Healing Discourse

ドラゴンズ・ボディ [第8回] 接神

 沖縄には大小様々な島がある。
 その島の1つ1つにユニークな個性がある。・・・そんな話を旅人たちから聴いたのは、私が西表島に通い始めてしばらくたった頃のことだった。風土、暮らし、言葉、人々の気質、祭・・・島によってすべてが違うというのだ。
 その後、西表以外の島をいくつか巡ってみて、どうやらそれが事実らしいことに私も気づき始めた。観光客が触れ合うことなく通り過ぎていく島の精神世界についても、少しずつ知るようになっていった。

 そんな折り、西表島の一集落で秘密裏のうちに執り行なわれるという奇(く)しき祭の噂を聴いた。が、当時は村人がその祭について部外者に話すことは厳禁されており、掟を破った者には時として生命の危険が及ぶ、とさえいわれていたほどだ。
 現在ではそうした規制も比較的緩やかとなり、熱意と誠意とがあれば、部外者でも祭の一部を見学することが可能となってきた。とはいえ、この古見(こみ)村のプールィ(豊年祭)は、誰でも簡単に、気軽に参加できるような祭では今もない。
 そもそもそれがいつ執り行なわれるのか、観光案内所や役場などに問い合わせても、直前になるまではっきりしたことはわからない。豊年祭を司る「シロマタ・アカマタ・クロマタ(総称してニイルピトゥ)」の神名を出した途端、それがまるでタブーに触れる言葉ででもあるかのように、人々の口は重くなる。
 一昨年、宮古島へのヒーリング・トリップの帰途、那覇市内でタクシーに乗っていた時のことだが、同行者とニイルピトゥについて話していたら、運転手が突然会話に割り込んできた。「あれは密教だから、村の者から特別に招かれでもしないかぎり、部外者は絶対に見学を許されない」・・・そんな意味のことを運転手は一気にまくし立てた。

 これまで私は、琉球の秘祭に参列し、古代のカミと出会った体験が2度ある。
 1つは宮古島・島尻集落のパーントゥ祭。異界から出現した泥まみれのカミが、人々や新築の家などに悪臭ふんぷんたるヘドロをなすりつけて回る狂騒と渾沌の祭だ。体中つる草に覆われた仮面神・パーントゥの出現に立ち合った際、戦慄にも似た心地よいたまふり状態が沸き起こって全身を満たすのを、私はハッキリ感じた。
 2つ目は、豊穰を携えて異界より訪れる神々を屋敷に招じ入れ、歓待する石垣島・川平集落のマユンガナシ儀礼。静かで穏やかな中に、毅然とした威厳を感じさせる旅装のカミが立ち顕われ、集落内を遊行して家々を寿(ことほ)いで回る。蓑と笠をまとったマユンガナシ(真世加那志)は、独特の含み気合を合図として用いるのだが、それは驚くべきことに、肥田式強健術の気合法とダイレクトに通じ合うものだった。
 私はこれら古(いにしえ)の祭礼に立ち会い、異界の力を我が身の裡に映すという得難き体験をすることができた。「カミと触れ合い、共振した」・・そういってもいいだろう。

 ただし、私が言う神とは、人間の身勝手な願いを聞き入れ、自然界の法則をねじ曲げてくれる超自然的存在を意味するのではない。
 私にとってカミとの出会いは、常に我が身の裡で起こる。私はこれまで数え切れないほどの「カミ体験」を重ねてきたが、それはいつも流体的だった。私にとって、カミとは裡なる流れにほかならない。その流れは非常に特殊で・・・非日常的な質を備えている。
 こうした内的経験が外側の空間に投影されると、宇宙の出来事を計画・実行し、人間の生活に干渉する人格神という仮想が産み出される。仮想の身体と現実の身体とが異なっているのと同じ、あるいはそれ以上に、外なる神と裡なる神は異なっている。

