Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第1章 通身是手眼 〜井上仲子(筋骨矯正術)〜 第1章 第9回 臍すじ

 明治34年の春のこと、ある患者の家で、仲子は京都府立病院長・島村某(医学博士)と出会った。
「お前はどういう治療をして、どういう病気を治すのか?」との島村の問いかけに対し、いかなる症例においても腹を根本にし、手や足を末として扱う筋骨矯正術の原理について、仲子は詳しく話して聞かせた。
「お前は学問がないからそういうことを言うが、この病人の腹をいろうて(いじって)手足が動くようになると思うか」
「はい。それは腹を整えて血の循環する力を待ち、しかして手足の治療をいたしましたならば、今日までの実験上、確かに動くようになります」
「全体、学理を知らぬ者は、そんな理屈を言うものではない。たとえ病気が治っても、学理上の説明がつかなければ、何の役にも立つものじゃない」

 後年、多くの医師たちからも治療を懇望された仲子だったが、上述のように、最初の頃は憤懣(ふんまん)やる方ない思いを幾度も味わわされたようだ。
 彼女は後に、次のように語っている。
「なるほど、学問もあり、知識もあって、その上病気もお治しになりますれば、それこそ実に鬼に金棒で申し分はございませぬ。しかし、学問のない者が、初めは誠に単純な一本筋の素人考えから思いついて、種々と工夫に工夫を凝らし、末には多年の実験を積んで、確かに実効を修むるまでになりましてから、後に初めて学者さん方がこれにご注目なされ、今度は学問上からこれをご研究の結果、立派な学理上の説明がつくようになった、という風な話もずいぶん世間にあるように伺っておりますのにと、私はお医者方の心の狭いのをお憾(うら)み申した次第でございます」 

 神戸時代、筋骨矯正術の公認を受けるため、県庁を経て内務省に「効力試験」を願ったこともある。患者たちによる病気平癒保証書・数百通を添え、願書を提出したところ、ほどなくして県庁から呼び出しがあった。
 担当の衛生課長は仲子に同情的で、「なるほど、説明をきいてみればもっとものことで、至極平易な道理でもあり、効力についても実は密かに調べているところだ」とのことだった。が、「なにぶん、今日の規則として、学術上の説明ができぬことには公認することができない。せっかくのことで気の毒じゃが、しょうがない」と、結局は願書を却下されてしまった。

 筋骨矯正術が、<ハラ>から全身を整えていく手法であったことは、これまで何度も述べてきた。
 仲子の行跡を記録した年譜には、「明治11年(30歳)、脊梁骨及び臍筋を治することを発明し矯正術と呼ぶ」、とある。彼女が兄の大病をいやした年だ。
「臍すじ」とは、一体何だろう? 
 臍を通る筋か、あるいは臍から全身へと四方八方に発しているラインでもあるのだろうか? 
 臍の上下に伸びる、やや太い筋の如きものを、腹直筋の中央を指で探っていけば、あなたも発見できるだろう。解剖学で白線と呼ばれているものであり、周りごとつまみあげることなら、できそうだ。
 が、これをどうにかして全身の歪みを正せるとは、私も自分の腹が痛くなるほどあれこれいじくり回してみたが、どうも思えない。
 臍から発出する未知の筋があるわけでもないようだ。ただし、臍は人によって様々に歪んでいるものであり、右斜め上に引っぱり上げられているとか、下向き加減になっているとか、概念としてのライン(方向性)を、臍を中心として設定することは可能だろう。それをスジとみなすこともあながちピント外れとは言えず、実際、そのスジを調整することで、全身のバランスを調律することができる。しかし、それが仲子のいわゆる臍スジ、腹スジと同じものかどうかは、もちろんわからない。

 筋骨矯正術の原理を、仲子は次のような喩(たと)えを使って説明している。
「例えば、骨は蒸気機械の如く、筋は帯革(革製のベルト)の如きもので、蒸気は原動力となり、帯革を伝うて機械を運転させるのであるから、機械に損傷があってもいけません。さりとて、一番大切な帯革の伸縮が、その度を失いますれば、いかに蒸気力を強めても、決して運転するものではありません」
 筋骨矯正術のスジが、(幅と厚みを持つ)ベルトに喩えられるようなものであるとすれば、それを必ずしも細い線と限定して考える必要はないのかもしれない。

 あれこれ頭で考えてカス理屈をこねまわすのをやめ、仲子が言うような「単純な一本筋の素人考え」に立ち戻ってみよう。
 解剖学の知識がまったくない人間が、タッチの感触と、生きて動く人体の観察のみを通じて、例えば腹の腹直筋(いわゆる腹筋)の働きを表現しようとする時、それはどのようなものになるだろう?
 解剖学的にあり得ないものについて、仲子は語っていたわけではなく、医師たちの方が、人体組織をあまりにも局部的、静止的に見過ぎるあまり、全体としてのトータルな働きの「道筋」を見失っていた、ということはないだろうか?

