西表巡礼から帰還して約3ヶ月・・・。顧みて、わずかそれだけの時間が経過したのみとは、ほとんど信じられないくらいだ。その間、本当にいろいろなことがあった。世界がすっかり様変わりしたかのように感じる。否(いな)、変わったのは世界ではない。私自身が変わったのだ。
西表島巡礼へと旅立つ数週間前から、妙に先祖の墓が気になり始めた。父方の墓所はわが家から徒歩5分程度、母方のそれはタクシーで1時間弱の場所にある。が、そこに行ったことが過去30年の間に、1度もない。
墓とか仏壇に向かい、先祖(死者)に祈るという感覚が、私にはよくわからない。老いた父母への孝行として、時折仏壇に向かい祈って見せることはあるが。
先祖供養をすると何か良いことが起こる、または怠るとバチが当たって不幸になる、そういう動機から行動することが、私にはひどく重苦しく感じられる。あまりに重くて苦しい。だから、実行に移すことができない。
子孫である私が最大限に輝き、活き活きと日々を暮すことこそ、先祖に対する最大の供養ではなかろうか? そうした信念の元、私はこれまでの人生を意識的に送ってきた。バチなど1度もあたらなかったし、それどころか想像もできないような幸運に恵まれ続けてきた。
ところが先に記したように、突然、墓地が強い力で私を呼んでいるように感じ始めた。「墓」というよりは、むしろ「墓地(場所)」が、だ。西表巡礼を経て、その感覚はますます強まっていった。
そこでまずは、盆の時期に合わせて母方の祖先の墓所に、妻と一緒に詣でることにした。行き方を母に尋ねたが、実家との交流が絶えて久しいためよくわからないという。母の実家近くにあることは確かなので、まずはそちらを目指すことにした。
タクシーから降り立つと、そこは不思議の国だった。
現実の光景と夢と過去の記憶とが奇妙な具合に融合し、これまで夢の中で何度も味わったことがある、「あの」独特の感覚を伴いつつ揺らめいている。
目覚めている時にこの感覚を体験したことは、これまで1度もなかった。それを想起することさえできなかった。憧れ・喜びと禁止・抑圧・否定とが入り交じり、せめぎ合っているような、不可思議で、どちらかといえば不快な感覚。それが、今初めて、十全に覚醒している真っ最中に起こっている。
私を呼んでいたのは墓地ではなく、この場所であることが直ちにわかった。
とても奇妙だ。
そこは広島市内にある何の変哲もない裏寂れた町の一角なのだが、じっと観ていると、それが20代後半の数年間、ほとんど毎日のように目にしていた柿生駅(川崎市)周辺の光景とも重なってくる。
規模はまったく違うが、道路の角度とか坂の傾斜具合といった共通要素によって、相異なる世界像が私の記憶システムの中で結び合わされ、神秘的な融合を遂げているらしい。かつて、私の夢に特殊な感覚を伴って何度も現われた光景は、「これ」だったのだ。
今自分がどこにいるのかわからなくなるような擾乱(じょうらん)の感覚に、ふと呑み込まれそうになる。
人が「狂う」時には、この感覚を通過していくものらしい。こういう状態があまりにも長く続き過ぎたり、あるいは強烈過ぎたりすると、人はその中でバラバラに引き裂かれ、いくつもの断片となってしまう。
ところが、この超越的意識の世界を主たる活動の場とする人々も存在する。シャーマンやヒーラーたちは、ここを頻繁に訪れて「力」を集める。ヒーリング・アーツの各種修法も、この領域に起源を持っている。
この少し先に、母の実家があるはずだ。そこを最後に訪れてから、30年以上の歳月が流れている。母方の親戚ともずっと会ってない。諸般の事情から、彼女/彼らを無視し、その存在を思い起こすことさえほとんどなかった(父方の親戚についても同様だ)。
ところが、今こうして母の実家へと至る道を歩んでいくうちに、これまでまったく忘れ去っていた、否、抑圧していた記憶が、次々と浮かび上がってきた。
まず最初に思い出したのが、母の弟や甥は海に潜って貝や魚を採るのが大好きだったということだ。
私は西表島で、毎日のように魚をモリで突いたりサザエやシャコガイ、ウニなどを採ったりして、数週間の豪華な自炊生活を送ったことがある。
この時、海のそばで海と共に暮してきた人々の血が、自分の体の中に確かに流れていることを実感した。が、それを母方の祖先から受け継いだものかもしれないと考えたことが、これまで1度もなかった。そういえば、母の旧姓は「濱村」というのだった。
母の一家は第二次大戦前、朝鮮の京城に移り住んだ。祖父は新天地で新たな事業を興し、ある程度の成功を収めたらしい。その子供(母の兄弟)たちも、既成の道を歩むことに飽き足りない進取の気性を受け継いだようだ。