 多くの神社の拝殿には、ただ鏡のみが据え置かれていることを、あなた方もご存知だろう。
 鏡面に映し出される私たち自身の、その裡においてこそ、尊きものとの出会いは起こる。拝殿にさりげなく置かれた鏡は、そういう神道の本質的な教えを静かに、だが雄弁に物語っている。
 この教えをすっかり忘れ去り、鏡そのものを崇(あが)め奉(たてまつ)り始めたとしたら・・・・。鏡に映った自分に向かって一生懸命祈っている滑稽な姿を想像してみるといい。だが、それこそ、あなた方がこれまでやってきたことではなかったか?
 ○○をください、○○になるようにしてくださいと外なる神に祈る。それは乞食の祈りだ。仮想の神を相手に物乞いすることだ。
 そうやって外の何かにすがろうとすることを、もう少し強調してレット・オフ。
 ・・・・・外側に仮想世界を投影するために使われていたエネルギーが、自分の中心に戻ってくる。
 どっしりと落ち着いて、内面が充実すると共に、安定感・安心感が生まれてくる。そのようにして安心(安らかな心)を自らの裡に見出して初めて、外側の神に頼り、外側の神に向かって祈ることが、自分自身を弱くする行為にほかならないのだと気づく。弱くなれば、もっともっと依存せざるを得なくなる。

 だが、理会を拒む者も大勢いるだろう。外に向かって祈(ろうとす)る行為を強調してレット・オフすることが、彼女/彼らにはどうしてもできない。
 それは神殺しのように見える。
 神を否定し、神の存在をもみ消し、最初からなかったものにしようとすることではないのか? 彼らはそのように自問し、「それはよくないことだ」と自答する。
 神がいるとかいないとか、そういう不毛の議論を私はここで蒸し返そうとしているのではない。私はただ、ヒーリング(全体的統合)という観点から、心身の中心点の位置を変化させる方法について述べているだけだ。
 神頼みを実際にレット・オフしてみれば、神とは元来、何かを頼むような対象ではなかったのだという、驚くべき事実が明らかになり始める。宮本武蔵もこの理会に達し、「神仏を尊んで神仏を頼まず」という言葉を残している。

 仮想の神へと向かう意識をレット・オフしていけば、「神」と我々が呼んで外界に投影していたエネルギーを、自らの裡でダイレクトに感じ・動くことができるようになる。心・身・神の三つの「しん」が統一する。
 かつてのチベットでは、多くの寺院で同種のトレーニングが体系的に教えられていた。密教僧が、マンダラに描かれた霊的シンボルとしての図像を観想(目を閉じてありありと細部までリアルにイメージすること)するのは、できるようになったらそれ(観想しようとする努力)をレット・オフするためだ。すると、シンボルが指し示していた「本質的なるもの(=仏)」との出会いが、自らの裡において起こる。
 砂絵マンダラも同じ原理に基づく儀礼メソッドだ。熟練の僧侶たちが長い時間をかけ、大変な注意を注いで、着色した細かい砂を使って美しい繊細なマンダラを描き上げた。・・・と思ったら、それを未練なくさっさと崩し、混ぜ合わせてしまう。
 そのプロセスにおいて、僧たちはレット・オフの態勢へと意識的に入っていく。心身が粒子状に分解され、部分が全体の中へと融合していく、そういう統合感覚が自らの裡で生じ拡がっていくのを静かに見守る。
 いわゆる諸行無常とは、決して寂しいものでも虚しいものでもない。虚しさを感じるとしたら、それは執着が残っていることを意味する。その執着をわずかに強調し、手放してレット・オフ態勢に入れば、大いなる解放感と歓びが湧き上がってくる。
 この原理を理会した上で砂マンダラの儀礼に立ち会うなら、観ている者の裡にも深いレット・オフが生じ、素晴らしいヒーリング体験を味わうことができる。

