Healing Discourse

ボルネオ巡礼:2009 第2回 龍宮探訪

 水中のエデン。
 セレベス海に浮かぶシパダン島がそのように呼ばれ、世界中のダイバー憧れの聖域となっている理由(わけ)を、我が身を実際にそこに置いてみて、初めて理会した。
 理解と敢えて書かずに「理会」と記すのは、頭脳にインプットされた情報(記憶)よりも、全身丸ごとでつかむ深い道理(体得・修得)を、ヒーリング・アーツでは常に重んずるからだ。

 マレー人ガイドに続いて、妻と共にボートから海に滑り込み、マスク、シュノーケル、フィンの3点セットを、まずは落ち着き払って整え直す。姿勢を整えて力の焦点を人体中心部に結び、そこに心を鎮める。
 そして、おもむろに視野を海中へと拡げようとした途端・・・・・・・、私たちの真下2メートル程の岩棚で体長1メートルあまりのナポレオンフィッシュ(メガネモチノウオ)が、ユラリと身を翻すようにポーズをとっているのが目に飛び込んできた。まるで「龍宮へようこそ!」とでも言わんばかりに、全身を使って波動的メッセージを表現している。
 メドゥーサ修法(予備練修法の1つを前回ご紹介)を錬れば、世界を満たす空間的波紋が、目を通じて全身で「感じられる」ようになってくる。宮本武蔵が「観の目」と呼んだ特殊な目の使い方だが、ヒーリング・アーツではこれを「観る」と表記して、普通の漫然とした「見る」ことと意識的な区別をつける。

 視線を別の角度に向けると、今度は鈍色(にびいろ)の円盤みたいなツバメウオが、10数頭の群でゆっくり移動していくのを見つけた。群の動き全体を視野に納めつつ、部分(個々の魚など)にいったん意識を集中させておいて、その集中感覚を手放す(オフにする)。
 たちどころに、見ることそのものが繊細に振るえ始める。すると目の前の魚群が、それ自体の意志を有する1つの波動的生命体として「観え」てくる。
 このように、通常の見ること(見の目)を観の目へとシフトさせると、見ている世界はそのままだが、見え方そのものの質が眼前で変わる。より細やかに、立体的になり、透明度が増し、くっきり鮮明になる。そして、世界を構成する微細粒子が精妙に振動しているような感覚を覚える。つまり、視覚そのものが振るえ出す。
 こうして開放された目には、粒子的生命力を満々と湛(たた)えた世界の真実が、ありのままに映るようになる。
 
 前回の修法でも、力を抜くことを使って術(わざ)をかけたが、ヒーリング・アーツは多くの場合、「すること(オン)」よりも「するのをやめること(オフ)」の方に重きを置く。それは、現在の文明が「オン」に著しく傾き、オフのアンワインド(巻き戻し)感覚が、私たちの生活の中で甚だしく欠如しているからだ。ヒーリング・アーツは、そうしたオン偏重社会のバランスを是正するべく自然発生的に現われてくる、天来の霊薬(エリクシール)といえるかもしれない。

 シパダン島の周囲は、珊瑚礁が途切れるところから一気に水深600メートルの海底へと急傾斜するドロップオフになっている。その深みの縁に沿って、潮流に委ねながらゆっくり移動していく。
 気がつくと、40〜50センチのギンガメアジの大群に取り囲まれていた。数百、いや数千頭はいるかもしれない。この海域は入域制限を設けて厳しく保護されているため、魚たちは人間をあまり怖れない。臆病なギンガメアジが、手を伸ばせば届く距離まで近寄ってくる。キラリキラリと金属的な光沢を放つ魚体に刻印された側線の細部までが見分けられた。
 群の魚たちが感じている安心感・平静感・一体感のようなものが、ヒーリング・アーツで感覚を開放すると、こちらにまで伝わってくるから不思議だ。

 ゴージャスでワイルドな龍宮ショーが、眼前で次々と繰り広げられていくかのようだった。
 小ぶりのホワイトチップシャーク(ネムリブカ)が数匹、仲良く並んで寝転がり、じっと物思いにふけっている。
 かと思うと、大きなアオウミガメが優雅にはばたくように、私たちの傍(かたわ〕らを悠然と通りすぎていった。

 時折、立ち泳ぎしながら、シュノーケルを口から外してガイドと「立ち話」する。
ガイド「あおうみがめ。グリーン・タートル」
私「マレー語でプニュ?」
ガイド「いや、プ・ニ・ュ・ゥ」

 海面から差し込む幾条もの光の束が、水中でユラユラと交錯し合い、私たちを光のトンネルの中に包み込んだ。
 何か大いなる意志の如きものを、それは決して声高(こわだか)に語りかけてくるようなものではないのだが、海と全身で触れ合っていく中で、何度か強烈に、おごそかに感じた。そのたびごとに心身を粒子状に全開し、聖なる力の流入に委ね切った。
 これが、ヒーリング・アーツ流「受け身」法の極意だ。巡礼のアートでもある。