叔父の1人は広島県内のある有力な寺の跡取りになることが決まっていたが、修業中、その寺の高僧が何かと無理難題を吹っかけてくるのに耐えかね、ある日ついに相手を殴って寺を飛び出したという。
これらは子供の頃に母から聴かされた断片的な話だが、今になって思えば、私自身のエピソードといっても通りそうなことばかりだ。
私の裡の奥底にあって、私を知らず知らずのうちに特定の行動へと駆り立てる何らかの流れ。それは遺伝子に刻まれたコマンドなのか、あるいはユングのいわゆる集合的無意識に属するものなのか、今はまだよくわからないが、そういう内的動因の実在が生理的実感として感じられ始めた。
と同時に、私はこれまで体験したことがないような、新たなヒーリング感覚を味わっていた。
気づいてみれば当たり前のことだが、親戚を無視・軽視することは、彼女/彼らと共有している自分自身の内なる流動を軽んじ、抑圧することにほかならない。その事実があらわとなった時、自らの裡にある・・より正確に言えば自分が属する・・・祖先からの流れに対して、あらがい、否定し、抑圧することによって生じたブロック(葛藤)がほどけていき、内的再統合が自然に起こり始めたのだ。
ことの次第がようやく呑み込めてきた。
抑圧と夢の関係については、知識としては知っていた。が、それを内的流動感覚(流身)の統合として、これほど生々しい形で鮮明に体験したことはなかった。
無意識の構造や働き方に、「流れ」という新しい視点がクロスオーバーされた途端、これまで単なる断片的知識でしかなかったものがにわかに活性化し、それぞれが収まるべきところに納まって意味ある形をなすべく、一斉に激しく動き出したように感じられた。
血筋を無視することによって、何かぬらぬらする得体の知れないモノが身の裡に詰まっているような、そんな重苦しさの感覚が生じる。それは実は、血の巡りが抑圧されている状態なのだ。自らの身体内を循環する「血」を否定し、目を背け続けていると、そうなる。
この感覚は私の場合、子供の頃に見た母の実家周辺の風景と結びつき、夢の中に繰り返し顕われることによって、私の注意を喚起しようとしていたのだと、今になってみれば明瞭に理会できる。それは母の実家への道筋、つまり、母方の血のすじ道(流れ)と意味的に重なり合うものなのだろう。
ところで前述したように、2つのまったく異なる場所が、私にとっては本質的に同じものと感じられたのだが、抑圧を解放するための鍵となるような光景を、青年期の私は無意識のうちに住環境として選んでいたのだろうか? だが、そこに住むことを決めた時点で、私はまだその駅周辺の風景を見てさえいなかった。
これは単なる偶然なのか、それとも何か超越的な力が働いた結果なのか・・・私にはわからない。
時に黒いこともある様々な色合いのジョークを、誰かが楽しんでいるのではないかという気持ちにさせられることが、この<道>を歩んでいるとしばしばある。
私は瞑想やマインド/ボディ・トレーニング等を通じて、30代半ば頃から裡なる超越的世界と意識的にアクセスすることが可能となり、そこを旅することによって得た叡知を、心身修養の術(わざ)という形で持ち帰るようになった。そうした過程で、死ぬか狂うかという極限状態も数え切れないほど経験してきている。
この叡知の源流を、「祖霊」という言葉と結びつけて考えたことがこれまで1度もなかったのは、今思えばむしろ不思議なくらいだ。
宇宙の始まりから、かつて地球上に生きたありとあらゆる生命の総合的流動(プロセス)を経て、今この瞬間に至るまで、流れがどこで途切れても、私が現在ここにこうして「在る」ことは不可能だったはずだ。宇宙の根源にまでつながる私自身の裡なる流れ、それは自然淘汰を生き延びてきた驚くべき強靱な生命力そのものにほかならない。・・・この程度の体験的理会には、私は20歳を少し過ぎた頃にはすでに至っていた。
しかし、それ以来今日に至るまで、「祖(はじまり)」という文字が過去に属するものという無意識的思い込みに、私はずっと囚われ続けていた。
20年以上の心身修養を経て私の前に拓かれた超越的領域は、過去と未来、原因と結果といった二元性を越える世界だった(ゆえに私は「超越的」という言葉を使っている)。
そこには過去もなく未来もない。過去と未来は、そこから産み出される。人はそこから来て、そこへ還っていく。
この、過去も未来も超越して過去と未来の源となる本源的エッセンス(スピリット)こそ、「祖(おおもと)の霊(根源)」にほかならなかったのだ!