 答えは意外とシンプルで、誰の目にも見えるところに、アッケラカンと示されているのかもしれない。
 腹の左右にあるスジ。
 それをバランス良く整えると、体全体の均整が調整されるようなもの。解剖学の知識がない者が、「臍すじ」と名づけるにふさわしい構造・・・。
 私がここで強調したいのは、それが解剖学的にどの筋肉とか腱、筋膜などに相当するのか、ということよりも、腹というものを「左右」に分ける捉え方だ。

 大抵の人の腹は相当歪んでおり、それが背骨の歪みを反映していることは事実だ(臍の歪みはその現われに過ぎない)。
 武術では、腹を変にねじったり、ひねったり、歪ませたりしないよう動くことを徹底的に訓練する。さもないと、必ず身体の統合があちこちで分断し、力と速さが鈍る。
 ヒーリング・タッチ(これまでのディスコース各論で既述)を使えば、立っている受け手の腹と柔らかく触れ合い、その形をそっと変えるだけで、相手の背骨を様々に動かすことができる。つまり、腹へのタッチを通じ、相手を「傾ける」ことができる。
 傾けるとは、崩すことだ。崩すことができるとしたら、その理(ことわり)を応用すれば、腹を通じて「整える」こともまた、可能ではないか?

 腹中央を上下に渡す腹直筋は、左右2対の、細長いスジの集合体だ。その両サイドには内腹斜筋や外腹斜筋などがある。それら(腹というもの)が1枚の平らな面であるかの如く誤解している人が多いが、身体レベルでのそういう思い込みを、「仮想身体」とヒーリング・アーツでは呼んでいる。仮想の身体をいくら熱心に鍛練したり調整しようとしても、その結果がはかばかしくないのは当然だ。
 腹を真ん中から左右に割った、その形に沿って各々の手で触れ合い、左と右をちょっと合わせるようにしておいて、レット・オフでそれをパッと開放する。・・と、腹が左右にパカッと割れる感覚が生じ、初めて体験する人はしばしば驚きの声を漏らす。初学者は、上から下まで、腹を繰り返し丁寧に別けていくといい。それだけでも、随分腹と腰が楽になる。
 腹の表面は、平らではない。斜めに曲面を描いている。これは非常に重要だ。その曲面そのものの体感覚も、タッチを媒介として覚醒させていく。
 ヒーリング・タッチとは、こういう特別な「仕事」をするためのツール(道具)なのだ。

 改めて、腹にヒーリング・タッチ。そして、腹の「形(空間性)」を意識すれば、左右の形、感覚・意識が相当アンバランスになっているのがわかるだろう。この左右差を、ただあるがままに意識してみる。つまり、腹の左右の感覚を、それぞれ、同時に、均等に感じる。ヒーリング・バランスの要訣だ。
 すると、腰椎が体の中でそれ自体の意志を持つかのように蠢(うごめ)き始め、それに呼応するかのように、全身的な自律(自立)運動が生じる。椎骨1個1個が、複雑に組み替えられていく面白さ。
 1度やったくらいでは、すぐ元通りになってしまう。が、日々少しずつ取り組んでいけば、腹を基盤として背骨全体をスッキリ調律することができる。実際にやってみれば、健康感が驚くほど増進していくのがわかるだろう。

 左右それぞれの腹にヒーリング・タッチした手を、下(恥骨側)から上(肋骨側)まで丁寧に移動させていくのもいい。腹直筋を上下に何度も「通して」いくと、それと対応して背骨の両脇(背すじ)がスーッと通っていく。これだけでも、全身が相当「真っ直ぐ」になって爽快だ。背中もグニャグニャに柔らかくなる。

 腹の真ん中にある腹直筋は、知れば知るほど面白い。
 あたかも丹田の位置を暗示するかのような解剖学的構造も、腹直筋の裏側に存在する。弓状線(arcuate line)だ。人によって、位置も、形も、太さも、弾力性も、まったく違う(図1)。

 弓状線を境として、腹直筋を包むサヤ(腹直筋鞘)の構造が、上と下とでガラリと変わる(図2)。筋肉を包み支える組織の造りが変化するという事実は、腹直筋の運動が単に起始部と停止部の2点間で起こる単純なものではないことを示唆しているのではなかろうか?
 私の経験によれば、弓状線以外の場所を腹力の焦点に使おうとすれば、腹直筋の不充分・不完全な緊張・緊縮しか得られず、腰椎に不自然な負担がかかり、全身がどんどん歪んでいく。幾分かの効果はなきにしもあらずだが、長い目で観ればプラス要因よりもマイナス要素の方が優勢となり、心身の健康経済はどんどん赤字に傾いていく。

<2009.10.13 菊花開>