 川の流れのようなバラクーダ(オニカマス)の群が、グルグル渦巻き状に回転し始める圧巻のシーンとも遭遇した。
ガイド「You are lucky! いつでもお目にかかれるもんじゃないんだぜ」
私「グンビーラ・ブトゥル(楽し)!」

 チョウチョウウオたちの華やかなレヴュー、ウミガメの背中でヒッチハイクするちゃっかり者のコバンザメ、クリーニングフィッシュの全身マッサージにご満悦の大きなハタ、珊瑚の陰から顔をのぞかせるシャイなウツボなどなど、これまでいろいろな海を潜ってきたが、1回のダイブでこれほど多くの海中生物と巡り合ったのは初めてだ。ここを訪れたダイバーたちが、「シパダンこそ世界最高のダイブスポットの1つ」とこぞって絶賛するのもうなずける。

 すぐ目の前に、水深600メートルの深淵がぽっかりと青い口を開けている。
 水面をただ横に移動するばかりでは、シュノーケリングの醍醐味の一部を知ったことにしかならない。息を整え、心身を統一し、真っ逆さまに身を立てて深みを目指す。
 ここの海の「質感」は特別にソフトで滑らかだ。これまで感じたことがないほどの自然さ滑らかさで、スッと深く潜行できる。あまり息苦しさを感じないから、どこまでも潜っていってしまいそうになる(もちろん、帰りのことを考えなければ、いくら深く潜ってもいいわけだが)。
 水深20メートル前後を移動していくスクーバ・ダイバーたちの周りを泳ぎ回っても、まだまだ余裕綽々だった。20メートルといえば、6、7階建てのビルの高さだ。

 この度の巡礼のように、周囲の環境がガラリと変わり続けるような状況では、心身調律の術(わざ)としてのヒーリング・アーツのありがたさ、凄さを改めて実感することが多かった。
 午前4時に跳ね起き、飛行機、バス、ボートを次々と乗り継いで半日以上かけて移動。・・・そんな強行軍が重なると、知らず知らずの内に疲れが溜まってきて、体の重さを感じ始める(普段私は、自分の「重さ」をほとんど感じない)。
 だが、体の奥底に沈殿した疲れをいやす方法が、ヒーリング・アーツにはたくさんある。今回の巡礼では、実験として、携行可能な電子ツールを使う「熱鍼法(ねっしんほう)」を重点的に行ない、その効果をしっかり確かめた。
 脚が棒のようになっても、腰や背中が堅くなっても、妻と交替で熱鍼法を施術し合えば、・・・・・潮が引くように、たちどころに重苦しさがスーッと薄れていくのが、ハッキリわかった。特に、毎晩眠る前には、必ず熱鍼法による心身のチューニングを心がけた。それにより疲労はスッカリ一掃され、翌朝は意気揚々とした新元気に満たされて目覚めることができた。

 話をセレベス海に戻そう。 
 やがて、一々海面から頭を突き出して言葉を交わさずとも、水中でガイドとちらっと目が合うだけで、お互いの考えや気持ちが通じ合うようになり始めた。ほとんど同時に、同じものを見つけ、相手に伝え合おうとするのが面白かった。
ガイド《おい、観たかい今の?》
私《観た、観た》
ガイド《どうだい、すごいもんだろ?》
私《ヘバッ・ブトゥル(素晴らしい!)》

 比較的浅い場所で、カンムリブダイの群とも出会った。これは体長1メートルくらいの大型のベラの仲間だが、鎧兜(よろいかぶと)で全身を覆っているようないかめしい格好をしている。が、性質は至って大人しい。オウムのくちばしみたいな獰猛そうな歯は、珊瑚をバリバリかみ砕いて食べるために使われる。

 神々の特別な恵みを受けていると感じられるような場所が、この地球上には確かにある。シパダンも、まごうことなきそうした聖地の1つだ。
 ここでは、私たち人間はいささか騒々しい闖入者(ちんにゅうしゃ〕ではあるけれども、対等な存在として海の住人たちに受け容れられ、迎えられる。だから、魚やウミガメと一瞬心が響き合うような不思議な感じを、多くの人が抱く。
 前述したように、シパダン島には入域制限があるため、希望しても毎日訪れるというわけにはいかないそうだ。が、私たち2人だけは、なぜか連日許可が下り、シパダン行きのスピードボートに乗船することができた。宿泊したリゾートホテルのスタッフたちが目を丸くして驚き、口々に「You are lucky!」を連発していたから、しばしばあることではないらしい。

シパダン島からボートで20分、マブール島の浜辺にて。

<2009.07.08 温風至(おんぷういたる)>

※2011年度シパダン巡礼の帰神フォトはこちら→ヒーリング・フォトグラフ『ボルネオ巡礼:2011