※[ ]内はルビ。
かつて、霊の術[わざ]が一世を風靡した時代があった。
神話的な古代世界の話じゃない。日本の歴史の中ではつい最近、明治末・大正・昭和初期頃のことだ。
霊術、と呼ばれる不思議なヒーリング・ムーヴメントの大波が、日本全国をあっという間に覆い尽くした。まるで、人々の心の共通の奥底から溢れ出てきたもののように。
人と人がダイレクトに通じ合う根源世界、それが霊術家たちのいう「霊」だ。私たちの裡を、流れ巡る超越性。
私がこれから語っていこうとする「霊」は、だから、肉体の死後も存続する生命があり、生活がある、といった意味での「いわゆる霊(霊魂、心霊)」とはまったく違うものであることに、まずは充分ご注意いただきたい。
霊術とは、二元性を超える霊の世界とアクセスすることにより、心身に秘められた様々な能力を、啓発的に開花させていこうとするメソッド/教えだ。
健康法、治病法(自己、他者)、心身鍛練法、胆力養成法、運勢向上法、・・・そういった諸々の要素が渾然一体となってブレンドされた修養システム。
様々な霊術のスタイル(流派)が、かつてはあった。『破邪顕正 霊術と霊術家』(昭和3年刊)によれば、当時、全国の霊術家の総数は3万人以上に達していたという。
こうした空前の霊術ブーム到来の引き金を引いたのが、これからご紹介していく田中守平[たなかもりへい]だ。
太霊道[たいれいどう]創設者。広範で奥深い思想体系と、高度な実践修法(霊子術)とを独力で完成させた、天才的ヒーリング・アーティスト。
井上仲子のような専業治療家ではなかったが、たくさんの人々を病から直接救い、また数多くの優れた霊術家[ヒーラー]をユニークなセミナー形式で速成したため、守平によって間接的に助けられた人たちは、それこそ数え切れないほどいたはずだ。
単に治病だけでなく、西洋文明の急激な流入による文化的大変動に対処・適応し、有利に生き抜いていくための超越的思想と霊的テクノロジーを、守平は近代的な形で人々に提供しようとした。多くの新興宗教や中国の気功も、田中守平から大きな影響を受けているという。
太霊道肇祖(ちょうそ:創始者の意)・田中守平(1884〜1929)。撮影年月日不祥。この写真は、古いモノクロ画像をカラー化したもの。
これから田中守平と太霊道、霊子術[れいしじゅつ]について語っていこうとするにあたり、何をどういう風に書いたものやら、例によって、現時点ではさっぱり見当がつかない。太霊道を、私は25年くらい研究・実践してきたが、まだまだ不明な点も多いのだ。
例えば、創始者・田中守平が45歳の若さで夭折したことはわかっている。が、その最後の模様や死の原因を直接語る一次資料すら、私はいまだ目にしたことがない。
霊子術においても、透視とか他者の遠隔コントロールなど、いまだ充分探求し尽くしていない分野も残っている(そういったことがどうやら可能らしいことは、偶発的体験を重ねて少しずつわかってきたが)。
霊子術の基本、霊子顕動法[れいしけんどうほう]を、ちょっと実際にやってみよう。立式の合掌形式で行なう(他にも様々な発動形式がある)。
まず、正しく立つ(正立)。
踵をつけ、爪先を広げる。右手を左手の上にし、下腹のあたりに置く。衣服は緩やかなものを着用するように。
それから両手の指を揃え、掌を下に向けて、真っ直ぐ前方に伸ばす(両腕前伸)。手は肩の高さ。両腕を緊張させる。
次に、掌を合わせ、胸前で立てる(合掌)。中指先を真上に向け、手が胸から1寸(約3センチ)離れているように。掌の真ん中、中指のつけ根から5分(約1.5センチ)ほど下がったところ(真点)に、ごく軽く力を込める。
焦らず慌てず執着せず、あまり熱くなり過ぎず、悠々として、ここまでの手順を正確に踏む。
すると・・・・・・・・・・・、
体の中に、極めて繊細で究めて強靱な光の線が幾重にも縦横無尽に張り巡らされ、超次元的な幾何学オブジェが形作られるかのように、私はまず感じる。そのオブジェ全体が、極めて微細に打ち振るえ始める。多層的にきらびやかに、声なき賛美歌が超空間の聖殿に響き渡るかのよう。
