Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第2章 超越へのジャンプ 〜田中守平(太霊道)〜 第12回 霊子術伝授 其の二

 顕動法の次は、霊子潜動法の伝授に移る。
 これを修得するには、霊子板という練修用具を用意する。縦21センチ、横12センチ、厚さ1〜1.5センチの板を、「最も滑らかに創り成した」ものが霊子板だ。
 田中守平講述『太霊道及霊子術講授録』によれば、「潜動作用は顕動作用と異なり、自己の身体が霊動するのではなく、自己に発現した霊子作用が他の無機体または有機体に伝達されて、その伝達されたる無機体または有機体が顕動を生ずるに至るのであるから、その極意要訣とすべきは自己の顕動を潜動とするところにある。
 もし、顕動そのままで霊子板を押えたならば、無論霊子板はそれで動くのであるけれども、これでは決して潜動となって霊子の作用が霊子板に伝わったものということを得ない。霊子板に伝わった時は、霊子板が動くというよりもむしろ霊子板が作用に動かされるのである。霊子の作用が、霊子板の上下表裏の全体に伝わって初めて、霊動するようになるものである」

 ・・・・・・・おわかりになったろうか? 私は、最初のうちさっぱりわからなかった。
 板が動く動かないというだけのことなら、わかろうがわかるまいが、どうでもいいことだ。
 が、真の潜動時における心身の態勢にて、次回よりご紹介していくような「スゴイ」わざの数々は、運用されるのだ。
 我流の誤解・曲解にとらわれ、この素晴らしい宝を取り逃がすべきではない。

 霊子板を霊動させることは、もちろん潜動作用の全体ではない、と『霊光録』にはある。いわく、
「潜動作用の応用は無量無辺であって、巨多の霊能いずれかこれより出発せざるものやある。古来、幾多の霊能者なきにあらざるも、一切霊能の根源たる潜動作用の存在を自覚するに至らず、したがってこれを学修する方法と、これを測定する鍼度を欠くがゆえに、直ちに実人生に応用具現するに至らなかったのである」
『霊光録』によれば、霊子板によって潜動作用を修得すれば、これを発現することも、それを向上させることも、容易であるという。
 霊子板の枚数が、直ちに霊能の高低を測定する標準となるわけだ。

 それでは、田中守平直接伝授の場へと、再び超時空的にヒーリング・トリップしてみよう。
 守平、講授会場に臨席、会衆は居住まいを直す。
 おもむろに、潜動作用講授に入ることが守平より宣され、参加者は皆、好奇の目を光らす。
 霊子板が1枚(舞)ずつ配られ、守平の指導にて、畳の上に置いた霊子板に、各自が掌を置く。
 守平が、それら1人1人の手の上に自らの手を添え、「ジーッとばかり」潜動を伝える。と、「不思議や、霊子板は脈を打つが如く(編注:この部分極めて重要)、断続的に動き出す」