至誠を捧げて超越的な祖霊の世界と響き合い、秘められし叡知を学ぶ。そうやって会得した術(叡知)を、縁(えにし)ある人々と分かち合い、いやしの絆(ネットワーク)を拡げていく・・・。私がこれまでの半生をかけ情熱を傾けてきたことは、一種の「先祖供養」でもあったのだ。
西表島巡礼がなかったら、そして先祖の墓所を訪れることがなかったなら、私はこうしたトータルな理会に一生到達できなかったかもしれない。
何者かによって常に善き方向へと導かれ続けている・・・、そんな迷信的信念をつい抱いてしまいそうになるほど、不可思議な出来事が私の周辺及び内面では日常的に起こりつつある。
さて、これまで述べてきたのは、私の個人的な体験であり理会に過ぎない。だが、こういうことが起こり得るとしたら、同様の、だが規模としては比較にならないほど巨大な葛藤に、日本人全員が引き裂かれている可能性はないだろうか?
かつて日本は軍国主義の元、他国に不法に攻め入り、その地の人々を圧迫し、苦しめ、虐殺した。私たちの大半がそういう風に思い込んでいる。あるいは思い込まされている。
普段意識の上にのぼらずとも、先人に対する侮蔑や軽視の念を抱き、日本人であることそれ自体を心の底で後ろめたく申し訳なく感じている限り、私たちは常に断片的で、抑え込まれたままでいるしかない。
私たち日本人の多くが、弾けるような活気と希望を失っているのは、自らの拠って立つ基盤そのものを自ら否定し、無意識のうちに恥じていることが最大の原因とはいえないだろうか?
過去の真実を知ることも、もちろん大切だ。しかし、それだけでは民族レベルのヒーリング(再生と復活)は決して起こらないだろう。
現在、多くの日本人が髪を茶色に染めたり、異常なまでに白い肌に執着するようになっているのは、「白人種になりたい」という無意識的変身願望の現われにほかあるまい。
私は観念論を弄ぶのは好まないが、ちょっと試しにやってみた。
自分が住む社会が、心の底から真に誇りに思えるような世界で、その社会の一員として意義ある仕事をし、社会をより善くすることに貢献しつつある・・・。そういう状況をできるだけリアルにイメージしてみたのだ。
意外なことに、それは途方もなく気持ちがよかった! 心がものすごく広く、軽やかになった(私の言葉に真剣に耳を傾ける気があるなら、あなたも是非試してみることを勧める)。
この民族・社会レベルのヒーリングという問題については、真剣に検証していく必要がありそうだ。
・・・・・・・このような一連の理会が、タクシーを降りた場所から母の実家へと至るわずか数分間の歩みの中で、多層的・同時的に展開されていった。
理会したというよりは、新たな課題が山のように積み上げられた、という方が適切かもしれない。ちなみに私は、「理会」という言葉を、身体の生理的実感に基づいて体験的に知る心身一如の智のあり方に対して使っている。
その夜から、これまでの流れを引き継ぎつつも従来とは術の次元(レベル)そのものが異なる、新たな修法が続々と顕われ出始めた。
最初に示現したのは、皮膚の流身を導き、身体運動の質的変革をもたらす術(わざ)だ。
これを行なうと、動きの質が瞬間的に切り替わる。身体運動というものが、「外的空間を破り裂く」ことから、「身体内流動に身を任せる」ことへと、本質的に変容を遂げる。
これは皮膚のヒーリング・ストレッチの発展型であり、経絡(けいらく)を禊祓う術(わざ)といえる。
ほとんどの人は、体表面に仮定した経絡の線をマインド主導でなぞってみても、これといった変化を特に感じないだろう。だが、この修法で運動感覚がシフトした途端、経絡というものが俄然実感と意味を帯び始める。
例えば、腕を曲げる・伸ばすという動きは、腕の内側、外側を走る「心身一如で意識される方向性を持つ線」としてエッセンス化できる。このように人間のあらゆる動作は、運動の単位とでも呼ぶべき体表面上の流動的ラインへと還元されるが、それが東洋医学で経絡と呼ばれてきたものとほぼ合致するのである。これは東洋医学研究家・平田内蔵吉(くらきち:1901〜1945)の理論を元に、独自の実践と検証を経て私が到達した(再)発見と理会だ。
