Healing Discourse

第1回 太陽と月の結婚(前編)

 天空で、太陽と月が愛し合い、1つに溶け合った。
 その瞬間、黒い太陽の周縁に紅(くれない)のプロミネンスが小さくぽっと灯(とも)った。
 そして、星々の交合のネクタル(甘露)が、目から我が身の裡(うち)へと降り注がれ始めた。

 2009年7月22日、奄美大島北部。琉球創世神が降り立った場所と伝えられる聖地。

 皆既日蝕には、部分日蝕からは想像もつかないような強烈なインパクトがある・・・。実際にそれを体験した人々の多くが、そのように証言している。トータル・ソーラー・エクリプス(皆既日蝕)を追い求め、世界中を旅するようになる者も少なくない。彼女/彼らは、自らをエクリプス・ハンター(日蝕ハンター)と呼ぶ。

「宇宙を我が身で実感した」
「死に近いような経験」
「その時、時間の経過をほとんど感じなかった」
「人生が変わる」
「意識が変容してハイになる」
「涙が止まらなかった」
 ・・・・・・・・・・・

 皆既日蝕から受ける衝撃を、いろいろな人がいろいろな言葉で表現している。今回私も、曇天気味の天候ではあったが、皆既日蝕の元で自らを全面的に開くという希有(けう)な機会を得た。
 そして、「なるほど」と思った。同時に、「皆既日蝕で起こる超越感覚はヒーリング・アーツに相通じるものがある」という以前からの私の直感を、自らの体験を通じて裏づけることができた。

 アンドルー・ワイル氏は、好著『太陽と月の結婚』において、意識的なるものと無意識的なるものとの統合を表わすシンボルとして、太陽と月の婚姻(皆既日蝕)ほどふさわしいものはない、と述べている。私もワイル氏の意見に賛同する。そして、彼のセンスにも敬意を表したい。美しい言葉は、人の器を内的に拡げて豊かな気持ちにさせる。

 国内(の陸地)では46年ぶりとなる皆既日蝕が、南日本のごく一部の島嶼(とうしょ)地域で起こる。・・・それを知ったのは10年ほど前のことだが、実際にそこへ行ってみようと思い立った時には、宇宙ショーの開幕はすでにカウントダウン態勢に入っていた。
 現地のあらゆる宿泊場所はとうの昔に満室、往復手段の確保も困難と思われた。が、ヒーリング・ネットワークの同志諸君が奔走し、私と妻、及び同行者の日蝕巡礼の手配を、あっという間に手際よく整えてくれた。事前に現地を視察し、万事滞りなく進むよう周到に取り計らってくれた人もいる。
 今回の巡礼の旅の実現は、これら真摯(しんし)な協力者たちのバックアップなしにはあり得なかった。ここに特に記して感謝の意を表したい。

 さて、「その時」を待つ間、私たちは大地に素足で立ち、天球を活用しながら、ヒーリング・アーツを修していった。
 空を大きな四角い空間のようなものと錯覚している人は、世界が円いことが常識となって久しい現代においても、意外と多いようだ。
 もちろん、空(地球大気)は球状に拡がっている。そして、その重み(大気圧)を、私たちの全身にあまねく及ぼしつつある。言い換えれば、私たちは球形をした圧力の海の中を泳いでいる。

 大気圧を体表面で満遍なく感じるためには、まず天を球体と観る訓練が必要だ。空の球面を内側からなぞるようにしながら、両手を大きく伸ばして上半身を回す練修もよいだろう(開けた場所で行なわないと効果は薄いが)。
 自らの前後・左右・上下で天を円く感じ始めると、大気の圧力を呼吸を通じて体内に取り入れ、身体の隅々にまで巡らすことができるようになる。つまり、空気だけでなく、圧力をも呼吸できるようになる。
 それがわかり(でき)始めた者にとって、呼吸による内圧変化を術(わざ)へと応用することは、それほど難事ではあるまい。例えば、相手にそっと柔らかくタッチしておき(触れ合う場所はどこでも構わない)、自らの手の裡を息で満たす。そして、高まった内部圧をレット・オフで吐く息に乗せ、徐々に抜いていく。
 すると相手は、息と力が一緒に抜け出ていく奇妙な感覚を覚えながら、柔らかく崩れ落ちていくだろう。
 こんな一見摩訶不思議なことも、自然にできるようになる。もちろん、人を不思議がらせるためでなく、いやしの共振を起こすために使うのだ。
 熟達すれば、様々なやり方で息に圧力を乗せ、体内で運用することが自在にできる。達人は皆、「息づかい」の名手だ。

 天球を見上げようとする際、顔面のどこが中心となって顔の向きを定めるのか、それについても注意深く感じ取り、調整していった。メドゥーサ修法の術(わざ)である。
 顔の中心は、両目の間だ。鼻のつけ根(前頭鼻骨縫合)の中点、解剖学でいうナジオン(鼻根点)がある場所だ。私の経験によれば、そこ以外を顔の中心点として身体運動を起こせば、そのたびごとに骨格全体に不自然な歪みが生じる。
 顔を仰ぐとか横に向けるといったシンプルな動作を使って、顔の中心点が全身運動に及ぼす影響・効果を検証してみるといい。

 理屈はさておき、ナジオンを顔の中心として使うと、気持ちよく全身を動かすことができる。動作が終わった後も壮快だ。ただちょっと動くだけでも、背骨の芯から独特の快感が溢れてくる。脊椎神経が悦んでいるのだ。
 不思議に思われるかもしれないが、こうした愉悦感(ヒーリング・エクスタシー)を、タッチを通じて他者に伝達することが可能だ。触れ合いを介して、生命の高揚感を他者と共感する(共に感じる)ことができる。
 そのようにして感動を分かち合う体験は、私たちの生を限りなく豊かで潤いに充ちたものにしていく。ヒーリング・ネットワークとは、感・動の分かち合いだ。

 身体運動のバランスを規定する様々な中心点が、体表面上にはたくさんある(点とかポイントという言葉を使ってきたが、感覚的には皮膚に埋もれた微小な粒子だ)。これらを私は、一括してヒーリング・センターと呼んでいる。
 この場合のヒーリングとは、トータルさ、全体的バランス、健やかさを特に強調する言葉であり、ゆえにヒーリング・センターとは、全身をバランス良く調律していくための勘所(かんどころ)、急所といった意味になる。
 ヒーリング・センターは、東洋医学のツボとも深い関わりがある。バランスを統御する粒子的中心であることから、古事記にあやかり「みすまる(御統)の珠」と称することもある。

<2009.07.28 土潤溽暑(つちうるおいてむしあつし)>