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●先生に補助していただいた時には、引き合う磁石の間に手を置いたような感じがし、一人で行なった時は、板が床と反発しあって向こうから掌に寄ってきたようであった。<愛知県 K.M>
●潜動作用を伝えていただくと自らが触れている霊子板がフッと浮き上がるような感覚を感じ取ることができ、なおかつ、自分でもその感覚を起こせるようになり、驚きました。潜動の方法を教えていただき行なってみると、触れてる霊子板全部が浮いたような感覚が起き、自己流のやり方ではこれまで何としても動かなかった霊子板がするすると動きだし、思わず「おーっ!」と歓喜の声をあげてしまいました。<東京都 M.T>
●潜動だけでなく、力によるものや顕動によるもの、それから潜動によるものによってそれぞれ板をうごかして頂く事で、それぞれの作用の違いを体験できました。力や顕動によるものが自分より外に向かっていく感じがしたのに比べて、潜動は内側に向かっているような感じがしました。また、今まで自分が潜動と勝手に思っていたものは、実際は力によって動かしていたのだという事が良く分かりました。こうして先生から潜動を導いて頂いた後、一人で練習する際にも板がスッと動いて行きました。2枚、3枚と重ねての練習でも、以前ならば動くとは思えなかった霊子板が動いたことに驚きました。また、3枚重ねて潜動作用の練習を行なうと、うまくいっているときは、一番下の板にまで意識が届いているような感じがするのですが、それが例えば2枚目までにしか意識が届いていないように感じられた時は、実際に、一番下の霊子板と、2枚目の霊子板の間がずれていっており、何かの作用が伝わっているのだろうと思いました。<岡山県 A.U>
●三枚重ねた霊子板を先生の導きによって行なうと、三枚の霊子板に掌から垂直に貫く流れの感覚が起こりました。それが三枚を固定しているかのようでありました。そしてふんわりと掌が、あたかも空飛ぶ絨毯の上に置いたかのような感覚となり、浮き上がり、その状態で霊子板が吸いついて来るような感覚となって静々と動き出しました。先生が、板を少し押しつけぎみなので掌を上に引く(板から離す)よう意識すればより動くようになるとおっしゃられたので、そのように意図すると動きの質が格段に変わりました。<福岡県 T.T.>
●霊子板を使った潜動の練修では、手全体の存在感が自らの手の内側に引き込まれるような感覚を感じました。板がホバークラフトのように浮き上がり、スルスルと動き始めると、自然と笑みが溢れました。そうして、「なぜ?」や「本当に出来ているのか?」などの疑念が浮かんだりしますと、その瞬間に恣意性が入り、板が止まってしまうのが明白に感じられました。<神奈川県 K.Y.>
●顕動、普通の力、潜動で動かす違いを先生が実際に手をとって教えてくださり、潜動においては今まで自分が想像していたものとはまるで違う力の使い方であることが理解されました。余分な力を抜けば抜くほど、霊子板が手に吸いつくように浮く感じで動き、2枚、3枚と少しずつ動くようになると、なんだか楽しく、子供のように跳ね回りたい気分になりました。この新しい力の使い方を学んでしまうと、普段なにか物が置いてあると、つい反射的に練修してしまいます(笑)。<東京都 Y.S.>
●顕動、潜動の練修を繰り返しましたが、潜動は全く既成概念を超える感覚でした。手がふっと浮き上がるような感覚で気持ち良くなり、板は逆に前に進んで行くのが不思議でした。顕動、潜動を繰り返していると、疲れて、重かった体がだんだん軽くなり、気分も良くなるのが感じられました。<京都府 K.H.>
●顕動、潜動という新たな力の使い方は驚異でした。潜動を行なっているときに感じる感覚は深い谷間に入り込んで行くような、または奥深い内側から何か湧いてくるような感覚が伴い、顕動を行なっているときに感じる感覚は山を登るにつれて視界が広がっていくような感覚が伴います。潜動を行なっているときの感覚は先生から霊子作用を送って頂いたときに身体の奥から何か湧いてくるような感覚と同じ感じのものでした。この時点で霊子作用の送り手と受け手は同時に同じ感覚を共有しているのではないでしょうか。<愛知県 T.M.>
●潜動作用が伝わると霊子板が浮き上がったような感覚と霊子板を引き寄せているような感覚にもかかわらず、霊子板が前に進むのが不思議でありとても楽しく思えました。先生の補助がなくても霊子板が動いたときは本当に感動し、こんなに簡単に動いてもいいのだろうかという感じさえ受けました。またいったん霊子板が動き始めると霊子板の重さが消えたように感じられ不思議に思いました。太霊道を知ってから今まで一人で潜動法ができたためしがなく、これからも出来ないのではという不安を持っていたため本当に驚くと共に、先生の90日におよぶ断食の成果にただただ頭が下がる思いがしました。霊子板が2枚になると上の霊子板のみが少し動いたり2枚動いたりと不安定な動きでしたが、顕動、潜動の感覚がはっきりとしてくると2枚同時に動くようになりました。霊子板3枚でも同じように潜動作用が伝わり、ゆっくりと霊子板が動き楽しくなりました。<愛媛県 M.N.>

 以上は、かつて私が指導した太霊道ベーシックセミナー参加者による体験報告(の一部)だ。今は、そうしたセミナーはもうやってない。
 潜動作用が各自なりのやり方で様々に表現されているが、その中のどれか1つが、あなたにとっての「鍵」となるやもしれない。ちょっとした一言がヒントとなり、起爆剤となって、あなたの理会・体得を劇的に速めるかもしれない。
 そのような願いと祈りをもって、私は体験者たちの報告を頻繁に引用している。

