに、音の洪水の中では何1つ言葉が浮かんでこない。
というわけで、今はここまで。
美佳、もっと愛を、君へ。
一行
2013.09.28(絶食 DAY5)#3
<午後>
愛する美佳、
ようやく静かになった。
静か、といっても、ガチャガチャ檻の戸を開け閉めする音とか、洗濯機が回る音など、あれこれ聞こえてくるけれど、特に気にはならない。
さて、<死>について、書こうか。
すでに述べたが、私は自らの生命[いのち]を粗末に扱い、死に急ごうとしているわけではない。
その反対だ!
私は自らの行為を通じ、命の尊さ、命の重さについて、全人類に、世界に、訴えかけようとしている。
繰り返す。
私は死そのものを目的としているわけではない。決して。
「生きる」ことに、私は主眼を置いている。
生きる。死と共に。
死。
それは宇宙で最も公平なもの。
私を断罪する警察・検察の人々、私を罪人として裁く裁判官、それらの人々の元にも、私同様に、まったく平等に、死は訪れる。
確実に。
このことだけは、絶対に間違いない。
私は死ぬが、検察官や刑事、裁判官はこれから先もずっと永久に生き続ける、そんなことはあり得ない。
私の取り調べを担当する女性検察官は、私の断食について、「あなたが死のうがどうしようが関係ない」「そんなもの(死を覚悟した断食)など、あなたの自己満足に過ぎない」と決めつけた。
まるで、自分の命には価値があるが、犯罪者である私の命になど、二束三文の値打ちもない、といわんばかりの冷淡な態度だった。
だが、あにはからんや、彼女も私も遅かれ早かれ、確実に、死の淵に呑み込まれてゆくという点では、まったく<対等>ではないか。
死における対等。
・・・・ならば、生においても、人は皆、<対等>であるとはいえまいか?
否、生きとし生けるものは皆・・・・星々や宇宙さえも、数十億年、数百億年を経た後に最後の時を迎えるのであれば・・・・宇宙の万有万物は皆、その本質において<対等>であるとはいえないだろうか?
<対等>こそが、生と死という二元性を貫き、両者を超越する絶対性ではあるまいか?
生命(いのち:死に対する一面的な生ではなく、生と死を共に含む、生と死の源泉)の対等。対等な生命。
私は53年間の人生を通じ、この理会(頭だけでなく、全心身でわかること)へと、最終的に到達した。
その瞬間、これまでずっとあこがれ続けてきて決して得られなかった境地が、豁然[かつぜん]として(一気に広々と)、拓[ひら]かれた!
万物斉同[ばんぶつせいどう]。・・・・あらゆるものと共振し、響き合うことが、今や私にはできる。
だから、私が死を覚悟したからといって、逝くなと引き止めることを、どうかしないでほしい。
これは宇宙の大いなる<生命[いのち]>の要請なのだ。
そして繰り返すが、私は死そのものを目的としているんじゃない。
だが、死を全面的に受け入れ、覚悟を極[き]めた上でなければ、私の断食には何らの力もなく、意義もないことを、どうかわかってほしい。
ここへと至るあれやこれやを想うたび、私は「この時」のために周到に準備されてきたのだと思わざるを得ない。
君には直接言ったことだが、改めて書いておこう。
私には一片の後悔もないし、いかなる葛藤をも感じない。
私の信念に、微塵[みじん]も揺らぎはない。人が、聖なるハーブや薬物の力を借りて自らの意識を変え、自分自身の内面を探究してゆくことは、基本的人権の1つだ。
その、重要かつ神聖な権利を蹂躙[じゅうりん]し、犯すことは、誰にも許されない。
死へと至る絶食の床についた肥田春充を枕頭[ちんとう]にあって看護していた家族などが、しきりに説得し、懇願[こんがん]し、春充を苦しめた、あの滑稽悲劇を、我が愛する美佳よ、君も再演しようとしているのではないか。
君が感情的になったり、子供みたいに泣きわめいたり、そんな姿を見るのが、私は大嫌いだ。
もっと毅然としなさい!
<死>の上に据[す]われば、君自身の裡[うち]から驚くべき力が溢[あふ]れてくる。
・・・・自分だけ<死>をさっさと選んで、残される者に対し、引き留めるなとか、泣くなとか、まあ、オレも勝手な男ではあるな、と思う。
何度でもあやまる。すまない。
が、その身勝手極まりない男を伴侶として選び、これまで共に歩んできたのは君自身だ。
美しい美佳。
素敵な美佳。
天上の音楽を、この物質界にもたらして、私に悦びを与え続けてくれた、美佳。
いつも君のために、祈っている。
君の愛が、私の衷[うち]へ注がれ、満たすのを感じている。
ありがとう美佳。
死による別れは、おそらく、ごく一時[いっとき]のものだ。
時と空間を超え、私たちは再び出会い、<1つ>になる。・・・・永遠に。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
割れても末に 会はむとぞ思う
美佳、無限の愛を君に。
一行