2009年春、新たなスピリチュアル・ワークに着手した。ヒーリング・ネットワークというヴィジョンを掲げ、時空を超えるいやしの絆を、道縁ある人々と共に編み上げていこうとするものだ。その「前触れ(前兆)」を探る旅として、妻の美佳と共にボルネオ巡礼に赴(おもむ)いた。
ボルネオ島は、センス・オブ・ワンダーに充ち満ちている。1億年以上を経た原始の熱帯雨林、そこに棲息する多様な動植物、聖なる神山(しんざん)、海の生き物たちが乱舞するアンダーワールド。そして、先住民の彩り鮮やかな精神世界。
ここは、地球の重要なエネルギー・センターの1つだ。
その地に実際に立って感覚を開放してみれば、天空の高大さにまず目を瞠(みは)るだろう。
雲が日本で見るよりも、遥かに高く、遠い。その相(かたち)も、複雑かつ多層的だ。
こういう大きな空と同調すれば、人間としての器が豁然(かつぜん)と一気に開かれる。心の乱れが吹き払われ、気にかかっていたことが、ちっぽけな、どうでもいい些事に思えてくるから面白い。
ジタバタしても仕方ない、流れに丸ごと任せてしまえ、結局のところなるようにしかならんのだ、・・・そういうふてぶてしさ、図太さを養うには、大空一杯に心身を委ねる練修が一番だ。
私たちが訪れたマレーシア領ボルネオのサバ州では、ドゥスン族を始めとする先住民たち、マレー人、中国人、インド人、フィリピン人などの多彩な民族が、平和を保ちつつ共存していた。人々は皆、優しく穏やかで、とても親切だ。観光客をカモにしてやろうと近づいてくる輩(やから)と、今回の旅ではついに1度も出くわさなかった。かつて私が愛した古き良きマレーシアが、ここサバ州には奇跡のように残されている。
本編では、ボルネオ巡礼の断片的シーンを織り交ぜつつ、ヒーリング・アーツに初めて接する方々のために、その概略や背景を簡潔に説明するブリーフィングを行なっていく。同時に、ディスコース各論を深く読み解いていくことを助けるいくつかの入門修法も伝授しよう。
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単なる健康法ではない、深い精神性を兼ね備えた新しい心身修養法を、私は提唱している。それが、ヒーリング・アーツだ。
「修養」という言葉が、人々の普段の生活の中で意識されなくなって随分時間が経ったような気がする。が、先人たちと同様、今を生きる私たちにとっても、修養は人生の主要テーマの1つであることに変わりはない。
おそらく多くの人は、それがかつて修養と呼ばれたものとは気づかぬまま、悠然として物おじしない態度を錬り、あるいは人生そのものを芸術として楽しむ感性を開くための実際的方法を、学び、身につけたいと切望しているのではなかろうか?
修養とは、人としての本来あるべき姿(心身の姿勢)を、各自が啓発的に探求していくプロセスだ。それは、ある既成概念の枠組内に自らの言動を押し込めようとしたり、頭であれこれ考えた末の結論にいつまでも固執し続けることではない。
自分自身と誠実に向き合い、自分自身を知的にではなく実存的に「理会」していくこと。それが、あらゆる修養の道を一貫して流れる根本通則だ。
ヒーリング・アーツの道を歩む者は、言行一致を尊ぶ。言葉(精神)と身体とが、常に一体一如である状態を志す。
とはいえ、ヒーリング・アーツはあなたの行動や考え方に対して余計な口を一切差し挟まない。ヒーリング・アーツはただ、心と体を合わせて統(す)べる術(わざ)を、あなた方に指し示す。
心身が少しずつ統一し始めると、言行も期せずして合致するようになる。ヒーリング・アーツにおける言行一致とは、力ある言葉、心ある行ないのことだ。
言葉と行ないが、徐々に融け合い、1つとなる。それに従い、猛烈な意志の力が発動し始める。肉体的な力も、より強く、鋭くなる。心の中に囚われていたものが軽やかに解き放たれ、精神が明晰となる。腹の奥底から沸々と「愉悦の情」が湧いてきて、元気が横溢する。
こういう状態を、私は<ヒーリング>と呼ぶ。ヒーリング・アーツとは、真健康のエクスタシーを粒子レベルで心と体に引き起こす術(わざ)だ。元気、活気、精気、素晴らしい気持ちよさを、瞬時に弾けさせ、響き合わせるアート(術)だ。
You are lucky! ・・・・・・・、今回のボルネオ巡礼中、1週間強の短い旅程ではあったが、いろいろな人からこの言葉を、少なくとも10回以上は浴びせかけられた。実際、様々な幸運やグッドニューズが、巡礼の旅路の始めから終わりまでを賑やかに彩り、鮮やかに荘厳(しょうごん)した。
祝福されている。恵まれている。・・・幾度となく、そのように強く感じた。と同時に、感謝の念に満たされ、魂が精細に振るえた。
さて、修法だ。
これを実践すれば、目の疲れがいやされ、目が浄化され、あらゆる判断を的確に下すために必要な曇りなき目が養われていく。フォーミュラ(実践プロトコル)は以下の通り。
目を閉じて、まぶたの上から眼球を人差し指、中指、親指で柔らかくつまむ。そっと軽く眼球を圧縮するように(眼球はフレキシブルに変形するものだ)。そして、眼球の内部空間に圧縮を放つようにしながら、指の力をゆっくり柔らかく眼球内へと抜いていく。
このようにすれば、眼球そのものに非常に細かいヴァイブレーションを引き起こすことができる。
その振るえを眼球自体で感じとっていこうとするうちに、目(目玉)の本当の位置や角度(向き)が判然としてくる。目の中に初めて意識が入った、という人もいらっしゃるだろう。眼球の「形」を、指で「触覚的に」正確に感じることが、コツだ。
指から眼球の中へと、エネルギーの如きものが注ぎ込まれるような感じをありありと覚えるかもしれない。それは錯覚にすぎないが、最初の一歩としては悪くない。
始めは、ほんの少しだけ力を使う。熟達につれ、どんどん力を手放していく。
やがて、眼球とつながる視神経もヴァイブレートし始める。
こういう細やかに振るえる目を養えば、「見ること」そのものを精緻な微細粒子の単位に分解することが可能となる。すると、見ることそれ自体が、活気を帯びて振るえ始める。「観の目」だ。
これは、『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』でご紹介した<メドゥーサ修法>に属する一手だ。心身の可能性(変容の度合い)を積極的に拡げるための、ヒーリング・アーツ独自の受け身練修法にもなっている。
ヒーリング・エクササイズ(肥田式強健術)・突撃の型。マレーシア・マブール島の水上コテージにて。
<2009.07.07 小暑・七夕>
※2010年度の第2回ボルネオ巡礼に関する記事はこちら→『ヒーリング随感2』第18~22回
※2011年度の第3回ボルネオ巡礼に関する記事はこちら→『ヒーリング随感3 第6回』/ヒーリング・フォトグラフ『ボルネオ巡礼:2011』