Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第2章 超越へのジャンプ 〜田中守平(太霊道)〜 第13回 霊子術伝授 其の三

「自己に霊子作用を発動させ、これを直接または若干の距離を隔てて他人、もしくは物体に伝達する方法」を、田中守平は感伝性霊能と名づけた。
 特別講授会の講授科目に従い分類すると、以下のようになる。

1.生命体を対象として感伝させる方法
 吹息顕動法、回転顕動法、霊融霊引法、霊融霊斥法、吸息霊引法、吹息霊斥法、霊融顕動法、集団霊融顕動法、霊子倒身法
2.無機体を対象として感伝させる方法
 潜動作用の各方法(平面押掌潜動法、側面押掌潜動法、皮膚潜動法、爪甲潜動法、潜動確証法)

『霊光録』にいわく。「これらの霊能現象の全部を掲ぐるにおいては本書の数百ページを費やすもなお足らざるをもって、そのうちの代表的のもの数者を挙ぐることとする」
 以下にその内容を、ご紹介していこう。

 霊融顕動法
 これは、術者が被術者に手を触れることなく、ただその霊力によってこれを前進、後退、右回転、左回転、上下等、自由自在ならしめるというものだ。
「霊融顕動法を行うにあたりては、まず術者が手掌に潜動作用を発動せしめて、被術者の腰部後方約1尺(30センチ)を隔てて、その手掌を上下するのである」と、『霊光録』にはある。
 受け手側は目を閉じており、術者が何をしているか、いかなる態度をとっているか、少しも知らない。

「数秒経つと被術者は霊動を生じ、ついに高く飛動する。
 それに、術者は被術者に手掌、手指共に毫末も(少しも)これを触れることなくしていて、被術者の顕動を猛烈ならしめ、それを一二尺空間を隔てて、後方に引くのである。被術者と術者と、一尺または二尺ほどの間隔があるにも関わらず、被術者は術者のなすがままに、後ろへ、しかも急激に引っ張られる。
 それを右へ右へと引っ張ると、被術者は急速度をもって回転し出す。十数貫(1貫は3.75キログラム)の身体が、あたかも風車のごとく回転してくる。言うまでもなく、術者は手を触るることなく、被術者の意識は普通のままであって、ただ身体だけがかくのごとく上下にも、後ろへも、前へも、または右回転、左回転をも、まったく術者の潜動の手のままになる」(『霊光録』より。以下同)

 この現象について、『霊光録』には次のように説明されている。

「これは、事実霊子の作用が被術者にも発動しており、術者は潜動の手をもってするので、術者と被術者との間には何尺かを隔たっていても、霊子の作用が術者、被術者共に一致しているという状態を生ずるのである」

<潜動>が鍵であることが、ハッキリ述べられている。潜動法とは、単に無意識的に板を押すようなものではないことが、今後、読み進むにつれますます明らかとなるだろう。
 互いに目を開けて相対[あいたい]しているのであれば、しかも受け手が頑なに抵抗・拒絶していなければ、距離を隔てて動かすなど造作もない。あくびがうつるみたいに、動き(流れ)が視覚を通じ、「映って」くる。
 受け手が目を閉じていると、少し難しい。が、決して不可能ではない。
 例えば、正座して目を閉じ、超我(あれこれ考えるのをやめて思考がどんどん流れ続けるに任せる)の状態に入った受け手の後ろに座り、潜動を起こした手を背骨に沿ってゆっくり降ろしていく(指先を相手の方に向ける。掌は下向き)・・・と、相手は少し遅れて後ろに柔らかく倒れ始めるが、途中で私が右へ直角に手の向きを換えれば、それに相呼応して、相手も右へ右へと倒れこんでいく。あらかじめ、ああなる、こうなると暗示を与えもしないし、動きを変えさせるきっかけとなるような合図、音、声なども一切なしだ。
 相手の動きを私が予測し、ついていく(相手を動かすのではなく相手に動かされる)のでは、もちろん、ない。
 上記は、少し前、わが家を訪れた人相手に示演したことだが、実際私の手が導く通りになるから、そばで観ていた人たちもびっくりしていた。
 こういう風にピシャリと合致するためには、受け手の感性もある程度開かれており、また術者に対して信頼感をもって委ねることができなければダメだ。

