Healing Discourse

ヒーリング随感 [第2回] リトル・ブレイン

◎乳幼児期からの親子の触れ合い方いかんにより、私たちの身体能力、知的レベル、環境への適応力、社交性等が決定的な影響を受ける。この事実は、ヒーリング・タッチを学ぶ過程で、自らの生理的実感を通じて確認することができる。
 人の体表面は実に複雑なフォルム(形状)を有している。にもかかわらず、単純な曲面としか認識していない人が多いことに、しばしば驚かされる。
 自分でこうと勝手に思い込み、決めつけた形を自他に強制する、それを予断という。予断をもって触れる時には、皮膚面同士の完全な密着は起こらない。あちこち隙間ができる。
 そのようなタッチはヒーリング・タッチとはなり得ないから注意が必要だ。子供にそういう触れ方をする親は、必ず自らの価値観を我が子に——表立って、あるは目立たぬ巧妙なやり方で——強制する。

◎同様に、凝りやこわばりをやわらげようとして強く押し込むことが習い性になっている人間は、自分が親になった時、必ず子供を圧迫し抑圧するような育て方をする。
 これらは、彼女/彼らが自分の親からタッチを通じて伝えられたものなのだ。ある価値観や行動パターンが世代間を伝播していく、それも広義の波動とはいえまいか? 親から子へと身体を通じて伝わっていくパターンは確かにある。その中に含まれる歪みを正すのは、もちろん簡単なことではないが、可能だ。
 体を強く押し込めば、その部分の筋肉や神経は一時的に強い圧迫を受け、血管や神経、リンパ腺等の流れが様々な程度で妨げられる。遮断されることもあるだろう。生命の本質が「流れ」にあることを思えば、流れを妨げることがヒーリングにつながるとは、とても思えない。
 血が止まり、神経が押しつぶされれば、凝りを感じなくなるのは当然だ。勘違いしないよう注意していただきたい。私は凝りが「なくなる」とは言っていない。「感じなくなる(麻痺する)」と言っているのだ。

◎以前、沖縄最高の聖地である久高島(くだかじま)へ海中巡礼に赴(おもむ)いた時のことだ。手を珊瑚などから保護するためにつけていた軍手を、海面に浮かび漂いながらふと外してみて驚いた。あまりに長い時間海の中にいたためか、指の皮膚が透けて中の構造がハッキリ見えるのだ。
 指の腹の中身(指髄)は、まるで脳を小さく単純化したような形をしていた。リトル・ブレインとでも呼ぼうか。それが各指の腹の中にちょこんとかわいらしく納まっている。指を目に近づけると、指随表面の毛細血管中を血液が点々と移動していくのまでが鮮明に見える。指先が脳と連動しているという話はよく聞くが、形までそっくりとはこの時まで思ってもみなかった。
 指先で強く固く押し込む時は、このリトル・ブレインをギュッと押しつぶして変形させている。私はそういうやり方をすると、身も心もたちまち硬直するのを感じる。
 強い力を絶対に使ってはならないと言っているのではない。時に応じて強く凝集させることが必要になる場合もあるだろう。だがその際も、リトル・ブレイン全体のバランスを保ったまま均等に圧縮させるのだ。それなら、体にも心にもこわばりは生じない。

◎ヒーリング・アーツで手を活性化させると、手そのものの存在感が変容する。まるで感覚の森に分け入って探検しているみたいに、思ってもみなかったような様々な発見がある。
 例えば指先に注意を向けていくと、そこの感覚だけがスポットライトを浴びたようにクローズアップされていき、一呼吸ごとに指紋の溝の1本1本が拡がったり縮んだりしているのが感じられる。それは独特の微細波紋を身体内に起こすが、指紋は1つ1つすべて異なっているから、ある種の情報がレコードのようにそこに刻まれているということだって、あながち荒唐無稽な妄想ではないかもしれないと思えてくる。それくらい明確に、指紋の凝集と拡散を私は感じる。

◎私は指紋の渦の中心を、指の腹の中心点として意識している。こうすると、掌の中心(掌芯=労宮)に自然に意識が収まり、手を常にバランスよく使うことができる。労宮を中心として自分の腕を掴んだり離したりしながら、指先側からよく観察してみるといい。最終的に腕と触れ合うのは、指の腹のどの部分だろうか?
 明るいところで確認すると、指紋の中心はあなた方がこのあたりだろうと漠然と見当をつけている箇所とはかなりズレているかもしれない。私がこれまで教えた人たちは皆、自分の指をチェックしながら声を出して驚いていた。各指によって、指紋の中心の向きは違う。親指などは特にそうだ。それらの「向き」も意識化すると、指の曲げ方・伸ばし方が効率的で隙のないものとなる。
 指紋の中心を指先の中心として使うと「考える」だけでは、何の変化も起こらない。それを身体的に実現するためには、ヒーリング・タッチを使う。すなわち、皮膚面同士を直交させつつ、そっと触れ合う。
 指紋の中心部に意識が灯ると、全身丸ごとの実感が瞬時に変わる。指の1本ずつに順に働きかけていくと面白い。各指から全身へと波及していくルートが、それぞれ異なることが体感できる。
 
◎指の腹の中心点を1〜2ミリ移動させるだけで、ヒーリング・タッチの切れ味が明らかに変化するのを、私は感じる。指紋の中心点からわざと意識をズレさせると、とたんに掌に感じるヒーリング感覚が鈍く、分断されたものとなる。曇ったように明晰さが失われる。そういう手でかける術(わざ)は、自ずから鈍重なものとならざるを得ない。

◎ヒーリング・タッチは、心身を粒子状に意識し、その粒子に凝集と拡散の作用を起こすことを基礎原理としている。凝集と拡散、このシンプルにして深遠な心身一元的テクノロジーがかつて確かに存在していたことを伺わせるに足る様々なシンボルが、文明の曙の頃より記され続けてきた。
 例えば「渦巻き模様」とは、ヒーリング・アーツの観点からすれば、凝集と拡散をシンボリックに表現したものとごく自然に納得できてしまう。臍を中心として掌で腹に円を描きつつ、同時に掌芯(掌中央の凹み)を凝集させたり、レット・オフで拡散させたりしてみるといい。自然に渦巻きが現われてくるだろう。ただし、無意識のうちに自分で円の直径を変えてはいけない。
 縄文土器や銅鐸に印された渦巻き模様、イザナキとイザナミによる天御柱を巡る儀礼、あるいはケルトの渦巻き模様なども、すべて凝集・拡散に基づく生命力のコントロール法を暗示している。

◎粒子的マトリクス(基盤)の元で、何かを「する」ことと「やめる」ことを根源的レベルにまで解体していく。「しよう」、「やめよう」とする心の働きと身体感覚との関係を、動きの単位を微分的に小さくしながら追求していく。やがて、今まさに動こう、あるいは動くのをやめようとする寸前の、変化の機(きざし)に到達するだろう。そこにヒーリング・アーツの原理が秘められている。

<2009.02.07>