Healing Discourse

1万回の「愛してる」を、君へ 2013.09.29〜10.01(絶食 DAY6〜8)

2013.09.29(断食 DAY6)#4
             <夜>

 愛する美佳、

 今日は『ボニン・ブルー』用の原稿をいっぱい書いたよ。
 第1部『プロローグ』に続き、第2部『マンタ・スイム』と第3部『ドルフィン・スイム』を、ほぼ完成させた。
 少しずつ調子が出てきた気がする。
 今朝購入したボールペンが、夜にはもうなくなってしまった。

 いささか指が疲れた。

 というわけで、今日はここまで。
 明日からはまた取り調べがあるそうなので、昨日、今日のようには書けなくなると思うが、とにかく、時間がある限り、君への、そして人類へのメッセージをしたため続ける。

輝ける愛を、君に。美佳

一行

2013.09.30(断食 DAY7)
          <朝>

 愛する美佳、

 今朝もまた苦しみはなし。
 留置場では、何の種類か、お茶が供されるのだが、カフェインの作用を感じないし、口にも合うから、飲料の問題はまったく生じてない。
 むしろ、これまで体験してきたすべての断食と比べ、断然、楽だ。
 皮肉なものじゃないか。
 と同時に、ありがたいことではないか。
 日々、感謝と愛と安らぎに満たされながら、生活しているよ。

 今朝はあまり時間がないので、これくらいで。

軽やかで、柔らかな愛を、君へ。美佳。

一行

2013.09.30(断食 DAY7)#2
<夜>

 愛する美佳、

 今日、取り調べの合間に、刑事の1人と、長々食べ物の話をした。
 フィリピンとシンガポールに、随分前のことらしいが、旅行したことがあるとのことで、バロット(ふ化直前のアヒルのゆで卵)とか豚の丸焼き、ミーゴレン(焼きそば)など、私たちにはおなじみの話題で盛り上がった。

 あるいは、私に何とかして食べさせようとする策略だったのかなあ。
 しかし、私とは何の関わりもない、食べ物とは別の話題について話しているみたいな、妙な感じだったよ。

 食べ物の話をいくら持ち出されても、これまで自分がうまいと思った料理の記憶、君と一緒に楽しんだ記憶、などが全然よみがえってこない。
 何かをまた食べたいと思うことも、ない。
 こちらへ来てから、食べ物の夢も、特に見ない。
 これは、今までの断食と全然違う。
 これまでは、断食するたび、とりわけその初期において、いつも食べ物のことが頭から離れない時期があったものだが、今回はそれがないから非常に楽だ。

<死>を覚悟すると、これほどまでに何もかも激変するものか。

 面白い。

 今日は、『ボニン・ブルー』の第4部までを仕上げたよ。
 PCが使えないのでちょっともどかしいが、それでも「書ける」「できる」と分かった。
 私の原稿をデジタル化する際は、私の言葉に絶対忠実に従おうとする必要はない。
 誤字・脱字もあろうから、どう考えてもおかしい、意味が通らない場合は、適宜修正してほしい。

 君が私に執着し、しがみつき、生きてほしいと懇願する、それは<欲>だ。<愛>じゃない。

 が、人が<欲>を手放し、超えることの難しさも、私にはわかり過ぎるほど、よくわかる。

 決して君を責めているんじゃない。
 けれど、「パニックに陥っています」なんて、そんなバカげた伝言を弁護士に託すような、恥ずべき行為は、・・・・厳しいことを言うようだが、・・・・どうか謹んでほしい。
 それは、私たちがこれまで営々として築き上げてきたものをおとしめ、辱[はずかし]めることに他ならない。

 かえりみれば、君に厳しかったり、激しくぶつかり合ったり、辛く当たったり、よくもまあ、やってきたものよと、我ながらあきれ返る。
 でも、真に対等なパートナー同士であれば、時に激しく対立するのは当然だと思う。

 そして、私はいつも、いつも、君への愛へと還[かえ]ってくるのだった。
 どんなに腹を立てていても、もう顔も見たくないと思っても、ちょっと時間がたつと、いつのまにか、君を愛しく想[おも]う気持ちで満身すみずみまで一杯になる。

 これまで君を不愉快にしたり、悲しませたり、落ち込ませたり、あれこれしてしまった、そのすべてに対し、心の底から謝罪する。

 ごめんね、美佳。

 私みたいなわがままで奔放な人間を、容[ゆる]し、受け入れ、寄り添い続けてくれた、君の大いなる愛に、今、どれほど感謝していることか。

 直接会って言葉を伝えたいとか、触れ合って愛を交流させたいとか、できぬことをしたいと駄々っ子のように騒ぐことを、私はしない。

 君との時間を、私は完全燃焼させた。
 これ以上、一体何を求めるのか、何が求められるのか、と心底そう思う。
 求めるとしたら、あまりにも欲張りだ。
 欲は、苦しみを生む。

 君と一緒に過ごした楽しく、甘美な思い出の数々に言及しようとすると、胸が張り裂けそうになる。
 過去にこだわり、過去からなぐさめを汲み上げようとするのはやめようと思う。

 私は、「永遠の今」を、生きている。

 君への、これら諸々の言葉は、君を過去にどどめ、縛るためのものではない。
 絶対に、ない。

美佳。1万回の「愛してる」を、君へ。

一行

2013.10.01(断食 DAY8)
<午前>

 愛する美佳、

 今日も全然苦しくない。
 空腹感も、一瞬二瞬、時にありはするが、<死>を意識したとたん、瞬間的に収まる。
 何とまあ、ありがたいことだ。

 やれタオルのたたみ方が悪いの、頭をこっちへ向けて寝ろだの、慣れぬこととて、最初はああせい、こうせいと小うるさく言われたが、今、洗面所にズラリと並んでいるタオルを見たら、私のものが一番きれいにたたんである。
 それに、同房の人があれこれ親切丁寧に教えてくれるから、困るようなことは全然ないよ。

 規律正しさと不便さにも、ある種の効用があるものだと、今回の体験を通じ考えるようになった。
 もしかすると、禅寺や修道院は、入獄体験のある誰かが、修行促進の思わぬ効果を発見し、作り出したものなのかもしれない。

 さて、美佳・・・・。

 こうして書いていて、いつも思うのは、私、および私が創り出したものの残滓(残りかす)に、決してしがみついてほしくない、ということだ。
 ヒーリング・アーツとか龍宮道とか、それらを継承、発展させようとする必要なんか、全然ない。
 過去にとらわれたつまらない生き方だけは、君にしてほしくないのだ。
 もちろん、私の遺産を、君独自のオリジナルな形で発展させてゆくことは、ちっとも構わない。
 それに手応えを感じ、何らかの結果や成果も自然に付随してきて、君の人生を彩り豊かにしてゆくのであれば、それはそれで大いに結構なことだ。
 君には音楽の道もある。
 私の影響から、まずは完全に脱することを心がけなさい。
 いわゆる守・破・離、だ。

 今朝はここまで。

美佳。1万回の「愛してる」を、君へ。

一行