Healing Discourse

ボルネオ巡礼:2009 第5回 クリアス川湿原にて

 ざわざわっと梢(こずえ)が大きく揺れ動き、葉群(はむれ)の重なりの奥で、茶色の陰がジャンプした。
「バンカタン!」 ガイドが叫ぶ。

 コタキナバルから北東に車で約1時間半。自然保護区域に指定されているクリアス川湿原。
 マングローヴ林の間を蛇行するクリアス川をボートで遡上(そじょう)し、ボルネオ固有種の珍獣テングザル(マレー語でバンカタン)の姿を、あわよくば一目拝もうと出かけてきたのだ。

クリアス河畔のマングローヴ林。マングローヴとは、川と海の境界に生える植物の総称。

 木の上で暮らすテングザルは非常に用心深く、野生個体への接近は難しいとされている。
 しかし、私たちの前に姿を現わしたグループは、川べりの見通しが良い木をステージに選び、堂々とした大きなオスを中心とする十数頭のメンバー全員を、たっぷり時間をかけてお披露目してくれた。
 静かにボートを寄せ、舳先(へさき)に立って双眼鏡を覗く。1頭1頭の表情や動作まで、手に取るように細かく観察できた。
 オスの鼻は、なるほど天狗みたいに太くて大きい。オスの白いパンツみたいな模様は一体何のためだろう? メスは鼻も体もオスより小ぶりで、赤ん坊がしっかりしがみついている母猿もいた。少し大きくなった小猿たちは、お互いにちょっかいを出し合ったり、枝葉の小さな茂みを探検したりと大忙しだ。

群の中央に座を占め、油断なく周囲に気を配るオスのテングザル。

 やがて夕日があたりをオレンジ色に染める頃になると、サルたちの動きはだんだん静まっていった。どうやら、今夜はここで一夜を明かすらしい。おやすみ前の一家団欒(いっかんだんらん)の一時を、私たちは共に過ごしたというわけだ。
「こんなに大きな群をこんな間近で見られるなんて、You are lucky!」
「福の神に憑(つ)かれてるらしくてね。毎日、いろんな人にそう言われる」

 帰りがけ、次第に黒さを増していく川面(かわも)に、大きなワニの頭がぽっかり浮かんでいるのとも出会った。ガイドによれば、これもかなりLuckyなのだそうである。頭上を、カラスほどの大きさのオオコウモリが1頭飛んでいく。
 あたりが夕闇の底に沈んでいくと、川岸のブルンバン樹がクリスマスツリーのように光り出した。ジャングル・リバークルーズのフィナーレを飾る蛍のショーだ。
 頭上には満天の星。地にはシンクロしながらチカチカ瞬(またた)く無数の蛍。子供のようにシンプルな驚き感覚(センス・オブ・ワンダー)に満たされる、心地よい充足感。
 
 ガイドやボートの船長が、木の間(このま)で見え隠れする小さな野生動物の姿を素早くキャッチする目の鋭さには、いつもながら感心させられた。
 自然に詳しい専門家たち——猟師、ネイチャーガイド、動物捕獲業者など——と一緒に森や山の中を歩き回った経験がある人なら、私が述べていることを直ちにわかってくださると思う。
 ハンターや武術家が使う、独特の観方(目付け法)がある。「対象を見つめず、それを通して観る」のだ。つまり、視点を突き通して視線を粒子的に拡張させる。
 すぐれた医師や療術家も、まったく同じ観法を用いて、他者の身体に自らの視線を透射している。3次元空間内のある位置を占める立体として、人体を把握せんがためだ。
 自然観察でもこの眼法を使えば、目が都会用からジャングル用モードへと短時間で切り替わる。そして、密林の風景に紛れ込む生き物たちの姿を、高速で移動しながら素早く探知できるようになってくる。

 メドゥーサ修法の第3レベルでは、上述のような「透(とお)る」視線を取り扱う。視線の透過とはいかなるものか、その一端を実存的に知りたいと思ったら、自分の手を見つめることから始めて、視線を徐々に手の向こう側へと延長したり、あるいは手前側へ短縮することを繰り返すといい。
 ここまでご紹介してきた修法を熱心に実験・実践してこられた方なら、それほど困難を覚えることなく、視線の通過感覚を手の内部で感じられるようになるだろう。
 そうしたら、今度はレット・オフを使って視線を運用していく。それが「できる」ようになれば、目で人を動かすことも可能となる。

 修法だ。
 メドゥーサ修法のレベル2からレベル3へと移行しようとする際の、予備練修法となる一手を伝授する。ちなみにメドゥーサ修法の第2レベルとは、レベル1と3の間を橋渡しするものであり、動的なワークを主体とした各種メソッドから成り立っている。前回ご紹介した修法も、レベル2に属するものだ(2とか3とか、単なる便宜上の分類に過ぎない。そういう細部にこだわり過ぎてはいけない)。