 霊子術講授会では、術者と被術者との間隔は当初においてはかれこれ数十センチだが、習熟してきたら30尺(約9メートル)近くを隔てて練修したという。受け手は瞑目する(目を閉じる)。
 術者は、中指にやや力を込め、被術者を引く。むろん、術者の手には潜動作用が発動している。
 すると、「短きは数秒、長きは1、2分ないし数分間で、30尺も離れている被術者が、術者の方へ引っ張り寄せられる」。
 急速にツーッと引っ張られていくので、この時被術者は向こうからまさしく作用の伝わってきたことを明らかに自覚し得たという。
 引っ張り寄せた後、術者はノータッチにて、ただ手掌を向こうへ向こうへと押すようにする。と、被術者は直ちに後方へ押されていく。

「中途で術者が引っ張れば近づき、押せば後方へ遠ざかる。
 これを回転させようとして術者が指を動かせば、左にも右にも自由に回転する。
 もとより被術者の意識は普通と毫も変わらない。瞑目しているから、術者が何をなしつつあるかということは知り得ないので、まったく術者のなすがままにしていると、かくのごとく自由になるのである。
 ともかく、30尺の間隔をおいて、単に作用のみをもって引っ張ることも押し返すことも、回転させることも、自由自在でしかも極めて鮮やかに会員(参加者)誰にも行ない得るの実況をみては事実驚異を禁じ得ないのである」

 確かに「驚きの念を禁じ得ない」。
 だが、「さらに驚嘆すべき」は、「腹力のみで自由自在に被術者を動かし得る」ことだ。やはり、9メートルくらいの距離を隔てて双方相対し、被術者は瞑目し、術者は単に腹力により霊融法を行なう。と、被術者は引っ張られて来る。または押し返される。引く、押す、回転する。これも自由自在であるという。
 腹に秘められた未知の作用——人同士の意識の共鳴と関わるもの——の存在を、こうした現象は暗示しているように思えてならない。

「それが敢えて、不自然なる点が寸毫もない。見ていると何とも不可思議にたえなくなる。
 それならば、会員外の誰人が行っても可能かというと、まったく霊子作用の修得がなくては不可能なのである。
 ところが、僅々数日間の修得さえすれば誰でもかくのごとくなし得るということが、何と考えても現代においては少なくとも奇蹟であるとしか思われぬ奇蹟! 奇蹟!! 
 しかもこの奇蹟が、作用の修得さえすれば何人にも普通事として実行し得らるるは、これ真に奇蹟中の奇蹟とすべきである」

 9メートルくらいの距離で行なうのはまったく会場の都合だけであって、それ以上の長距離においてもこの現象を示すことができる。
 そして、単に1人の術者が1人の被術者を自在にできるのみでなく、1人で数人または数十人を、間隔を置いて自由に動かすこともできたというから驚かされるではないか。

「この際にありては、50余名5列に縦列を作り、これに対して術者は最初右手中指に力を込め、潜動作用をもって、しかも距離を隔てたるままにして、術者は位置を動くことなく、被術者たる全列に向かって行うのである。
 それが数秒または一二分乃至数分にして、全列ことごとくが霊動を生じ、飛動してくる。その霊動の激甚なること、飛動の猛烈なること、しかも数十人一時に霊動・飛動するため、その壮観は何とも譬えようがない。
 数十人よりなる全列を、1人の術者で指1本を動かせば、自由自在に前へ引くこともできれば、また後ろへ全列を押し返すこともできる。ことにその押し返されたる時は、さながら戦場のごとき光景を演じ、まったくもって1人の術者の力のみとは考えられぬ絶妙を感ずる」

 その次には、一列のみを前進させる、あるいは2、3列を前進させて一列のみを止めるなど、任意に行なう。
 十数名の一列を術者の指1本で導けば、その一列はことごとく術者の導くままに自然に従い、あるいは円列となり、あるいは横列となり、あるいは縦列となり、あるいは前進、あるいは後退共に自由になる。
 相手は十数名のみとは限らず、一列に数十人または数百人を加えても同一の現象を生じるという。