 このようにして私たちの裡なる扉の錠前を開け、生命の力を解き放つこと、それが鍵としての祭礼の本来の機能だった。錠に鍵がピタリとはまり、扉が自ずから開く。その時、私たちは畏怖の念を感じ、活きる力を感じ、生命(いのち)の歓びに満たされる。
 だがしかし、それらの経験はすべて私たち自身の裡で起こっているのだという事実を忘れてはならない。祭という外側の舞台装置は、内的意識変容を引き起こすための引き金に過ぎない。
 私たちの裡には、様々な世界へと通じる異なる扉があり、それゆえに多くの種類の鍵(祭)が、かつてはあった。しかし鍵の大半が失われ、あるいは変質し、錠前(人間のマインド)それ自体も時代に応じて変わり続けていったため、異界とダイレクトに通じることができるような祭は、今日ではほとんど観ることができなくなってしまった。
 だから、沖縄の離島で古代の祭が昔日のままの姿で連綿と伝えられてきたことには、大変な価値と意味があるのだ。私がそれらの祭に深い関心を抱くのは、深遠なるヒーリングの教えをそこから汲み上げることができるからだ。

サキシマバイカダ。発見例が少ない珍しい蛇。

 西表島東部、古見村内の祭礼場。
 午前中から降り始めた雨は、時折勢いを弱めることはあっても、なかなか降りやもうとしない。
 儀礼を開始するタイミングを図りかねて機を逸した感が、今回のプールィ(豊年祭)にはあった。
 村人たちは、待ちくたびれたのか、世間話に興じ始めた。
 祭の進行は、村生まれで村在住の男性のみが入門できるシンカという秘密結社に委ねられていて、他の村人は深く関与することを許されない。祭の意味・内容を詳しく知らされることさえないようだ。しかし・・・・・全身全霊で儀礼に向かい合えば、言葉による説明など不要のはずだ。

 裡なるヒーリング・トリップとして、何らかの儀礼に参列しようとするのであれば、そこで見聞きするものを内的に変換する術(アート)を知らねばならない。さもなければ、自分が目にしたものの意味すら理会できず、後に残るのは断片的な記憶のみだろう。

 喧騒の中で待つことしばし、祭事係に先導された草装の仮面神・ニイルピトゥが、祭礼場の前庭に登場した。
 つる草の山に全身をすっぽりと覆われ、白・赤・黒の異国風の仮面をつけた三柱の神。私たちが抱く神のイメージからはかけ離れた、異様の姿・・・・。
 が・・・・・・・・何も・・・・・・・感じない・・・・・・・?
 一柱ずつ順にあらわれる神に向かい合い、村人たちは小さな子供も含め恭しく一礼する。私たちもそれに倣ったが、・・・・・しかし・・・・・・・・ああ・・・・・・祭のリズム、タイミングが微妙にズレ続けていく違和感を、私はずっと払拭することができないでいた。
「ここだ! 今、ここで、次の場面へと移行しなければならない」・・・そういう絶対的ポイントを私は幾度か感じたが、雨に邪魔されたのか、あるいは他に何らかの理由があったからか、それら祭の要所はことごとく緩み、外れていった。
 儀礼と気を合わせ、共振し続けることが、次第に難しくなっていく。祭を総括するリーダー(中心)の不在、・・・そんな印象も受けた。注)
 祭の開始が遅れて時間が足りなくなったため、立ち去る神々を見送る最後のシーンは、慌ただしく省略されてしまった。やはり神々の来訪はなかったのだろう。
 村人たちが歓びの涙をもって神を迎え、惜別の涙をもって神を見送るという、文化人類学の記録に記されたかつての古見プールィの光景は、もはやそこにはなかった。
「キツかったな・・・」。終了後、進行役の1人が仲間にそっと漏らした言葉がすべてを物語っていたのかもしれない。
 昨年、妻はこの同じ場で同じ儀礼に参列したが、魂が振るえるような感・動を味わったと言っている。村人以下、見学者の全員が、張りつめた緊迫感の中で静かに儀礼に臨んだことも聴いた。
 その時の体験を元に妻が創作した楽曲『ニイルピトゥ』は、原初の祭の超越的力と都会的洗練とが、女性的感性の元で絶妙に融合した傑作だ。私が今回、西表巡礼を唐突に決めたのも、妻の作品に感・動したことが、そもそものきっかけだったのだが・・・。