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 講授会に戻ろう。

 霊子板1枚の練修に熟達すると、それは徐々に円形を描いて自動を始める。
 それが一回転、二回転より三回転、四回転と、徐々に速度を速めていき、ついには目にも止まらぬ速さで回転するようになる。
 霊子板を2枚とし、その上に静かに押掌(掌で押える)していると、今度は不思議にも1枚の時のように回転せず、徐々に前進を始める。
 2枚を3枚とし、4枚とし、10枚程度に至ると、潜動作用なるものの要領が自然にわかってくる。
「十枚の霊子板、それはもちろん滑らかに創り成された板である。意識や力を加える時は、たちまちすれ違って全然潜動は伝わらぬこととなる。
 手掌はただ軽く霊子板の上に置けば良いのである。こうすること良久しきに至れば、霊子板はスーッと前進を始める」(『霊光録』以下同)

霊子板潜動法・講授風景(クリックすると拡大。以下同)。

 1枚の霊子板が、部屋中を自由自在に動き回るに任せ、どこまでも追随していく練修法もある。
 それを講授会で多数の参加者が同時に実修すると、「彼方より直線に走り来る者があるかと思えば、こなたより弧線を描いて突進し来る者もある。それが途中にて衝突し、どうとばかり展転するかとすれば、また他人の座席に突入してその過失をわびるもある。
 紛然、雑然たる状況は、厳粛なるべき特別講授会に時ならぬ哄笑の波を漂わせて、我知らず『霊子作用よ、汝は滑稽者である』といいたくなる。
 さりながら、頭を冷やかにして考えれば、霊力が無機体に伝わって、それが自動するということは、現時の科学を根底より粉砕すべき重大なる絶奇現象であることを忘れてはならぬ」

 それから霊子板の数を増して、50枚くらいが進動するようになると、他人の疾患をヒーリングする際にも筋肉・内臓の深奥部に作用が達するのである。
『霊光録』によれば、毎期特別講授会参加者の熱意は旺盛で、50枚では満足せず、70枚、100枚の関門を突破し、百二、三十枚に達した者がいくらでもいたという。
 増加、また増加、『霊光録』刊行の頃には300枚を越すに至った。

「第40期特別講授会においては、ついに霊子板315枚を進動せしむる新記録を作った。また、婦人会員として押掌潜動法の最高標準250枚を進動せしめたことも注目すべきことであろう。
 すなわち、この層を重ねた霊子板の堆を、婦人の繊手をもってよく霊動せしめるという目前の事実は、体力によらずしてまったく霊的作用によるものであることを実証するものである。
 ことにまた、霊子板315枚というときは、ほとんど身長に倍する高さである。押せば崩れ引けば倒れる。手をもって支えるさえ容易にあらず。尚それが前進すと仮定して、意識や体力をもってしては、1個の木材としてもわずかに手掌を置くはおろか、双手をもってしても容易に動くものではない。
 しかるに、ひとたび手掌に霊子潜動作用を発動せしめ、軽くこれを板の上に置けば、その多数の霊子板は1個の物体と化し、崩れもせず、倒れもせず、軽々に席上を摺動前進するに至りては、もって一種絶妙の現象と称すべきである」

 たくさん積み上げた霊子板を動かすことが、当時、太霊道内で一種のブームとなっていたようだ。以下のような写真が残されている。かつて私が田中家を訪ねた折り、発見したものだ(一眼レフカメラで複写。以前は、カメラをそういう資料用のツールとして、もっぱら使っていた)。

 そのうち協力者を募り、私も試してみようと思っている。これまで、せいぜい百数十枚程度を動かしたに過ぎず、それ以上積み上げようとしただけで崩れてしまっていた。誰か、支えてくれる人たちが必要だ。