もちろん、最初からこんな風に深く繊細に感じられたわけではない。始めは、もっと粗くてガクガクしたものだった。具体的やり方は、今後詳しく解説していくが、皆さんも最初は粗雑な振動しか現われないだろう。
だが、根本さえ間違っていなければ、日を追うごとに洗練されていく。幾何学的に姿勢(身体の形、型)を整えることが、成功の秘訣だ。1分間に720振動が生じるようになれば、ひとまず「できる」ようになったものと見なされる(振動数の測定法も霊子術にはある)。
これは、人体内の力の流れをループ状に封じる法なのだ。両手の中心(真点)と腰が内面的に組み合わされるが如き統一感が生じるよう、「両腕前伸」から「合掌」へと、幾何学的に、滑るように移行する・・・と、非常に精妙な振動が、掌芯を中心として指先から自然に沸き現われてくる。要訣の詳細は、後日改めて述べる。
惰性的無意識運動でも外見上似た動きが出るので、独学者はよくよく注意して、「本物」を見極める目を養っていただきたい。運動の質(全身的体感)が無意識的か超意識的か。あなたは沈殿しているか、粒子的に爆発中か? そういったことが判断の目安となる。
全身の隅々にまで振動が統一的に響いてくるようなら、最初は多少ガタついても、あなたは正しい道の上にいる。
真の超意識運動がトータルに起こった際には、「太霊(宇宙の根本実体)と合致融合する絶妙境が味わえる」と田中守平は語っている。ある意味では、神と一体になる、ということだ。私の経験によれば、守平の言葉は誇張や虚偽、妄想では決してなく、そういう境地は実際にある。
顕動は、上記のように細やかにデリケートに発出させるのもいいが、激しい全身的振るえとして表現させ、ハネト(ねぶた祭の踊り手)と化すのも楽しい。太霊道でも、激烈な発動と微細な顕動とを使い分けていた。
私は、顕動の合間合間に合掌を解[ほど]き、ヒーリング・アーツの様々な修法をクロスオーバーして、自由自在なるいやしの舞を楽しむことも多い。動いている最中に無理なく合掌を解くためには、「手を合わせよう」とする意図をオフにすればいい。これは、「手を合わせ続けよう」とする意図をオフにすることとはまったく違うので、要注意。
私に言わせれば、顕動法とは、かつてなかったような抽象芸術的な舞だ。現代的な神聖舞踏。
様々に舞うことで、スピリチュアル(超越性という意味における霊・的)な共振が様々に起こる。人と人が響き合い、ヒトとカミが響き合う。そして、生命[いのち]が激しく燃え上がる。・・・これこそ、祭の本質ではなかったか?
ヒーリング・ネットワークは、新たな<祭>を芸術的に創造していこうとするムーヴメントだ。私たちがいやされ、活気づけられるための、私たち自身による生命の祝祭の場。大小様々な規模で、可能な限りヴァリエーション豊かに。
そういうものを今、多くの人々が切実に必要としている——そのように、私は強く感じる。
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実は、霊術家の末裔らしき人物と、私は出会ったことがある。小学4年生の時(1970年)、全校生徒数百名を前に行なわれたパフォーマンス・ショーで、クラスメイト7~8名と共に壇上に招かれ、実際に術[わざ]をかけてもらう幸運に恵まれた。
素手による岩石破壊、人橋術(2つの椅子の間にまっすぐ横たわった生徒の上に、2~3人が乗る)、息吹(胸郭と腹腔の伸縮を自在にコントロール)、倒身法(触れずに相手を倒す)、足止め(気合一閃、全員の歩みが止まる)などなど、今でも細かいところまで鮮明に思い出せる。
倒身法で、人の体内を通過してフワ〜っと押し寄せてきた透明な波動感覚、あれは今にして思えば、まさしくレット・オフそのものだった。
<2010.1.20 大寒>