 私はあるいは神々のたそがれを目撃したのかもしれない。 
 私が今回の西表島巡礼において終始心がけたのは、心身を開放しつつあらゆるものごとに向き合い、我が身の裡に映し出されてくる波紋、流れに対して全面的に意識的であること、ただそれだけだ。何も期待しない。何も望まない。全身全霊で感じ、(内的に)動くことを楽しむ。ただ、それだけだ。
 知的な理解が、新たないやしの質を生活の中にもたらすことはない。言葉を通じての理解には、人生を本質的に変える力はない。
 確かに「キツかった」・・・が、西表島巡礼を通じ私はカミと(内的に)出会い、共に振るえ、新たな「流れ(流儀)」の源流となる一滴(ひとしずく)を授かることができた。
 次回は、再び学びの場の焦点を広島に移し、今回の巡礼中の様々な体験がいかなるプロセスを経て新しい修法として示現し、結晶化し始めたか、それを皆さんと一緒に追体験してみることにしよう。

注:祭儀を司るリーダーの自宅で少し前に葬式があり、結社の決まりによりその年の豊年祭に参加できなかったことを、後日知った。

頑丈な鎧のような甲羅を持つノコギリガザミ。

 * * * * * * *

 最後に、外へと向かう意識を反転させるための修法を一手授けておく。フォーミュラは以下の通りだ。

[フォーミュラ]
 見ることを強調→レット・オフし、観ることへと変容させる。

 フォーミュラの詳細を説明しよう。 
 近くや遠くの適当な視点を定めて、それを粒子状にじっと見つめていく。それのみにすべての意識を集め、集中する。
 この集中という行為の本質を、身体的に感じ、それをオフにする。そして、自分では何一つしようとせず、ただ受け身で待つ。
 それは消極性とは違う。気を抜いて言いなりになる態度とも違う。途中で自分が引き取り、感性ならざる慣性、あるいは惰性に任せて、自己陶酔の動きにふけっている、そういうのとも違う。

 ただ、裡に入る。すっと身体の中に、四方八方から、吸い込まれるように入ってしまう。口で吸う感覚は、これにやや近い。だが、口で吸うのと違い、裡に入る時には全身の皮膚の内側でそれが起こる。
 最初のうちは、部分的な皮膚のみで内向を感じるだけだが、熟達に従ってその面積が増していく。それに伴い、意識の覚醒感覚はシャープで切れ味鋭いものとなっていく。私が知っているものでこの意識の目覚めを表わすのに最もふさわしいメタファー(暗喩)は、真剣の日本刀だ。
 
 1点をじっと見つめるという行為の本質を感じ、それをレット・オフし、静中求動・・・・。「静」とは、眼球に入るごく微妙な力の動きさえも待機させる、という意味だ。「待機」と「禁止、停止、抑止」の違いについても研究してみるといい。
 目を静かにして、見つめることをレット・オフすれば、見ようとした行為が粒子状に分解され、自らの裡へと逆流し始める。
 最初は、目が痛くなるかもしれない。それほどまでに、あなたの目はリラックスから長い間遠ざかっていた。この痛みは浄化の痛みだ。これは目の禊祓いなのだ。数度行なうだけで、これまで感じたことがなかったような目の柔らかさを、あなたは感じるようになるだろう。

 集中とは、ある選ばれた対象以外を意識野から排除していくことだ。この集中をレット・オフすると、すべてがありのままに目に映っている状態が顕われてくる。見ている、というよりは、月が水面に映るように、光景が目に映し出されている。目から対象へと向かっていた意識の方向性は、今や逆流して目から裡へと流れ込んでいる。
 ヒーリング・アーツではこういう見方を、「観る」と書き表わし、一般的な見ることと区別する。
 見る時は、骨盤が締まっている。武術的にいうと、相手の攻撃に対して即座に応答できない固着状態だ。これに対して、観ている時には骨盤が開放されている。
 見ながらヒーリング・タッチで骨盤を凝集→レット・オフすれば、自ずから「見ること」が「観ること」へと変容する。私の経験によれば、この修法を行なうと、目から外に出ていた意識が半ば強制的に腰腹の間に引き戻される。
 観ることを常に心がければ、多数の相手が次々と攻撃してくるような状況下でも、動けば自然に術(わざ)となって最適の応答ができる。宮本武蔵も、「観の目」を「見の目」に優先させることを説いている。

<2007.08.28>