 第1回から行なってきた「目を振るわせる」法に、意識の新しい次元を拓いていく。
 そのためには、まず片目で修法を行ない、目から体の中へと、繊細な振るえが反射的に流れ込んでくるのを意識する。次に反対側の目でも、同様にしてじっくり意識していく。
 ここでは「(指で眼球の)形を感じる」という要訣について、改めて読者諸氏の注意を喚起しておこう。
 人指し指、中指、親指で眼球をホールドした際(目を開けたままでも行なえる)、初心者の多くは、人指し指と中指に意識が偏って集まり、親指側がおろそかとなってしまいがちだ。これを改めるため、特に親指をしっかり感じてみる。また、その親指先と触れ合っている下まぶた(及び眼窩部)の感触にも注意を向ける。
 このようにしてあれこれ工夫するうち、3つの指先の感覚が次第にバランスよくまとまってきて、3指でぴたりとつまんでいる眼球の曲面感覚も判然とし始める。
 曲面の一番盛り上がった部分は、眼球と触れ合っている指先よりも手前側(手から見て)にあるはずだ(なぜこんな奇妙な書き方をするのか、実際にやってみればすぐわかるだろう)。
 粒子の連続として線を感じ、線の連続として面を感じ、面の連続として立体を感じる。・・・以上が、「形を感じる」ためのヒーリング要訣だ。
 このようにして、左右の目で交互に何度か行ない、充分その感覚を掴んだなら、今度は両目同時に術(わざ)を修する。そして、左右の目に起こっている「流れ(実際には波紋)」を、左右それぞれ同時進行で感じようとする。
 左右の流れを、鏡を映し合うかのように、均等に意識し合う。これが、相反する要素(ファクター)を錬金術的に融和するための秘鍵(ひけん)となる。

 かくして、両目の中間に内なる視線の焦点が生じ、いわゆる「第3の目」の種子が芽吹く。物事の本質を見抜く「シヴァの目」が、ゆっくりとまどろみから目覚め始める。
 あまりにも急激に第3の目を覚醒させた場合、シヴァの破壊的な力が一気に解き放たれ、心身に危険が及ぶという説がある。確かに、そういうこともあり得るだろう。だから、ここから先へとさらに足を踏み入れていこうとする、並々ならぬ好奇心と勇気とを兼ね備えた人々は、細心の注意を払って用心深く進んでいくことだ。「全身のトータルなバランス」を心がければ、それは常に最高の安全装置として機能する。
 先達(せんだつ)のガイドを得られるなら、それに越したことはない。心身修養の豊かな経験を有し、あなたを喜んで助ける用意のある人。そして、あなたが心から信頼できると感じられる人。相性が合う人。そんないやしのアーティストを、たとえ時間がかかっても探し求め、礼節をもって導きを請うなら・・・・起こり得る危険を最小限に留め、自己実現の可能性を最大限にまで拡張することができる。

 あなたが熟練したナチュラリストでもないかぎり、独力でいきなり密林に分け入っていっても、たぶん小動物の姿一つ見かけることはないだろう。下手をすれば遭難のおそれさえある。
 だが、その場所を知り尽くしているガイドと一緒に歩めばどうか? 
 あなたは、薬用植物の知識やジャングルでのサバイバル法といった、シャーマン・戦士の知恵を教わりつつ、木の葉と同化する昆虫や、物陰でじっと息を潜める動物など、驚くべき多種多様な生き物たちと出会っていくことができるはずだ。

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 ボルネオの旅によって触発された私の裡なるヒーリング風景を、短いカット映像を重ねるようにして綴ってきた。
 私が言う「ヒーリング」とはいかなるものか、その一端なりと感じ取っていただけたとしたら望外の喜びだ。
 私が語っているのは、これまで一般にはほとんど知られてこなかった特殊な心身の感覚や意識状態を探求する「達人の科学」だ。読者諸氏がそれを体験的に知りたいと願うのであれば、ヒーリング・フォーミュラという神授の羅針盤を活用し、あなた方自身の裡なる感覚へと全神経を注いでいかねばならない。
 そういう全心身的でトータルな関わり方を通じてのみ、あなたは<ヒーリング>と超時空で出会い、一体化することができる。

<ボルネオ巡礼:2009・終 2009.07.18 鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす)>

付記:2010年度のボルネオ巡礼第2弾に関する報告は、『ヒーリング随感2』第18~22回にて。

※2011年度の第3回ボルネオ巡礼に関する記事はこちら→『ヒーリング随感3 第6回』/ヒーリング・フォトグラフ『ボルネオ巡礼:2011