だがしかし、このことが真に実感できるのは、身体運動が内向して流動的となり、指1本を動かすのにも自然に全身各部があますところなくトータルに参与するようになった時のみだ。流れざる経絡は、単なる概念にすぎない。運動感覚が流れていないのに、経絡を感じるなどあり得ない。流れない身体を元に経絡を論じるのは無意味だ。
身体各部の皮膚に働きかけることにより、身体のいかなる動きをも内向させていくことができる。内向とは要するに、運動エネルギーが体外に散逸しない最も効率的な動きが可能となる、ということだ。呼吸法にまで応用できることを、私はすでに確かめた。
驚くべきことに私たちの大半は、運動の基本単位である経絡の流れが分断され、絡み合い、混線した状態に陥っており、しかもその事実に気づくことすらない。それが私の言う仮想身体だ。
しかし、経絡をヒーリング・ストレッチすれば、まるで蛇が使い古した皮をスルリと脱ぎ捨てて成長するように、身体本来の自然なあり方、動き方を取り戻していくことができる。自分自身にも他者にも行なえる。
この修法には、身体の粒子感覚がより細やかになるという効果も付随してくる。より立体的に精密に、身体を感じ、動くことができるようになる。感覚の粒子的単位がどんどん小さくなる結果、より繊細で奥深い術(わざ)を感じ取り、身につけることも可能となる。
こうして書いていて、今ふと思ったのだが、学ぶ能力のレベルそのものをアップさせる術だなんて、20数年前の、真理を求めて暗闇の中をさ迷っていた頃の私が聴いたら、どんなにか歓び感激し、切望・熱望したことだろう。
素晴らしい可能性を秘めたこの新修法を何と呼ぶべきか、妻と一緒に考えていたら、「すでり」という言葉がぽつりと彼女の口から出てきた。
西表島の豊年祭に顕われるニイルピトゥは、「すでる」カミとされている。すでるとは八重山地方の言葉で、蛇や蟹が脱皮して新たに生まれ変わることを意味する。「すでり修法」・・・西表島巡礼を契機として示現した術にふさわしい名称ではないか。
身体のあり方が変わると、その人間のあり方・・生きる姿勢、価値観、倫理/道徳観、思考/発想法、人/社会との関わり方・・が根本から変わる。すでり修法とは、生(いのち)のすじ道(経絡)を浄化し、心身を再生させる術(わざ)だ。
すでり修法を簡潔に説明しておく。
片手の前腕、その皮膚に、もう一方の手で柔らかくヒーリング・タッチする。決して押さえつけないように。そして、そのヒーリング・タッチした手で、前腕の皮膚全体をそっと肘の方に少しだけ引っ張ってみる。あたかも極薄のゴム手袋(皮膚とはそういうものだ)を引っ張るかのように。腕の形は単純な円筒形「ではない」ことに注意。手首のところだって、非常に複雑な凹凸がある。指もまた然り。
ごく軽く引っ張り、フワッと緩め、また引っ張り・・・と何度か繰り返してゆくうちに、手首や手、指の皮膚までが引っ張られるのが実感できるようになる。引っ張られている側の指をゆらゆら動かして、流れを通じさせようとするのも良い。
こうして、ゴム手袋をそっと引き伸ばすような感覚が出てきたら、その状態を保ったまま静かにレット・オフ(静中求動)。
前腕から手指へ至る皮膚の全面に、細やかなたまふりが起こる。
すでり修法に続き、(私にとっては)未知の新原理に基づく整体術が示現し始めた。
これは左右の耳の奥にある三半規管そのものの意識を覚醒させ、統合(クロスオーバー)することを根本原理としているが、それによりあらゆる姿勢、あらゆる動きにおける骨格のバランスがその場で直ちに変化し始める。
骨そのものには一切タッチしない。その必要もまったくない。骨を自分で(作為的に)動かそうとすることも無用だ(むしろ自然的調整を妨げる)。ゆえに骨格矯正の専門知識・技術が皆無の私のような者でも行なうことができる。そして、私の個人的実感によれば、他者の手で外部から施されるいかなる矯正術も、三半規管の覚醒によって身体内部で自然発生的に起こる変化に比べれば、その精妙さ、複雑さ、全体的バランスの配慮、過不足のなさ、効果の大きさと深さなど、すべての面において・・・はるかに及ばない。
具体的方法を解説しよう。
両方の耳の穴に人差し指を差し込む。この際、耳孔の向きに指を添わせることが大切なのだが、多くの人は耳の穴とは頭の真横を向いているものと仮想している。これについて真実を確認するためには、耳の穴に綿棒を差し込み、鏡で確かめてみたらいい。真横、ではなく、斜め前になっているはずだ。
