さて・・・・再びドルフィン・スイムである。
『第3部 ドルフィン・スイム1』で述べたようなあわただしいドルフィン・チェイスの情景に心底うんざりし、ボートをチャーターしてみたり、「私たちはイルカに優しいドルフィン・スイムを心がけています」と謳[うた]うツアーに参加したり、人ズレしていないイルカを求め、片道数時間かけて、小笠原諸島北端の秘境ケータ島を目指したりしたが、いずれも結果は似たようなものだった。
初老の、穏やかで優しげな船長が、イルカが出現した途端、突如鬼のような表情に変わり「今だ! 急いで!!」と私たちを怒鳴りつける。
ボートに乗ってすぐ、海に落ちる危険があるから船が動いている間は舷側に腰かけないよう注意されていたにも関わらず、その腰かけるなといった場所に座って待機し(もちろん船は進行中)、合図とともに一斉に飛び込めなどと言い出す始末。
まったく相反するコマンド(指示)に、一体どっちに従えばいいのか、私も妻も混乱して右往左往するばかり。
が、だんだん要領がつかめてきて、海中にエントリーしてすぐ、イルカたちの姿を素早くとらえられるようになっていった。
相変わらずのスレ違いが続く中、1度だけ、子供を連れた3頭のイルカを後ろから「追いかけ」ながら1~2メートル潜水した際、何か特殊な空間にすっぽり入り込んだような、不思議な感覚を覚えた。
まわりの海水が、否、身体の内面が鳴っている ・ ・ ・ ・???
かすかな甘くせつない、うねるような高音に、優しく包み込むような音程が幾何学的にからむ。
イルカたちは歌で会話するのか・・・・。
わずか数十秒の出来事だった。後で確認すると、妻は残念ながら何も聴かなかったという。
ドルフィン・スイムの奥深さ、面白さを痛感した。
水中写真の被写体としても、イルカは実に難しい。
体長2メートル以上もある大きな図体なのだから簡単に写せるだろうと思ったら大間違いだ。動きが速くトリッキーで、じっくり構図を決めて、なんて悠長なことをやっている暇[いとま]は全然ない。おまけに、例によって水中カメラのライヴビュー画面が非常に見えにくいときている。
それでもエントリーのたびごとに、新たに会得したドルフィン・キックをフル発揮し、帰神撮影しまくった。
その成果を御覧あれ。
ドルフィン・スイム中にイルカたちの歌によるコミュニケーション(らしきもの)を聴いた夜、寝床につくと体の中でその歌、音が鳴っている。
『イルカ語でダウンロードされたのか、しかしイルカ語じゃあ・・・・』と思った瞬間、妙な書き方で申し分けないが、日本語のいわば「翻訳」が、イルカにそっと囁[ささや]きかけられたかのように脳裏に閃いた。
「息も渦巻いている」・・・・と。
何を意味するかも同時にわかった。
それを確かめるため小鼻の内側から奥まで指先でそっと探ってゆくと、・・・・???・・・・鼻の内面は、螺旋状になっている・・・・!!??!!??
その形に沿って息を吸ってみる・・・・と、腕や脚の内部に、ぐるぐる渦巻くような感覚が発生するではないか。息を吐く際も、渦の向きは反対になるが同様だ。
この瞬間より、私は呼吸を多層的に使い、身体運動と息を有機的にシンクロさせることができるようになった。
本作はヒーリング・アーツの具体的修法を解説することを目的として編まれたものではないので、これ以上深く踏み込んで言及することはしない。
そして「息も渦巻いている」という「教え」は、始まりにすぎなかった。次から次へと新しい叡智、術[わざ]が、小笠原巡礼から帰還した後も、私の衷[うち]より顕現するようになったのである。