 潜動法とは、私が思うに、自分自身の内面に「入り切って」しまうための、実にユニークな修法だ。
 板を押しつけようとか、進めようとか、そういう外部に向かっての身体運動コマンドを、徹底的に切っていき、完全にオフにしきった状態にて、板を手と床で(柔らかく・しっかり)はさんでおくようにする。・・・と、一体どういうことが起こるか?
 一切、押し、進めてない(ゼロ)にも関わらず、板そのものに命(主体性)が宿ったかのごとく、それ自らの意思でこちらを引っ張っていくかのごとく、板が動き始める。
 この時、自分では一切何も「して」いない。押しもしない。引きもしない。ただ、ゼロだ。
 板が動き始めると、その「動き」の方に意識が流れていってしまい、「それを自分がやっている」という<錯覚>が起こる。
 その「自分」とは誰か? それが自我[エゴ]だ。

 動いていく板の、その「動き」から、意識を切り離すのだ。これを太霊道では、超我[ちょうが]と呼び、初学の段階より非常に重視していた。超我と無我の違いを論じた、田中守平の興味深い論文も残されている。
 我を超えるためには、それ(自分がやっているという、身体感触)にちょっとしがみついてから手放す(レット・オフする)のが、私の経験によれば、最も効率的かつ効果的だ。
 その結果、自分としては、待っている、という感じに「引き戻される」。一切、押してない。力を出してない。放出してない。にもかかわらず、板に引かれていく。
 板の「形」がハッキリ感じられる。その形そのもの(エンプティネス)の中に、生命の感覚が満ちて宿っている。
 これが、ヒーリング・ネットワークでいう<マナ>だ。
 すなわちマナとは、太霊道の霊子作用にも通ずるものである、ということになる。

 霊子作用は、何人にも多少は発動しているものだが、それを修養(修め養うこと)しなければ微弱なままだ。 
 だが、いったんこれを覚醒させ、全身に充実するに至れば、体中どこからでも発することができるようになる。
 押掌潜動法が霊子板30枚程度に達したなら、皮膚潜動法を実習する。
 これは、腕、手の甲、前額、鼻、顎、指頭、腹、背、足など、いずれを接しても、霊子板が同様に自動するというものだ。
 それに習熟すると、今度は爪甲潜動法へと移る。
 これは、いずれか1本の指の爪のみを板と接して潜動法を伝えるという、やや難易度の高いわざだ。もちろん、霊子板にキズがつくように爪を立てるのは不可だ。
 手掌を上へ向け、霊子板とは約30度以内に、皮膚が一切接触しないように爪を置けば、そこから霊子が伝わって霊子板が動き出すのである。
 指には何の力も加えず、わずかに爪が接しているのみだ。
 そのわずかな接触を通じて霊子作用が伝わる時、無機物が動き始める。
 ものすごくリアルな生命の感触を、爪と床の間、板の形の裡に、はさんでいる感覚がある。
『霊光録』にいわく、「その実際を見ては、とてもそれは物質や精神の作用として解することは出来なくなる。ここに至れば科学無能を叫ばなくてはならなくなる。しかしてそれは、霊子作用の存在を承認し、そが超物質力、超精神力なることに同意せざるを得ないこととなる」

 ・・・・・・・こいつはちょっとついていけないな、とあなたもきっとお考えのことと思うが、実際に潜動法を修してみると、だんだん「本当かも」と思えるようになってくるから面白い。 
 あなたも、すぐそばにあるそのマウスを使って、おやりになってみてはいかがか?
 クリックされない程度にマウスに手を載せれば、潜動発動にちょうどよい加減となるから好都合だ。そのまま、柔らかく手を載せておけば、やがてマウスが「脈打つように」動き始める。
 この時、動いていく方向(手の外側)に注意を向けず、常に手が触れあっているマウスの形そのもの(手の中)を感じ続けようとすること。すると、体の外へ出ていた意識が身体内にすっぽり引き込まれる。
 手と机の間で、マウスを柔らかく、しっかりはさんでいる感覚を、全身まるごとで感じ続けるように。

 あらかじめ警告しておくが、たとえマウス1個といえど、そこに潜動作用を伝えることで自分自身の内面に起こる変化(裡に入ること)は、生半可なものじゃない。
 ある種の、全身的な衝撃を伴う。
 それは、精神に疾患がある人にとり、有害となる可能性がある。
 くれぐれもご注意を。

 ここまででもかなりスゴイが、次回はさらに凄くなる。
 くれぐれも、ご用心を。

<2011.11.11 山茶始開>