2013.09.29(断食 DAY6) #2
<昼>
以下、父母への遺言状として記す。
お父さん、お母さん、
あれこれ述べて格好をつけたり、言い訳をしようとは一切思いません。
こうした事態となって、驚かれたでしょうか?
あるいは早晩こうなるだろうと何となくわかっていて、とうの昔に諦めてしまっていたでしょうか?
あなた方の心を苦しめ、世間体[せけんてい]を悪くするであろうことに対して、申し訳ない気持ちで一杯です。
が、どうか信じていただきたい。
誇りに思えとまでは申しませんが、ただ、信じてほしい。
私は、裁判で有罪を宣告される可能性が高いと知りつつ、信念を貫き通しています。私利私欲のためでなく、人の意識を変える植物や物質(一般的には麻薬と呼ばれているものです)は、人類に与えられた恩寵であり、現在人類が抱える地球規模の諸問題に光明を投げかけるものであると確信するがゆえです。
誤解なきよう申しておきますが、覚せい剤とかヘロインなど、中毒性が高く、危険な副作用があるものを、私は礼賛[らいさん]しているわけではありません。
しかし、それらの、いわゆる「麻薬」と同等同類に扱われている、例えば大麻は、身体に対する害もなく、依存性(中毒性)もなく、それどころか様々な病気を治す薬ともなり、紙や布の原料となり、人の心と体をゆったり寛がせて豊かな気持ちにするなど、様々な効能が見直される機運が世界的に高まり、これまで厳しく規制していたアメリカでさえ、いくつかの州で合法化されるに至っているのが実情です。
しかし、法廷でそんなことを言えば、反省の意思なしと決めつけられ、重い罪を宣告されるでしょう。
妄想か、思い込みか、気でも狂ったか。確かに、狂気と紙一重のところに身を置かないと、こんなことはできない。
私の断食の理由は、美佳が詳しく説明してくれると思います。
いつだったか、佐賀県の唐津に、H家の人々と家族皆で出かけた、あの大旅行中に、ふとしたことから、1人、旅館の縁側で寝ると言い出し(誰にも言いませんでしたが、相応の理由あってのことです)、周囲の説得にもまったく耳を貸さず、とうとう押し貫いてしまった、あの時のことを、どうか思い起こしてください。
私は子供の頃から、「そういう人間」だったのだと、ここまで至る人生の諸々の出来事を思い起こしてみて、そう思います。
お父さん、お母さんには大変申し訳ない。文字通り、「不肖の息子」でした。
そんな、究極的ともいえる親不孝者を、あなた方は常に受け入れ、静かに見守り続けてくださった。
心の底から感謝を捧げます。
あなた方の誇りとなれるような人間になりたいと思い、自らの分を超えてまで努力し続けた時期もありました。が、所詮無理なものは無理。人は、自分がなれるものにしかなれないのだと、20代半ばにして悟りました。
それでも、あなた方のため、いつも祈り続けてきました。その祈りに、今も変わりはありません。
厚かましいとは思いますが、お父さんに一つお願いがあります。
私の伴侶である美佳のお陰で、私は人生の素晴らしい時間を過ごすことができました。
現在、私は司法の横暴に対する抗議の意を込め、断食中ですが、それが不慮の死で終わった場合について、記したいと思います。
私亡き後、彼女は自らの道を歩んでゆくことでしょうが、現時点で何一つ生計の手段を持たぬ彼女のため、求めがあれば、現住居および道場が建っている土地を譲ってやってほしいのです。
私がいかなることになろうと、高木の姓を捨てる意志は、彼女にはまったくないそうです。
土地を売って得たお金で、どこかよその場所に居を移すかもしれませんが(瀬戸内の夏は、東京で生まれ育った彼女にはキツ過ぎるようです)、高木美佳として、私の遺志を継ぎ、彼女なりのやり方で、<道>をつないでくれると信じています。
これは私の最後のお願いですが、もちろんお父さん御自身の判断に委ねます。たとえ願いが適わなかったとしても、一切、恨む気持ちはありません。
それ以外の土地建物等については、すでにお話したと思いますが、すべて妹に譲ってください。彼女にも、今後子供たちと共に生きてゆくための場所、資金が必要でしょうから。
常に覚悟を決めて生きて参りましたので、こうした事態となっても、私の中には怖れも、不安も、心配も、後悔も、一切ありません。
死を目前にして、悠然としていられる。そんな崇高な境地を目指し、憧れ、少しでも近づきたいと、これまで努力、精進を重ねてきました。
今、思いがけない状況下ではありますが、これまでの全努力が報われたことに、驚きと共に、限りなき感謝を覚えているところです。
お父さん、お母さんにも、無限の感謝を捧げます。
ただ、お二人にとり、これはまさに「寝耳に水」でしょうから、驚き、あれやこれや心配し、誰かを責めたくなる気持ちも痛いほどよくわかります。
それを思うと私も苦しくなる。
自分の命を犠牲にすることなどまったく意に介さないが、周囲の人々の苦しみは、私にとり最大の苦しみです。
思えば、縁薄き親子ではありましたね。すぐ近所に住んでいるのに、正月、盆に顔を合わせることさえなし。しかし、私が子供の頃は仲の良い家族であったと思うし、その家族の絆が徐々に薄れていったのは、時代そのものが大きく変わっていったことに起因するのでしょう。生活様式だけでなく、人々の価値観までが、激変していった。