「まことに指1本でかくのごとく多数者を自在ならしむるということは、真に不思議中の不思議と考えられる。しかし講授会では、少しも不思議でなく当然のこととして行われている」

「しかるにさらにさらに一層の驚異を感ぜしむるは、数十人をもって一団としたる全列がたちまち霊動飛動を生じ来たる。この時術者がその全列に向かってこれをことごとく個々別々に右回転、あるいは左回転をなさしめようとすると、まったく自由自在にあるいは右回転あるいは左回転をなし、前進も後退も共に等しく自由自在である。
 それがただ単に1人の術者が腹力潜動を発動せしめて霊融法を行うのみ。もちろん指1本だに動かすことなくして、かかる絶妙事を実現し得るは、いかにも霊子の作用の偉大なるを思わなければならぬ」

 このあたりまでくると、私にとっても未体験領域だ。今度、ヒーリング・アーツ修養者が集まる機会があったら、是非実験してみようと思う。
 上記のようなことが本当に起こるとしたら(当時、多くの霊術家ができると称し、講習会等で人々に伝授していた)、人間にとって「個」とは一体何なのか、改めて問い直す必要さえ出てくるかもしれない。

 次は吹息霊斥法だ。
 その方法は、被術者たるべき人は直立しており、その後ろから被術者の背部に向かって術者が強く息を吹きかける。
 すると受け手はたちまち向こう遥かに吹き飛ばされる。もちろん、意識も姿勢も平素のままだ。催眠術とはまったく違うものであることがわかる。

「最初のうちは、術者が徐々に被術者の背部を上から下へと繰り返して息を吹きかけると、それは実に不思議である。被術者が動き出すばかりでなく、ストンストンと床を踏みならして高く飛動する。まったくわずかに息を吹きかけるのみである。その息のみで十数貫の体が飛び上がる光景は、何とも言葉には言い表しようがない。さらに、今度は被術者の前面から息を吹きかけると、後ろの方へ2〜3間(1間は約1.8メートル)くらいは吹き飛ばされていく。
 しかも、その速度の速いこと、ほとんど木の葉が暴風にふきとばされるがごとき状態である。今度は、右側の方から息を吹きかけると被術者は左側の方へ飛ばされ、反対に左側からすると右側へ吹き飛ばされ、自由自在である。脚部に息を吹きかけると一層と飛動が烈しくなる。もっとも人によって必ずしも一様ではなく、非常に飛動の烈しいのと然らざるとの差は多少ある。中には、顕動の状態やや異なり、吹息によりて直ちに烈しき飛動を生ぜざる代わりに、必ず前へ前へと倒れるようになる者もある」

 この時、別の術者がその前に立って、息も何も吹きかけず、単に下腹部に力を充実させていると、今度は右の方へ倒れるようになる。
 さらにその右の倒れかかる方面へ他の術者が立つと、今度は左の方へ倒れかかるようになる。
 ここで、左の方へさらに他の術者が立つと、もうどの方面へも動けず棒立ちとなるが、術者の1人が少しでも下腹部の力を緩めると、直ちにその方向へ倒れる。
 逆に、前面、左右の3人の術者と後部の吹息者と一斉に腹力を充実させると、高く飛動するようになる・・・のだそうだ。

「さらに一層驚嘆すべき現象は、敢えて術者が被術者に少しの息をも吹きかけることなく、ただ単に下腹部に力を込めたるのみで、被術者が自在に飛動するに至ることである」

 これはまず、約10メートルを隔てて術者と被術者が相対し、術者が右手の人さし指・中指2本を左手にて包握し、これを下腹部に当て、極めて強く腹力を充実させると、被術者はすこぶる軽妙自在に飛動し始めたという。

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 かなり「凄く」なってきたが、まだまださらに凄くなる。
 次回を乞うご期待。

<2012.01.28 水沢腹堅>