さて、正しく指を差し込んだら、指先でヒーリング・タッチし、そのタッチ意識を耳のさらに奥、三半規管があるあたりへと拡げてゆく。解剖学のテキストなども参照してほしい。
片耳ずつ行ない、慣れてきたら、両耳同時に行なって、両者をクロスオーバーする。・・・と、たちどころに、身体中あちこちのアンバランスが浮かび上がってくる。それらを自分で何とかしようとすることなく、ただ、両耳奥の意識をクロスオーバーすることのみを心がけていれば、思ってもみなかったようなやり方、動きで、左右差が調整されていく。いろんな体勢や動きの中で試すといい。周知の通り、三半規管の働きは「バランスを取る」ことにある。
「再生と復活(建て直し)」というキーワードで結ばれるこれらの新修法を日々実践することで、墓参りの際に味わったあの非常に深い独特のヒーリング感覚を、いつでも好きな時に引き起こせるようになってきた。
骨格そのものが根本から組み換わりつつある。そうなって初めてわかってきたのだが、これまでの私は歪んだ身体の中で非常に不自由に生きてきて、そのハンディキャップを補うために大変な努力を払い続けてきたらしい。
決して大げさに言っているのではない。心身の能力をほぼ半分しか使っていなかったことが、新しい修法で全身各部のバランスがトータルに整えられてくると、ハッキリ実感できるのだ。つまり、これまでは文字通り「半人前」だったというわけだ。
半人前・・・・私のこの言葉が、あなた方の裡にいかなる想い、感情、感覚を喚起するものか、・・私は知らない。が、私自身はそれを祝福と感じている。残る半分の可能性を拓いていけばどんなことが起こるのか、とても楽しみだ。
先のことはさておき、私は今、劇的とさえいえる変動のただ中で超越的な波乗りを楽しんでいるところだ。
長年に渡って蓄積し続けてきた身体の歪みが自ずから調っていく際には、時に思わぬ痛みが浮き上がってきたり、生き方そのものを根底から見直さざるを得なくなるような出来事も頻繁に起こってくる。と同時に、素晴らしいことも次々と起こる。
今の私は、これまでよりずっと少ない努力で、はるかに多くのことが達成できるようになってきている。努力が無駄に浪費されることなく、最大効率をもって結実していくことが、一挙手一投足においてありありと実感できる。
精神・肉体のトレーニングだけでなく、生きることそのものがどんどん楽になっている。これまでも随分楽だと感じてきたのに、これ以上楽になってしまっていいものか・・・時々そんな風に思うことさえある。
私にとってこれらの変化は、奇跡的といっても決して過言ではないほどだ。が、同時にそれは、歪んでいたものが元へ戻ろうとしているだけという、実に平凡でごく当たり前のことでもあるのだ。当たり前とは自然という意味だ。常凡の極みは常玄なり。自然であることそのものの裡にこそ、真に奇跡的なるものが秘められている。
人生を真新しくやり直す機会を与えられた・・・日々の生活の中で、そういう感覚をしみじみと味わう瞬間が何度もある。半世紀近くも歪んだままになっていた(決して放置していたわけではない)ものが、今後どれだけ変わり得るものか、私にはわからないが、とにかくどんどん変化が起こりつつあることは事実だ。心も体もますます柔らかに、しなやかに、強靱になってきている。
こんな大恩寵に値する何を、私が一体したというのか? ・・・・思い当たることがまったくない。ゆえに私にできることといえば、ただただ感謝し、ひたすら感激することだけだ。
* * * * * * *
わずか3泊4日の小旅行でも、「巡礼」という意図をもって意識的に臨めば、人生そのものを根底から変えるような体験ができる。墓参りでさえヒーリング・トリップとなり得ることを、私は今回学んだ。
「超越的土産」として持ち帰った諸種の新しい修法は、しばしの研鑽と研究・実証の期間を経た後、誠実真摯な探究者たちの求めがあれば直接伝授の場で分かち合っていきたいと考えている。
次期シリーズでは、私の元に最近寄せられたいくつかの質問を取り上げ、ヒーリング・アーツに新たな光を当てていく予定だ。
——ドラゴンズ・ボディ 終——
<2007.10.27>