人同士の心のつながりが失われるような、そんな世界が正しいとは、私は決して思いません。
長々と書き連ねました。
遺言として記した本文を、お父さん、お母さんが目にする時、私がいまだこの世に留まっているのか、否か、わかりません。
が、改めてお二人に、極まりなき感謝と、そして、愛を。
私は望まれた子でなかったかもしれず、なぜ自分をこの世に送り出したのかと、お二人を恨んだことさえ、ものごとがなかなか思うようにならなかった若い頃には、あったほどです。
けれど、今は、自分がここにこうして「ある」ことに対し、一切の恨みつらみも、不平も、不満もなく、強がりでも強情でもなく、ただただありがたく、万物に対し感謝の気持ちで一杯です。
「いい人生だった」
そんな風に満足、納得できる人生の機会を、私に与えてくださったことに対し、お父さん、お母さんに感謝します。
ありがとう。
一行
・・・・・・・・・・
美佳、清書して君が良いと思う時、父母へ届けてほしい。
私の希望がかなうかどうかわからないが、「可」となった場合以降の土地建物等の処分については、君に一任する。
君も当分は自分のことで精一杯だろうが、余裕が出てきたら、私の両親のことも少しは気にかけてやってほしい。
ただし、これは強制や条件ではない。
これまでやってきたことにとらわれず、自由な発想でものごとを進めてゆきなさい。
美佳、愛してる。
一行
付記:
書き終えた途端、次の言葉が浮かんでくる。まるで私の生命そのものから顕[あら]われ出[いず]るように。
ヒーリング・ネットワークとも龍宮道とも、各手紙の最後の署名に、私が添えてないことに、すでに気づいていると思う。
高木一行、ですらなく、単に一行だ。
最も親密な、君だけに充[あ]てた私信として、私はこれらの言葉を綴っている。
と同時に、君を通じ、全人類へのメッセージを込め、私は書いてもいる。
それではもう一度。
君に精一杯の愛を。
一行
2013.09.29(断食 DAY6)#3
<午後>
愛する美佳。
父母への遺言をしたためたついで、といっては何だが、君に対しても遺言を書いておかねば、と思った。
あまり愉快な話題じゃないかもしれないね。
すまない。
でも、イザという時、きっと役立つと思う。
他でもない、断食の結果が死で終わった場合の、私の遺体の取り扱いについて。
どんな姿になって帰宅するかわからぬが、葬儀は簡素に。誰も呼ばなくていい。
棺桶なんか、どうせ燃やすものだし、ダンボール箱で構わないくらいだが、そうもいかないだろうから、一番シンプルなやつで。
葬儀屋の手を一切借りないわけにはいかないだろうが、最低限にしておいてもらいたい。
連中の「センス」ときたら、最悪だからね。
遺灰は君の好きなように。
欲張って全部取っておくのもバカバカしいから、記念に少し取っておくなり、全部その辺にばらまくなり、海へ流すなり、何でも好きにしてほしい。
私の内なる「何か」が、骨(遺灰)に宿り、残るかもしれない。
残らないかもしれない。
私は知らない。
だから、君が感じるままに、ご自由に。
私が生前好きだったどこか遠くの場所へ、わざわざ運んで散骨するなど、もちろん君がそうしたくて、経済的にも余裕があるなら好きにすればいいが、私自身は特に望んではいないことを明記しておく。
繰り返すが、無理のない範囲内で、できること、したいことを、君がすることは、もちろん一向に構わない。
それを止めているんじゃ、ない。
君の判断に基づき、自由に。
「奇跡を呼ぶ遺灰」なんて評判が立ち、君を何らかの形で助けることができたなら、私も大いに嬉しい。
もちろん、そんなことはこれっぽっちも期待してないけどね。
要は、辛く、悲しい状況をも楽しい祭りに変えてみせなさい、ということ。
そのために協力してくれる友人がいるのであれば、通夜及び葬儀への参列は、もちろん自由。
歓迎する。
メソメソクヨクヨ、途方に暮れるのはお断り。断固として。
これまでずっとそうであったように、明るく、楽しく、喜びの光に満たされて、生き生きとするのであれば、大いによろしい。
私の<死>は祝われるべきものだ。
私の<死>で、遊びなさい!!!
決して嘆いたり、暗くなったりして、<死>をおとしめてはいけない。
美しい、深い、感・動の涙は可。
感・動で思い出したので書くが、人が拍手するのは賞賛の気持ちを表わすためというよりも、むしろ感・動の表現ではあるまいかと、最近は思うようになった。
あれこれ余計な口出しはしない、と言いつつ、あれやこれやと書いてしまったね。
決して、いいかい、決して、「そうしてほしい」と君に頼んでいるわけじゃない。
何らかの理由で思い通りにゆかないことがあるかもしれない。
それで焦ったり、怒ったり、悲しんではいけない。
直感と常識を総動員し、行動してほしい。
そもそも、大阪で火葬されて君の元に届くのは遺灰のみ、なんてこともあり得るわけだからね。
仮にそうなっても、決して悲しまないでもらいたい。
私のわずかな所持品、私が過去に著した本の版権、その他、私に属するあらゆるものを、美佳、君へ譲る。
版権なんて、そんなものにいつまでもこだわり、執着してはいけないよ。
いいかい。
私のことよりも、君自身の<道>を確立することが、まずは先決だ。
その一助に、私が君に遺[のこ]すものがあるとしたら、私にとり望外の歓びだ。
美佳、1万回の「愛してる」を、君へ。
一行