前回、顔の中心について述べた。
その位置と働きが、単なる知識としてではなく、自らの体感を通じて理会できれば、そこに指先で軽く衝撃を与えるだけで、大の男をはじき飛ばすことも可能となる(兵法系の応用)。中国武術にはそういう攻撃法が実際にあって、「点穴法」という。
両目中間の鼻根部は、人が顔を様々な方向に向ける際の起動点として機能する。そこが、顔の中心だ。
これを医療系へと応用すれば、背骨全体の姿勢と動作をチューニングし、全身を調(ととの)えることができる。
「崩すこと」(武)と「建てること」(文)とは、ヒーリング・アーツでは常に表裏一体だ。これを「活殺自在」といい、ヒーリング・アーツの基本コンセプトの1つとなっている。
背骨とは、元来、活き活きと息づいているものだ。私は自らの背骨を、複雑にうごめく1つの有機的統一体として波動的に感じる。一呼吸ごとに、背骨が繊細に振るえ、精妙な快感を振りまく。
そういう状態を、今後は「ドラゴンズ・ボディ(龍身)」と呼ぶことにしよう。かつて私も学んだ中国武術にルーツを持つ言葉だ。
なお、「蛇足」になるが、鼻根部に中心が置かれた顔を中国では龍顔(りょうがん)といい、皇帝が備える尊い顔相とされていた。龍顔はまた、神仙術の達人(マスター)が自然に現わす顔の姿勢でもある。
・・・・・・こんな具合に、各自なりのやり方で楽しく心身を調律(チューニング)しながら、私たちは太陽と月の重なりを待った。
あたりがどんどん暗くなってくる。雨の日の暗さとはまったく違う暗さ。
万物固有の「色」が、どんどん抜け落ちていくみたいだ。そうした色と明るさの劇的変化が、メドゥーサ修法と同じ原理により、興味深いレット・オフ効果を心身に引き起こし始めた。
そして・・・・、
太陽と月と我々が一直線に連なり、女神メドゥーサの霊眼が天頂近くでカッと見開かれた!
意識がスーッと軽く変容していくのがわかった。同時に、世界が沈み込んでいくような感じがした。
宇宙的スケールの壮大なヒーリング・アーツ・ショー。
黒い太陽の周りでコロナが妖しく踊れば、さらに深い瞑想が起こったことだろう(残念ながら、奄美大島ではコロナはほとんど観えなかった)。
いつもそこにあるのに、普段は太陽光線に隠されて見えないもの。それが光の喪失と同時に、突如として現出する・・・。と、目の中のオン(コロナによる)とオフ(太陽光と関係)がセックス的に融合し、そこから全身へと変成意識の振るえが拡がっていったはずだ。
皆既日蝕によって起こるヒーリングをどんな風に感じ、表現するかは、人それぞれまったく異なるだろう。唯一共通する点をあげるとしたら、それは「感じて・動く」ことではなかろうか?
動くとは、外側への表現だけをいうのではない。感動している時には、自分の内面でも動きを感じているはずだ。より烈しく、より高まり、より開き、より満ちた感じ。嬉しい。楽しい。気持ちいい。驚きだ。素晴らしい。岡本太郎のいわゆる「何だッ、これはッ!?」・・・。
そういう健康感を伴う内面感覚の昂進を、ヒーリング・アーツでは「感動」と定義する。感じて動くことを強調するため、「感・動」と表記する場合が多い。
ヒーリング・アーツの何がそんなに面白いのかと尋ねられたなら、ヒーリング・アーツ探究者の多くは、「なぜなら感・動するから」と答えるだろう。
いつか、どこかで感・動するかもしれない、ではない。ヒーリング・アーツとは、<感・動>発生法なのだ。人の裡にダイレクトに感・動を呼び覚ますための、叡知のツールなのだ。
私が言う意識変容とは、様々な種類の感・動のことにほかならない。それこそが、ヒーリングだ。
だから、私が「静謐(せいひつ)」と言う時、それを何もない、何も動かない、死の世界のようなものと勘違いしないでいただきたい。
あまりに細やか過ぎて、もはや「小ささ」としてさえ認識できない、・・・そういう微細粒子的な充満は、無限小へと拡大沈潜(誤字にあらず)していく静寂感を産む。賑やかで静か・・・・言葉上では奇妙に聞こえるが、身体感覚においては矛盾しない。
この時、時間と空間の感覚も変わる。ワーグナーのオペラ『パルジファル』に曰く、「・・・ここでは時間が空間に変わるのだ・・・」、と。
不思議な風が、柔らかく滑っていった。
まるで、終末の世界に降り立ったかのようだった。
太陽は月に岩戸隠れして上空は真っ暗なのに、地平線は落日の残光の如き橙色に染まっている。
どこかでリュウキュウアカショウビン(大型のカワセミの仲間)たちが不安げに鳴き交わしていた。
心と体がピタリ重なり合い、心身が最高の待機状態へとシフトした寂滅(じゃくめつ)の緊張感。和らぎと鋭い覚醒とが融け合う絶妙境。
宇宙の中に溶けていく。宇宙が私の中に溶け込んでくる。死と再生の密儀。
宇宙との交感、天地との交歓。
裡なる太陽(腰)と、裡なる月(腹)の統合。
そして、聖なるものが生まれ出ずる予感。
やがて、新生した太陽が闇の中より再び現われ、世界を一気に光で満たした。
* * * * * * *
今回の皆既日蝕巡礼では、濃縮されたコズミックなヒーリング感覚を、存分に味わい、楽しむことができた(不充分・不完全な点は、また別の機会に補いたいと考えている)。
日蝕終了からおよそ3時間後、ザーッと烈しく叩きつけるように、大雨(たいう)が沛然(はいぜん)と天より降り注ぎ始めた。
待ちに待ったが、もはや我慢の限界・・・とでもいわんばかりの天地の風情(ふぜい)。それを建物内から呆然と眺めながら、私たちは「We are lucky・・・」とつぶやいていた。
<2009.08.02 大雨時行(たいうときどきおこなう)>